第二話〜部費争奪野球戦線……こんなの野球じゃないやいっ!(涙)〜


        1


 光陰矢のごとしとでも言うのか、直哉が生徒会役員『下僕』に任命されてから、早一月の時が過ぎようとしていた。

 直哉は学校生活にもずいぶん慣れ、生徒会に入ったせいで疎遠になっていたクラスメイトとも徐々にうち解け始めたころ。

 未だに、生徒会役員の突出した意外性には付いて行けずにいた。

 そして、今日も今日とて、放課後の定例会議はいつものように始まる。


           2


 六眼目の授業を終え、部活動にいそしむ生徒や帰宅部でしのぎを削る生徒があふれかえる中、生徒会メンバーは生徒会棟会議室に会していた。もちろん、直哉も含めて。あ、ちなみに研究室から出てこないエステは欠席。授業に出ているかどうかも怪しいが。

「え〜っと、では、今日の定例会議を始めたいと思います」

 直哉は慣れた調子でテンプレートな開始の台詞を読み上げた。

 というのも、統合生徒会はこの学園全体を初等部から全てを取り仕切っているため、必然的に仕事が多い。そのため毎日のように会議が開かれ、議論を交わしている。直哉は生徒会役員『下僕』に、任命されてからはこの開始の言葉を任されているので、しばらく経てばすぐに言い慣れてしまっていた。

「あの、始める前に、いい加減俺の肩書『下僕』って止めてくれませんか? ほら、他校と交流をするとき下僕なんて言ったら引かれてしまいすよ」

 という直哉の頼みを、

「却下」

 阿修羅は無表情のまま、一言で物の見事に一刀両断した。太刀筋もさることながら、言葉の切れも迷いがないのであった。

 まぁ、直哉もそう言われるとわかっていてダメ元で言ってみただけで、もちろん阿修羅が首を縦に振らないことはわかっているが。

「それで須賀、今日の議題は何だ?」

「ええ。…っと、言いたいところですが、その前に阿修羅さん、何なんですかその格好は?」

 直哉は椅子に腰かけたまま、阿修羅の下から上に向かって視線を走らせる。

「ん? この恰好に何か問題でも?」

「ええ、大ありですよ。何でパジャマなんですか?」

 言われてみると、阿修羅は水玉模様のパジャマを着ていた。

「ん、ああ、どうせ作者がめんどくさがって描写しないからいいかと思ってな」

 ひどい言われようだな、おい。まぁ、あながち間違ってないけど。

 直哉は何度か首を横に振り、

「ダメですよ。もし何かの間違イラストを描いてくれることになったらどうするんですか?」

「ああ、安心しろ。こんな話に誰がイラスト描いてくれるものか」

 グッサアアっ!

「ああ酷い! 本人かなり気にしてるのにっ!」

「しかし、本当のことだろう?」

 ……………………………………………………………………。

「あ、ほら! 拗ねて描写するのやめちゃったじゃないですか! これだと話進まないので、お願いだから着替えてきてください」

「それこれとは何の因果もないと思うが……まぁいい。まったく、世話の妬ける奴だな。おい、着替えてくるから、描写はやめるな。わかったな、これ以上文句言ったら、容赦なく切り捨てるからな」

 はいはい。しゃーねーの。

阿修羅は会議室から出ていき、数分後、自室に戻って制服に着替えて戻ってくると、不満大安売り大放出中、と言う感じの憮然とした表情で椅子に腰かけた。

 直哉はあの恰好でどうやって授業を受けたんだろう? とか考えていたが、話がまた長くなりそうなので何も言わなかった。

「あの、所でお二人は何のお話しされていたんですか?」

 と、この場で一人状況を理解をできないコスメが、空中に?マークを大量に漂わせてしきりに首を傾げている。

「ああ、違う世界の馬鹿の話だよ」

 と、彰人が注釈を加えるが、「そうなんですか?」と、コスメは?マークの数をさらに増やして首を傾げるばかりだ。

 そんな姿もチャーミングで抱きしめたくなるなぁ、そんな度胸ないけど。なんて胸の内で感慨に耽り自分の情けなさを再確認してから、直哉は会議を続行すべく切り出した。

「まぁ、無事問題を片づけたところで、改めて今日の議題に移りたいと思います」

「うむ、して、今日の議題は?」

 某大ヒットアニメの自分の息子には冷たいが自分の妻似の青い髪のクールな女の子をたくさん培養槽の中で作っちゃったとある組織の船に付いてそうな名字の司令(ってか長)のように、阿修羅は机の上に手を組んで顎を乗せる。

「はい、野球部から部費をあげてほしいとの要望を受けまして」

「却下」

 すべてを言い終える前に、阿修羅が電光石火で両断した。

「いや、せめて話し合いをしてからでも」

「却下だろ」

 今度は彰人が直哉の言葉を遮断した。阿修羅と同じポーズで構えるその瞳は眼鏡が反射して良く見えない。

「大体からして大した成績も残さないで部費を上げろなど言語道断だ」

 阿修羅の発言に彰人がうんうんと頷き、

「まったくだ。美人女子マネージャーの枕接待もなしに部費アップとは、礼儀知らずも甚だしいな!」

 鼻息も荒く、拳を机に叩きつけて力強く言い放った。

「まったく、これじゃあ日本の未来が心配だよ!」

 あんたの未来の方が心配だよ。と、直哉は言いたくなったが、憤慨する彰人に絡むのも面倒なので、敢えてツッコミは入れなかった。

「それよりも、もっと論ずるべき議題があるはずだ。そう、例えば……」

 阿修羅は顎に手を当て思案顔になって。

「某少年誌有名探偵漫画の中で、トリックや殺人の方法なんかは現実の法則に従うのに、何故冒頭でいきなり薬で体が縮むという質量保存の法則無視を平気でやってしまうのか、とか」

 阿修羅は真剣に言ってのける。

「いきなり何の話ですかっ!?」

「いや、まぁ縮むのは水分の気化とかで無理矢理なんとかするとして、たまに酒や薬を飲んで元の大きさに戻ろうだろう? あの質量はいったいどこからやってくるのだろうな。身近に科学者がいるくせに何も疑問に思わないのは呆けてるのだろうか?」

「知りませんよ!」

「そんなこといったらあれもそうだよなぁ。ほら、椅子の後ろとかで毎回しゃべってたら普通気付くよなぁ? すげぇ不条理なんだけど」

「だから知りませんって! 彰人さんも話長くなるから入ってこないでくださいっ!」

 はぁはぁと、直哉は肩で息をしながら必死でツッコミを入れる。この二人は放っておくとどんどん関係ない話に行ってしまう。天才となんとかは紙一重と言うが、二人はきっと後者だと直哉は思っている。

「あの、それもとても意義深いものだと思うんですけど、野球部の皆さんも懸命に練習なさっているわけですし、まず検討位はしてあげてはいかがでしょうか?」

 今まで困った顔で苦笑していたコスメが初めて口を開き、

「うむ、まぁ簾舞会計がそう言うのなら」

「ああ、美少女のお願いは聖書よりも尊ぶべきものだからな」

 あっさりと厄介な二人を丸めこむ。まさしく、鶴の一声だった。

統合生徒会の中で序列最下位街道まっしぐらな直哉の声は、ツッコミにしか役に立たない。これは今まで開かれた定例議会でもよく見られる光景だった。

まぁ、他ならぬコスメなので直哉は「わぁ、さすがはコスメ、ありがとう」と心中で感謝はしつつも、自分の存在意味が分からなくなって、情けなさに溜息が零れた。

「それでは、野球部の部費アップについてです。俺が調べてみたところ、ここ最近野球部は力を付けて来ていて、先日行われた大会では都内でベスト8に入ったそうです」

「まぁ、すごいじゃないですか」

 と、コスメは手を合わせて微笑むが、

「一番以外の順位など、最下位も同然だ」

 相変わらず阿修羅の価値観には一点の曇りも見せない。

「ああ、枕接待も無いしな」

 あんたはしつこいよ! 直哉は今にも飛び出しそうになる拳を引っ込めた。まぁ、直哉が殴りかかったところで彰人は軽くかわすだろうが。

「いや、でも、二百校近くがひしめく都内でベスト8はなかなかの記録ですよ。部費アップ検討してあげてもいいんじゃないですか?」

「なら、お前が金を出せ」

 相変わらず阿修羅はとんでもないことをおっしゃる。相変わらず、取りつく島もないどころか、堅牢無比の要塞でがっちり防衛されている。

「いや、でもこの、全部費の九十%以上、凄まじい金額が使われている統合生徒会直属研究部からほんの一%ほど分けてもらえれば、十分に野球部の要求する金額に達するんですよ。ほら、エステさんしか部員もいないし」

 阿修羅はフン、と、まるっきり愚者を嘲るように鼻で笑い、

「お前は馬鹿か? いや、馬鹿なのはわかりきっているか。いいか、簾舞研究員は地球でも今年度ノーベル賞で八つの受賞。簾舞研究員の名は宇宙の学会に行けば誰だって知っている。そんな多大な功績を残す部から部費を取り、せいぜいこの狭い日本のさらに狭い都内で八番目に入る程度の輩に分配するなど、笑い話もいい所だ」

「うっ……」直哉は言葉に詰まる。阿修羅の存在感と威厳ある口調、そして説得力のある内容は押し黙らせるに十分なものだった。

「そうだ、宇宙の至宝たるエステさんに渡されるべき神聖なる部費を、汗臭い男どもの巣窟にくれてやることなど冒涜だ。あり得ない。枕接待もないのに」

 こちらの変態の意見はいいとして、とにかく、反対派が多数なことは間違いようだった。

「あのぉ……」

 しかし、あまり意見を出さないのに、全体の流れをガラっと変えるのが、コスメというちょっと天然入ってる美少女の特性だった。

「一度話だけでも聞きに行っていただけませんか? 実は監督さんに以前お財布を落としてしまった時に拾って届けていただいたことがありまして。だからその、お願いします」

 ぺこりと、椅子に座ったまま頭を垂れる。

 ええ子や、めっちゃええ子や。

会議中であるのも忘れて、関西弁で繰り返しながら直哉は感涙を流した。きっとこんなお嫁さんを貰ったら将来幸せだろうなぁ、と何度も首を振って頷いた。

「まぁ、簾舞会計がそう言うなら、会うだけは会ってやる。部費を上げるかどうかは別だがな」

 なんと、あの自分勝手傍若無人の暴君阿修羅が重い腰を上げた。さすがだ、いい子ってのは常識が通じない人間(かどうかもあやしい)にも効果があるらしい。

「ああ、枕接待がないのが非常に不本意だが、仕方ないな。美少女の頼みを断るわけにもいかん」

 何でこんな奴に天は容姿と才能を与えたのだろう。直哉は神様の神経ってやつを疑わしく思う。彰人が体育で活躍すれば女子一同から黄色い声援が上がる。内心で立ち並ぶブルマをどうやって嬲ろうかとかそんなことばかり考えていても、だ。性格を知らないってのは幸せだな。まったく、憎らしい。

 直哉はちょっぴり鬱状態で長嘆した。はぁ……、ったくよ。

「どうした、須賀、顔が悪いぞ」

「それを言うならせめて顔『色』です。あの、わざと言ってます?」

「当り前だろう」

 言うだけ言って、阿修羅はつかつかと廊下のほうに歩き去ってしまった。

 聞くまでもなかったよな。俺としたことが。直哉はさらに長く長嘆する。

「まぁ、元気出せ。今度俺秘蔵覗きスポット案内してやるから」

「いりませんよ」

「まぁ、そう遠慮するなって」

「いりません」

 彰人は両手をあげてやれやれと大きく首を振るアメリカ人ばりのオーバーアクションをとると、阿修羅に続いて会議室を出て行った。

「はぁ……」

 いっそこのままどっかに逃げてしまいたい。

直哉がそんな衝動を覚えていたところ。

「大丈夫ですか? 直哉さん、あまり体調が優れないのでしょうか……?」

 自分より少し身長の低いコスメが、直哉を心配げに上目づかいでじっと見つめている。

「最近、忙しかったので、直哉さん疲れているんじゃないかって、阿修羅さんからたくさん仕事を頼まれていたようですから……」

コスメは無条件で愛しくなる愛玩動物の極みを超えた、最強のきゅんきゅん(?)オーラを放っていた。この場でギュッと抱きしめ、すべてを忘れてそのまま場末まで一緒に逃避行を考えたくなるほどに、直哉に今のコスメは愛らしく見えた。

「んにゃ、大丈夫。全然平気だよ! はっはっは」

 無駄に胸を張ってありもしない力瘤を作って自分がいかに意気軒昂であるかを誇示する。

まぁ、ぶっちゃけて言えばそれだけで元気になるお安い男なのだ。コスメが悪女なら、簡単に借金まみれにされて捨てられるだろう。

「よかった。私、心配だったんです。慣れない仕事で疲れているんじゃないかって」

ほんとに、純粋ないい子でよかったな、おい。

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから。行こ、阿修羅さん遅れるとうるさいから。自分が一番遅刻してくるのに」

「そうですね。でも、それが阿修羅さんらしいです」

 言われてみれば、自分勝手で唯我独尊でない阿修羅は想像も付かなかった。しおらしく頬を染めて、目を細めて恥ずかしげに俯く阿修羅……。

 もともと容姿は抜群に整っているので、これはこれで悪くはない。と、思うのだが、いかんせん、現実からかけ離れすぎていてどうもうまいこと想像できなかった。悪鬼羅刹のように戦場で人を切り捨てる姿なら容易に想像できるのだが……。

 まぁいいや、と直哉は思う。

「そうだね。それじゃあ、行こうか、コスメ」

 それより今は、せっかくコスメと二人きりなのだから、無駄な(阿修羅が知ったら殺されるような)ことを考えるより、この時間を楽しもうと思った。

「あ、そうだ、野球部使用の第三グラウンドには正面よりも裏口から出た方が近いんです。はぐれないようにしてくださいね」

 そう言うと、コスメは自然に直哉の手を取って歩き出した。

 コスメはただはぐれないようにと、ただそれだけで特に何も考えずに直哉の手を握ったのだが、

(ああ、もしかしてコスメも俺のこと気にしてるのかなぁ……)

 と、目や耳から幸福がこぼれてくるんじゃないかと思えるほど至福の表情でだらしなく破顔していた。

 つくづく、お安い性格の直哉だった。


       3


「生徒会が来たぞ!」

「会長だ! 会長が来たぞ!」

 阿修羅が現れると、グラウンドにいた生徒たちは練習を中断し、まるでモーゼの十誡のように左右に別れて間に道を作った。いや、本当に。

「すごいなぁ……」

 直哉は今更ながらこの人物の強大さを目の当たりにした。

 第三グラウンドは野球部の専用グラウンドなので、それなりに屈強な男達が多い場所なのだが、阿修羅の絶対的な存在感に圧倒されるのか、はたまた悪名……もとい、この星で作った伝説の数々に戦いているのかは定かではない。

 もっとも、慣れているのか気づいていないのか、コスメはにこにこ笑いながら左右に別れた部員に頭を下げているし、彰人は「この能無し筋肉虫が」と、口元で呟きながら一人一人に侮蔑の視線を送っていた。彰人にとって、女性とは対極に位置する筋骨隆々の汗臭い男共は人間以下でしかないらしい。

「おい、そこのお前」

「は、はい?」

 阿修羅に声をかけられた中等部らしい比較的背の低い少年(レベルが高ければ中等部でも同様に練習することがある)が、びくりと体を大きく震わせ、強張らせた。蛇に睨まれた蛙。というのはきっとこんな感じだろう。

「今すぐここに監督と、あと部長を呼んでこい」

「は、はい」

 少年はすぐに踵を返し、一目散にベンチへと駆け出して行った。

 阿修羅はグラウンドの中心で腕を組んで仁王立ちし、まるで阿修羅がこのグラウンドの覇者となって金属バットを振り回しているような錯覚を抱かせる。

「いや、どんな錯覚だよ」

 さて、久しぶりのツッコミの間に、中肉中背の監督と、なるほどがっしりとして背の高い野球人らしい部長、永田が気持ち駆け足でやって来た。

「ほう、お前たちか、大した活躍もしないくせに金をせびろうという国会議員張りにどうしようもない人間は」

 阿修羅の一片の迷いもない悪辣な口調に、監督はぴくりと眉を動かしたが、そこは大人の対応で笑顔は崩さなかった。あ、さっきの台詞は別に作者の意向じゃありませんよ?

「いや、それでもねぇ、みんな実力もあげてきている。あと一歩で甲子園も狙えそうなんだ。だから、マシンや遠征費用のために、もう少し工面してくれるとこちらとしては助かるんだけどなぁ」

 基本的に、統合生徒会は他校のそれとは比較にならない権力を持っているため、たとえ理事長に直談判しようとも生徒会の承認なしにはほとんど物事は決められない。

「断じて許さない。女子マネが一人もいない癖に野球部の名を騙るとは嘆かわしい!」

「うわっ!」

 いきなり現れた彰人が、血涙を迸らせて高らかに叫びだした。

「さっきから姿がないと思ったら、ずっと探してたんですか」

「当り前だ!」

「いや、そんなはっきり言わないでくださいよ……」

 直哉が改めて失望していると、「ちょっと」と、永田が遠慮がちに声を掛けた。

「あのなぁ、俺たちだって努力してんだよ。それに、今年のメンバーはかなり充実しているんだ。この秋から来年の夏までみっちりやれば、全国制覇も夢じゃないんだよ!」

 周りから「おお!」とか「そうだそうだ!」とか、次々に野次や感嘆の声が飛ぶ。何と言っても、あの阿修羅に向かってタメ口で強く言い切っているのだ。その勇猛果敢さは讃えられてもおかしくない。

 まぁ、よく見ると足はがくがくとアブトロ○ック並に震えているのだが。

「ふん、この狭い国で一番になれるかどうか夢見るなど、底が知れたな。だから貴様はそこどまりなのだ。頭に苔などはやしている場合ではないぞ」

「苔じゃねぇよ! ちょっとバリカンで失敗しただけだ!」

 彰人は眼鏡の位置を直しつつ、

「ふん、女子マネもおらず、ましてバリカンを失敗するキャプテンのチームで全国制覇など、片腹痛いわ」

「うるせぇよ変態!」

「失礼な奴だな。筋肉馬鹿など人ですら無い癖に」

 阿修羅と彰人にいいようにかきまわされる永田。一向に、話は前に進む様子は見せない。

「君も大変だね……」

 少し離れたところで見ていた監督が、隣にいる直哉に話しかける。

 直哉は縦に首を振り、

「ええ、とても」

 と、物憂げな現実を帯びた溜息を吐きだした。

 コスメはどうしたものかと、困った笑顔で三人の口論を見つめている。

 しばらく不毛な口喧……もとい、有意義な口論を続けた後、阿修羅はこう切り出した。

「よし、わかった。お前らがどれだけ矮小な存在であるか、私自らが貴様らヘドロ脳に刻み込んでやろう」

 ざわついて第三グラウンドに、水を打ったような静寂が訪れた。

 この時、野球部員一同は間違いなくこう思っただろう。

 殺される、と。

 阿修羅を中心に空間が凝縮するような、胸を締め付けられる圧迫感。何より、その無表情の怜悧な美貌が見る者に激甚の恐怖を与えていた。

 逃げようにも、阿修羅に射竦められて足が一歩も動かなかった。

 野球部全員が半ば本気で、死を覚悟したとき。阿修羅は再び口を開いた。

「まぁ、私が本気で貴様らを駆逐しようとしたら三秒とかからんし、それではおもしろくない。ここはひとつ、お前らの得意種目である野球で勝負してやろう」

「へっ?」

 グラウンドを埋め尽くす坊主頭が、上から見ると波のように頭をかしげ、異口同音に呟いていた。

「呑み込みの悪い奴だな。いいか、お前らの土俵で戦ってやると言っているのだ。もし、万が一でも私たちが負ければ、望みどおり部費は増加。ついでに、私の下僕である須賀をこき使う権利をやろう」

「ちょっと! 何勝手に決めてるんですか!?」

「部外者は黙ってもらおうか」

 思いっきり商品の対象として当事者になっている直哉の意見を、阿修羅は完璧に叩き落とした。国が保証した直哉の人権など、阿修羅の前では口約束と同義だ。

「さぁ、どうする? それとも逃げるか愚物?」

 阿修羅は挑発するように、無表情に不敵な笑いを張り付ける。

「ふんっ」

 一早く立ち直った永田が、まっすぐに阿修羅を見つめて不敵に笑い返す。その表情には、さっきまでは無かった自信に裏付けられた余裕が確かに生まれていた。

「いいだろう。あとで後悔するなよ。素人との違いを教えてやる」

「ああ、さっさと準備を始めてもらおうか」

 もう一度、余裕の笑みを繕うと、準備のために部員を集めてベンチに戻って行った。

「なんだか、変な流れになって来たねぇ」

 遠巻きに流れを見ていた監督が、しみじみと呟いた。

「そうですねぇ……」

 直哉も人ごとのように答える。もう、なんだかどうでもいい。

「どうやら試合をする運びになったようですね。お互い。頑張りましょうね」

 と、コスメだけが、周りの空気に流されずマイペースだった。

「私も、一生懸命頑張ります!」 

 コスメはどういうわけか俄然張り切り、胸の前で両の拳を強く握った。

「そ、そうだね。頑張ろうか」

 コスメには突っ込めない直哉であった。


       4


 なんだかんだで準備を終え、直哉達は一塁側ベンチで試合を待っていた。

 直哉が先攻を決めるためにじゃんけんに出て行ったのだが、相手方の余裕で、先攻をとらせてくれるうえに、向こうの九回の攻撃はいらないという。つまり、一度攻撃を放棄してサヨナラ勝ちもいらないというハンデというわけだ。

 まぁ、素人が相手だからもっとハンデがあってもいいはずなのだが、おそらく阿修羅や彰人の超運動能力を警戒してのことだろう。大体からして、四人しかいないチーム相手のハンデとしては少なすぎると思うが。

「最初のバッター、早く来てください」

 野球部側の準備が終わり、アンパイアがこちらに催促していた。

「さて、行くとするか」

 自信満々に自分の名前をトップバッターに書いた阿修羅は、ベンチ前で軽く首をひねったりして準備運動をしている。

「あの、阿修羅さん。失礼ですけど、野球がどんなものか知ってるんですか?」

 直哉は果てしなく不安だった。確かに阿修羅の運動能力の高さは認めよう。しかし、常識とか知識という面では甚だ不安が残る。こちらが四人しかいないことに何ら違和感を持っていないようだし。

「よくは知らん。だが、ボールを討てばいいのだろう?」

「ボールを『打』つんですよ。ほら、その刀置いてください。バットで『打』つんですよ。バットで」

「何だ、こんなのでは切れないではないか」

 阿修羅は冗談を言わない。どんな時でも本気だ。だから、凄まじく不安。

「切れなくていいんですよ。いいですか、打って前に飛んだらベースを順番に回ってホームに帰ってくるんです」

「うるさい奴だな。黙って見ていろ。私の活躍を」

 そう言って、似合わないバットを腰に差す(落ち着かないらしい)と、いつものように毅然とした足取りで打席に向かって行った。

 見送る直哉は、やっぱり果てしなく不安だ。あえてツッコまなかったが、阿修羅の服装がユニフォームではなく何故かパジャマであることも不安でならない。

「プレイボール!」

 阿修羅が打席に入ると、アンパイアがコールを掛けた。

 ピッチャーは登仙府録野球部のエース。百四十キロ前半のストレートと、縦に割れるカーブが特徴で、球団スカウトの評価も高い。はっきり言って、普通に考えれば初心者が打てるピッチャーではない。

 対して阿修羅は、打席で構えようとせず、仁王立ちして相手を見据えている。

 そして、バットをマウンドのピッチャーに向かって突きつけた。所謂ホームラン予告というやつである。あくまで世間的にはであって阿修羅がどう考えているかは分からないが。

「ツーストライクまでは見逃してやる。一球あれば十分だ」

(わー、阿修羅さん。野球のルール一応三球でアウトってことは知ってるんだぁ……)

「って、違うでしょ!? 何初心者なのに余裕ぶっこいてんですか!?」

 直哉は心の中でノリツッコミという高等テクニックを駆使した。

「まぁ、阿修羅さん、格好いいですね」

「そ、そうだね。格好いいね」

 それで打てればね、と、激しく叫びたかったが、コスメなのでツッコミが入れられない。

 最初は困惑していたピッチャーも、直哉がツッコむがツッコむまいか葛藤しているうちに簡単にツーストライクを取っていた。

「よし」

 阿修羅は深く深呼吸すると、バットを居合抜きの要領で腰に携え、静かに目を閉じた。

「これで、どこに投げようが、私の刃は確実に標的を捉える」

いや、刃ありませんからと言いたかった直哉も、今は黙って状況を見つめている。

マウンドのエースも緊張した面持ちで、第三球を投じた。

ゆっくりと、綺麗なバックスピンの掛ったストレートがホームベース上を通過する……。

その瞬間、阿修羅はカッと鋭く目を見開いた。

「はぁ!」

 そして、腰元のバットを一気に抜き放つ。

「……」

 数瞬の沈黙。

「ストライクバッターアウト!」

 アンパイアの声が乾いた青い空に響いた。

 バットは風切り音すらせず、虚しく空を掻いていた。

「よし」

 阿修羅は何かをやりきった顔で、頬を伝った一筋の汗をぬぐい、来るときと同じ毅然とした足取りでベンチに引き返してきた。

「よし、じゃないでしょう。三振じゃないですか」

 直哉は呆れて嘆息する。阿修羅ならよもや何とかしてくれるやも……。とやんわり甘い期待を抱いていたのだが、やはり所詮は初心者ということだった……。

「おまえは、何を見ていたのだ。見ろ、神業だぞ」

 と、思っていたのだが、阿修羅が何か意味深な発言をしたので、阿修羅の指差す方向に視線を転じる。

 そこではちょうどキャッチャーが返球作業をしているところだった。

 キャッチャーがマウンドにボールを投げ、ちょうどマウンドとホームベースの中間辺りにボールが来たところで、

「えっ……?」

 ボールを中心として真一文字に空が割れたかと思うと、轟々と雷雲が轟き、真円のボールは真っ二つに切断され、ぽとりと地面に落下する。

「……………………」

 直哉や野球部員が呆然とその光景を見つめていると、割れた空は徐々に傷口をなくし、最後には何事もなかったようにトンビが割れ目のあった場所を横切った。

「見ろ。私だからできる技だぞ」

 とは阿修羅の言葉。

「……うわぁ、凄いですね〜……って、何なんですかあれは!? 何でボールが真っ二つになるんですか!?」

「『珸瑶瑁流、無明(むみょう)新月(しんげつ)の祓―型無の残影―に決まっているだろう。まぁ、刃の無い刀であそこまでできるのは私ぐらいのものだろうな

「いやいや! 二百万歩くらい譲ってバットでボールが切れるとしましょう!? でも、時間差でボールが切れるのはあり得ないでしょう!? しかも、空割れるし」

「私がしたんだ。空が割れるくらい当り前のことだ」

 阿修羅はいつになくご機嫌で鼻高々(のように直哉には見えた)だった。

 が、阿修羅の常識で決まってるだろうと言われても、普通の人間である直哉に納得しろと言う方が無理である。まぁ、それでも直哉は今の説明で納得する他ないのだが。

 とにもかくにも、いくら非現実な事が起こったとしても。

「今の、野球だったらアウトですからね、阿修羅さん」

「なに? 私の美技は点数にならないとでも言うのか?」

「ええ、今のは野球で言えば三振でしかありません」

 阿修羅は退屈そうに顎をに手を当て、

「おかしな競技だな」

 理解しかねるといった様子で深く憂いた。

 いや、おかしいのはあんたの頭と身体能力だよ。と、直哉は言いたかったが、そんな事を言ったら後の攻撃が怖いので、当然ここは黙していた。

それでもなんとか、眼でその意志の片鱗位は伝わらないかと努力してみたが、やっぱり無理だった。

 その後、彰人が見本のようなセンター返しで出塁し、一応何ヶ月か野球をしていたことがある直哉が奇跡的にバットに当てるが、セカンドゴロでダブルプレーに倒れてしまった。

「使えん奴だな」

「……」

 阿修羅の言葉に、チャンスを潰した直哉は言い返す言葉もない。

(とにかく、気を取り直さないと)

野球を知っているのは恐らく自分と彰人だけだ。こちらは四人しかいない以上、守備シフトはかなり思案しなければならない。

「よし、投手は簾舞会計。捕手は彰人。須賀は適当に守れ」

 と、直哉が思案する間もなく阿修羅が決めてしまったので、直哉は思わずズッコけてグラウンドを顔面スキーするハメになった。

 驚異的な回復力を見せた直哉は、顔に傷一つ付けずに立ちあがり阿修羅に詰め寄った。

「ちょっと! なんで勝手に守備決めてるんですか!? 阿修羅さんどうせキャッチャーとピッチャーしか知らないんでしょう!? っていうか、阿修羅さんの守備はどうするつもりなんですか!?」

「私は監督に決まっているだろう」

「正気ですか!? 今でも四人しかいなくてシフトはガラガラなのに、三人になったらそれこそ守備なんて出来ませんよ!」

「いちいちうるさい奴だな。いいからお前は自分で考えてさっさと守備に付け。見ていればわかる。何より、お前に決定権は無い」

 阿修羅にそこまで言われれば、直哉も引き下がるほかない。

それに「見ればわかる」というのだから、阿修羅にも何か考えがあるのだろう……。

 そう考えなければ、直哉は落ち着いて守備に付けなかった。

 とりあえず、ファーストに走っていける距離でセカンドを守っておく。これでなくてはならないファーストを埋めて多少の守備ができる。外野なんてカバーできる範囲は知れているので無理だろう。後はバッテリーの出来次第だ。

 直哉がバッテリーに転じると、彰人は立ち投げで、コスメはまだ肩を作っている状態のようだった。投げ方は完全に肘の伸びきらない、典型的な女の子投げ。どう考えても、野球部に通用するボールを投げられるとは思えない。

 相手側の考えていることは同じのようで、今や野球部の注目はコスメの投球よりも、ニーソックスとショートパンツのユニフォームの隙間に見える健康的な太もも、通称『絶対領域』に視線を集めていた。

「おーっし、それじゃあ座っていくかぁ」

 感覚のあまり分からないコスメに代わって、肩が出来上がったと判断した彰人は腰を下ろす。どうやら、本格的な投球練習に入るらしい。

(そろそろアップ位はしとかなきゃな……)

 そう思って、コスメから視線を剥がし屈伸をし始めたところ。

『ズバシコォオン!』

と、しか表現しようがない、艦砲が直撃したような衝撃音がグラウンドに響いた。

直哉も、弛緩した空気の野球部も、音の発生源に向き直る。

 そこではまた、断続的に衝撃音が鳴り響いていた。

 コスメが投球していた。

 キャッチボールの時と同じような女の子投げで、百マイル(約一六〇キロ)を軽々と越えるであろう、ナチュラルムービングファストを彰人のミット目がけて投げ込んでいる。

 直哉も、野球部員たちも、ただ顎が外れたように呆然と口を開いたままコスメの投球を見つめている。

 ただ阿修羅だけが満足気に顎を撫で、勝ち誇ったように鼻で笑っていた。

 直哉はコスメと最初に出会った時のことを思い出していた。

(そう言えば、確かあの時あり得ない動きをしていたような気がする……)

 今考えると(気づくのが遅すぎるが)、あれは人間の動きではなかった。まぁ、宇宙人なのだからそれは当り前なのだが。

(けど、これならなんとかなるかも知れない……)

 野球部の表情も余裕から焦りに変わっていることは明白だ。事実、このボールならプロでもそう簡単には打てそうもない。

(よし、行ける!)

 直哉は心の中で意気込んで、拳を固く握りしめた。

「プレイボール」

 審判の声が響く。

 だが。

「ぐぎゃ!」

 ひとつ、重大なことを見落としていた。

「あぎゃ!」

 コスメが。

「ぐあああ!」

 まったくの野球ド素人だということを。

「デッドボール!」

 三度目のコールが青空に木霊すると、あっという間にベースはランナーで埋まった。

 ただし、塁上にいるランナーが全て、打席に立ったバッターとは変わっている。

「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 決してわざとじゃないんです!」

 コスメは搬送される人たちに向けて、ひたすら平謝りをしていた。

 打席に立った者は皆、今頃白衣の天使が勤務する薬臭い建物に搬送されているだろう。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 ひたすらお辞儀する機械になっているコスメ。

「いや、いいよ。野球部なのによけられないのも悪いんだ」

 野球部員たちも、コスメが悪気でやったことは重々わかっているので、誰も怒鳴る気にはなれなかった。

 病院に運ばれた選手の容態を知るまで、試合はしばらく中断となった。

 数十分後。永田の携帯に電話がかかって来た。

「今田は肋骨四本骨折。田中は上腕二頭筋断裂及び上腕骨骨折。小林は尺骨粉砕骨折だそうです」

 レギュラー陣一番から三番の長期離脱確定宣告だった。

「……」

永田の言葉を着た監督は、思わず沈黙して項垂れた。

「本当にごめんなさい。ごめんなさい。私、こんなことになるなんて思わなくて、野球なんてするの初めてで本当に楽しかったから、加減ができなくて……」

 泣きそうになりながら、誠実に謝る美少女を詰れる人間はやはり誰一人いなかった。

「それで、どうする? 試合はこの辺りで止めておくか?」

 阿修羅が全く表情を変えずに問いかける。

「冗談じゃない! こんなところで止められるか! 入院した今田達のために。絶対にっ勝って部費アップを認めさせてやる!」

「ふむ、まぁ私は構わんが」

 熱くなる永田とは対照的に、阿修羅は冷静なまま。むしろ冷静というより冷酷と言ったほうがしっくりくる。まるでこれこそが阿修羅の狙っていた事のようにさえ思えるほどだ。

「それじゃあ、こちらはバッテリーを入れ替えて試合再開だ」

 またしても、阿修羅が仕切って試合は再開された。

本当にそこはかとなく、「試合が続くとは、面倒なことになったな」と、顔に書いてあるように見えた。

 結局、後続は彰人が、球の出どころが見づらいフォームからの一四〇キロ後半のストレートと、手元で曲がる一三〇キロ台後半のスライダーとフォークで簡単に三者三振に切って取った。コスメはキャッチャーとして未熟だったが、彰人の完璧なコントロールでミットを構えているだけでよかった。

「あの、彰人さんって野球したことあるんですか?」

「ん? いや。学校の授業で二、三回くらいしたけどな」

 直哉の質問に、彰人は何でもないことのように答える。

「す、すごいですね。野球でプロとか狙えるんじゃないですか?」

「ん、まぁな、今からちょっと本気出せばできるんじゃないか?」

本当に、彰人は嫌味なくらい超絶運動神経の持ち主だった。

「じゃあ何でスポーツ選手やらないんですか? 収入だって、多いですし」

「まぁ、女子アナと結婚するのも悪くないが……そうだな、汗臭い男共と青春の汗を流すのなんざまっぴらごめんだ。今回は状況が状況だけに仕方なくやっているけどな。それに、政治で世界の覇権をとって、児童買春及び児ポ法を廃止。それから一夫多妻制を世界標準にするのが現在の目標だ」

 教育的にも道徳的にも不適切な発言をしながら、彰人は爽やかに白い歯を輝かせる。

「……………………」

神は何故この才能を他の努力する人間に与えなかったのか、本っ当に、直哉は納得がいかなかった。


       5


その後、両ピッチャーの好投によって試合は八回ツーアウトまで両者一点も取ることができず、ゼロ行進のまま試合は終盤まで進んでいた(阿修羅は一打席目で飽きたらしく、それから打席に立っていたのは三人で阿修羅の分はアウトにされた)。

二死無塁。レギュラー三人の抜けた野球部は彰人に三振の山を築かれ、未だ素人(実質的にはプロ選手並みだが)の彰人から一人もランナーを出せないという屈辱的な責め苦を味わっていた。

打席には部長、永田。ここまでの打席は全て三振で終わっている。

「ストライッ!」

 一球目、アウトローいっぱいのスライダーを空振りした。

「くっ……」

 悔しいし、納得もいかないが、彰人は自分の実力よりも上手だった。このまま自分がいつも通りのバッティングをしても、おそらく三振するのが関の山だろう。

「ストライッ!」

 二球目は抜群のコントロールで、審判のさじ加減で若干広くなっているインハイいっぱいにストレート。これも絶妙なところに決まった。

 追い込まれた。おそらくあのコントロールなら遊び玉は無い。そして、ここで点を取れなければ、九回の攻撃がない野球部は最悪引き分けしかない。

 負傷した仲間のためにも、必ず部費を上げなければならなかった。

(この際プライドなんか関係ない!)

 彰人がラストボールを投げた瞬間、右手をバットの中ほどを持って寝かせた。

「セーフティ!?」

 直哉が驚くより早く、コンという小気味良い音を立て、ベース前にボールが転がった。

 彰人はさすがに反応が早く、バントの構えをした瞬間に走りだしている。

 ボールの勢いはバントとしては殺されすぎていて、普通ならアウトになるところ。しかし、コスメは突然のことでわけがわからずオロオロしている。彰人がとってから投げたのでは間に合わない。

「コスメ! それ拾ってこっちに投げて!」

 すかさず、ファーストの直哉がベースに付いて叫んだ。

 その声でハッとしたコスメは我に返り、ボールを拾って直哉に向って思い切り投げた。

(これで……スリーアウト)

ひとまずこちらの負けがなくなり、野球部の下僕として使われることが無くなって安心した直哉だったのだが。

 ひとつ、やはり重大なことを見落としていた。

 今までは彰人のボールを上手くとっていたのですっかり忘れていたが。

 やっぱりコスメは野球ド素人だった。

「えいっ!」

 気合いの声と共に投げられたボールは直哉の数メートル横を弾丸のように通過し、失速する事無く轟音を立てて外野フェンスに突き刺さった。比喩ではなく、文字通り物理的に。

「嘘でしょ!?」

 慌てて直哉が走って取りに行くが、ファーストから外野に走って間に合うはずもなく、直哉がボールに触れる前に永田はホームに帰っていた。

「点を取られた……」

 と、シリアス野球漫画っぽく呟く直哉を無視して、彰人はすでに投球を再開していた。

「って! ちょっと待ってくださいよ!」

なので、外野で呆然とする暇もなく、直哉はファーストに戻らなければならなかった。

 後続のバッターもバントを試みたが、彰人がバットにすら当てさせない投球であっという間にスリーバント失敗に切って取った。

 九回の攻撃が始まる前。

 生徒会チームは阿修羅の周りに円陣を組んだ。

「ふむ、点を取られたか……」

 阿修羅は普段の無表情とは違い、顎に手を当てて若干憮然とした思案顔になっていた。

「あの、ごめんなさい。良く分かりませんけど、私が変な所に投げちゃったから点数取られちゃったんですよね?」

 コスメはまた深々と頭を下げている。実に本日二十四回目の謝罪の言葉。今日は謝ってばかりだ。

「ああ、別に簾舞会計を責めるつもりはない。悪いのは須賀だ」

「俺ですか? なんでまた?」

「そうだな、まぁ理由は色々あるが……一番の理由はなんとなくだ」

「そんな理由で……」

 いつものことながら、直哉は溜息が出てしまう。

「それとも、お前は初心者の女子に負けの責任を押し付けるとでも?」

 時々、阿修羅はズルイというか、言い回しが狡猾だ。

「……わかってますよ。ファーストの僕が警戒してダッシュ掛けなかったのも点をとられた責任ですし」

 直哉とて男だ。好きな(現時点で直哉の認識は気になっている程度だが)女の子を庇ってやりたいとは思う。それに、よくよく考えてみれば、もしコスメがストライク送球を自分に投げていたとしても、あんな弾丸を取れる自信など無い。

「取られた点をいつまで言っていても仕方ない。問題は勝つ為にどうやって加点するかだ」

「おお……」

 阿修羅が珍しくまともなことを言ったので、直哉は思わず感嘆の声を上げていた。

「それで、何か作戦があるんですか?」

 阿修羅に対して初めてかもしれない期待を抱いて、直哉は阿修羅に先を促す。

「知らん。そんなもの、ルールすら知らない私に聞くな」

 と、自称監督が威張って言い張った。まぁ、阿修羅にとって監督とは、威張ってベンチに立っているだけのイメージなので仕方がないと言えば仕方がないが。

 少しでも期待した直哉は反動も大きく、長めに落胆の溜息を零した。

「ネクストバッター! 用意してください!」

 無駄なミーティングをしている間に相手側はすでに守備についていた。

「まぁなんだ、とにかくあの柵を超えれば一点入ることくらいは知っている。だからとりあえず、あの柵を越えてこい」

 阿修羅のわけのわからないまとめでミーティングは終了し、彰人はバッターボックスに向かった。

 ここまで彰人の打席は八打数(四人なのでやたらと打席が回ってくる)三安打。エース級相手にこれだけ打てれば殊勲ものなのだが、いかんせん、後続のコスメと直哉はまったく安打が出ないため、得点は入っていない。

(くそっ、なんとしても点を取らなければ……)

 平生、彰人はこういった汗臭い運動は基本的に嫌いだ。なので、こうして野球に懸命に打ち込むというのは体育以外では本当に珍しいことなのだ。

 彰人には負けられない理由があった。

(全宇宙の至宝たる淫行クリアの童顔幼児体型のための金を、こんなむさ苦しい男達なんぞに使ってたまるか!)

 そう、児童買春及び児ポ法の廃止を成し遂げるまで、宇宙の至宝はもっとも尊ぶべき存在だった。そのために、彰人は負けるわけにはいかない。

 彰人を突き動かすのは、果てしなく不純な情動だった。

 最終回ということもあり、気合いが入っているエースの球。

だが、本気になった彰人ならば打つことは不可能ではない。

「貴様らの汗に変わる金など一円たりともくれてやるものか!」

 彰人は低めの直球を思い切り振り抜いた。

「行けええええ!!」

 打球は放物線を描いて、レフトスタンド方向へ向けて一直線に飛んで行く。

(入った!)

 彰人が確信し、走る足を緩めたその瞬間。

 レフト方向から強風が吹き、彰人の打球を猛烈に押し返した。

「なっ!」

 スタンドイン確実だったはずの打球は直前で空気の壁にさえぎられ、フェンスに直撃して大きく跳ね返った。

「くそっ!」

 足を緩めていた彰人は必死で走るが、結局ツーベース止まりで終わってしまった。

 仮に彰人が無理をして三盗を決めたとしても、残りの二人がスクイズなど点を取れる確率は極めて低いだろう。阿修羅が打席に立ったとしても、阿修羅では逆に実力がありすぎてボールが割れるだけで前に飛ばない。生徒会チームの勝利はもはや絶望的だった。

 案の定、直哉、コスメ、続けて三振に取られた。

 残るは阿修羅一人。

「ネクストバッター! これで打席に入らなければ試合終了ですけど、今度もアウトでいいんですか?」

 審判が最後の確認のために声をかけているが、阿修羅はベンチで腕を組んだまま動こうとする気配を見せない。

(ああ、これは負けたな。野球部できっとパシリにでも使われるんだろうな……)

 阿修羅を説得しても無駄だということは重々わかっているので、直哉はベンチに腰を下ろしたまま、悲観にくれて俯いた。

少し離れた位置に座っているコスメも、野球部の部費が上がるのは監督に恩返しができるので嬉しいが、自分のせいで生徒会のチームが負けてしまうという負い目があるので、素直に喜べないという複雑な心境で状況を見つめていた。なんとまぁ、世の中のよい子をまとめて集合体にしたような女の子だこと。

そんな重苦しい沈黙が蔽うベンチに、

「あれぇ? 生徒会棟にいないと思ったらこんなところにいたんだぁ。何してるの?」

 どこ吹く風と入り込んできたのは、そんな呑気で明るい声だった。

「お姉ちゃん?」

「エステさん?」

 だった。

 迷い込んだ子供のようなエステが、いつもの白衣姿で不思議そうに首を傾げている。

 それをじっと見ていて阿修羅は、何かを閃いたようにポンと手を打つと、

「よし、代打、簾舞エステ」

 審判を指差し、声高に言い放った。

「「えええええ!」」

 コスメと直哉が驚愕の声を叫ぶ中。

「え、何? 何の話?」

 キョトン。

この言葉の語源も定かではないが、状況を理解していないエステはキョトンとして首を傾げている。

「実はだな、簾舞研究員。かくかくしかじか、というわけなのだ」

「なるほど、そう言うことね」

 阿修羅のツーカーの仲頼みの意味不明な説明でコスメが何を理解したのかは不明だが、エステはバットを持つと、バッターボックスに入って構えをとった。

「お姉ちゃん大丈夫かしら? 怪我とかしなければいいけど……」

 見守るコスメの台詞は、完全に過保護の親のそれだった。

 確かに、体に不釣り合いの長さを持ったコスメは、金属バットの重さでふらふらと揺れており、見ている者も気が気ではない。


 野球部一同は当惑していた。

 コスメは授業には顔を出さず研究室にいることが多いため、一般の生徒の多くはエステの存在を知らない。そのため、野球部の面々には初等部のちょっと可愛い感じの女の子がまぎれこんできたように見える。

 バッテリーは意図せず阿修羅の方を見る。相変わらず、阿修羅は無表情で腕を組み戦況を見守っていた。

(俺たちが子供だからと言って手加減すると思っているのか…? だとしたら、なんとも姑息な手だな……)

 そう考えてみれば、小柄な体でベースに覆いかぶさるようにしているようにも見える。

(悪いが、その手には乗らない。怪我をしたあいつらのためにも部費は必ず上げなければならないからな)

 バッテリーの呼吸は整っている。お互いが何を考えているかは言葉にせずとも伝わった。

 キャッチャーのミットの位置は、エステの頭上辺り。一球速球でビビらせて、ホームベースから離れさせてからストライクを取ろうということだ。

 マウンドのエースは振りかぶり、一球目を投じる。

「きゃぁ!」

 思惑どおりに投じられたボールはコスメの頭上を通り、コスメは短く甲高い悲鳴をあげて、ペタンと地面に尻もちをついた。

「ああ!」

 コスメは驚いたような声を上げ、両手で口を覆っている。

 ベース上で同じ仕草をとった彰人はオカマっぽく微妙に気持ち悪い。

  にやりと、マウンドのエースは白い歯(若干黄ばんでいる)を覗かせた。思惑どおり、という言葉が顔に現れている。マスクで隠れていて見えないが、キャッチャーも同様の表情を見せていた。

 後はビビってホームから離れたところを、三振に取るだけ……。

 と、思っていたのだが。

 ズダン!

 その直後、直下型地震のような振動が地面を揺るがした。

「な、なんだ!?」

 野球部達には何が起こったのかわからず動揺して右往左往している。

落下物を避けるため、ベンチにいた直哉達は慌てて(阿修羅はゆったりとだったが)グラウンドに飛び出していく。

 震動はそれから数十秒ほど続き、ほどなくおさまりを見せ始めた。

「ようやく治まったか……」

 直哉がホッと一息吐いた時。

 ゴゴゴゴゴ……。

 今度は携帯のバイブレータのような細かい振動が、断続的に響いている。

「今度は何だ……?」

 直哉は原因を探ろうときょろきょろとあたりを見回すが、辺りには特に異常は見受けられない。その間にも、震動は徐々に大きくなり、響く音も比例して耳に痛いほどになってきている。

 グラウンドの人間が全く状況を理解できずあちこちに視線を彷徨わせる中、エステだけが、ただ一点を見つめて気まずそうに頭を掻いていた。

「……エステさん?」

 やけに落ち着いているエステに違和感を持った直哉は、エステの向いている先によく目を凝らして見る。

「げっ……」

 そして、絶句した。

 エステの視線の先、『それ』は目前にまで迫ってきていた。

 『それ』に似たような光景を、直哉はテレビで見たことがある。

 サバンナの大草原を、怒涛のように、あるいは迫りくる大波のように、ヌーの大群が圧倒的な質量で押し寄せてくる。壮大な映像。直哉もテレビで見て思わず感嘆の声を漏らしたものだ。

 それが今現実の物として今こちらに押し寄せている。

 抱いた感情は恐怖だが、それは死を予感させるような恐怖ではなく、例えるなら、家の中でゴキブリを発見したとき、それを数十倍に増幅させたような生理的な恐怖。

 押し寄せてくる動物はヌーではなく、ましてや脊椎動物ですら無かった。

 巨大な、ナメクジ。

「うわあああああああ!!!」

 その姿が全員の視認できる距離に着た途端、野球部員たちは堰を切ったように一斉に絶叫を上げた。

 数十を超える全長約三メートルの巨大蛞蝓が移動のために蠕動を繰り返すたび、巨大な質量の移動によって地面に震動が起こる。足音の無い奇妙な地響きだった

「あちゃ〜、やっぱり出てきちゃったかぁ…」

 エステは「クッキー焼き過ぎちゃったなぁ」ぐらいの軽い感覚で言ってのけた。

「出てきちゃったかぁ、じゃないですよ! 何なんですかあの明らかに規格外の軟体生物は!?」

「ええ? いや〜あれね〜。え〜っと〜……」

 なんとかはぐらかせはしないかと、視線を泳がせて言い訳を考えるが、どれだけ目を泳がせても言い訳に辿り着くことは無い。

「うぎゃああああ!」

 その間にも、野球部員達が次々と蛞蝓に襲われ、下敷きになって行った。

「エステさん、ちゃんと話してください」

 さすがに言い訳も無駄っぽかったので、エステは真実を話さざるを得なかった。

「あのね、実は私の身に危険が起こるとセンサーが感知して、地下研究室の檻が開くようになってるのね。それで、私の視界に映る敵と思われる人間に襲いかかるようになってたんだけど……。ちょっと手違いがあって、坊主頭を全部的に回しちゃったみたいなのね。あ、でも私が悪いわけじゃないのよ。だって、あんな危険物を私に向って投げつける方が悪いんだから」

 冷や汗を流しながら、あくまでコスメ達とは目を合わさず、しっかりと他人に責任を転嫁しようとしている。

 責任を追及したい直哉だったが、今はこの状況をなんとかする方が先だった。

「それで、どうやったらこの生き物をなんとかできるんですか?」

「うーんとね……」

 エステはしばらく顎に手を当ててしばらく思案するが……。

「わかんない。だってぇ、あとのことなんて考えてなかったんだもん」

 明るくそう言って、可愛らしくピンク色の舌をチラッと覗かせてウインクした。愛らしい容姿のエステがするとつい許して上げたくなる。

事実、直哉は何か気が抜けたようになっていたのだが、妹であるコスメはそうはいかなかった。

「考えてなかっじゃないでしょう? もう」

 コスメの言い方は幼子をたしなめるようなニュアンスが強い。

「だって〜、研究で忙しかったんだもん」

 しょげたように俯いて、エステは哀愁を帯びた仕草で両の人差し指をつんつんと合わせる。どう見ても子供にしか見えないが、これで直哉より八つも年上だとは驚きだ。

「それに、大丈夫よ。ちょっと気持ち悪い位で殺傷能力は無いし、本来は重量で行動を抑止することが目的だから」

「……本当にそれだけですか?」

 直哉は訝しげに眼を細める。エステが素直にありのままを話すとはとても思えない。

「…………………………」

 案の定、エステは直哉と視線を合わそうとしない。

「お姉ちゃん」

 コスメがずずいと顔を近づけると、エステは観念して口を拾いた。

「あの、ね、本当に大したことじゃないんだけど、遺伝子を組み替えているうちに、粘液がナイロンとか絹とかポリエステルとか、繊維質に反応して融解させちゃうように変わっちゃってるのね」

「ということは……?」

「簡単に言うと、粘液に触れると服が溶けちゃうの」

 姫騎士系のエロゲーのような設定だった。

 んなアホな、と言いたいのはやまやまが、事実巨大蛞蝓がいることを考えると決してありえない話ではないように思える。

 直哉は戦慄した。

 全裸で筋骨隆々の男達が、粘液と砂にまみれてグラウンドをのたうちまわる。

 いろんな意味で、激甚の恐怖だった。

「いかん! それはいかんな! 断固阻止せねば!」

「うわっ! 彰人さんいつの間に来ていたんですか!?」

 背後からの叫びに、直哉は驚いてその場から蛙のように飛び退く。いつの間にか、彰人が直哉のすぐ後ろに立っていた。 

「男の全裸など産業廃棄物以上の有害物質だ! エステさん、今からでもターゲットを第二屋外練習場の女子テニス部に変更できませんか!?」

「できたとしても、誰がやるかっての」

 エステは容赦なく、絶対零度の侮蔑の視線を送ったが、彰人は「冷たい眼もいいなぁ……」と言って恍惚に身を震わせるだけなので、エステはすぐ無視に方向転換した。

「何にしても、早く事を収めねば騒ぎを聞きつけて人が集まってくる。簾舞研究員の研究は秘匿事項も多い。早く始末せねば」

 非常時に及んでも阿修羅の反応はいつもどおり冷静沈着だった。

「うむ……粘液蛞蝓は惜しいが……これ以上この場に醜悪なものを公開するわけにもいかないしな」

 さすがの彰人も、阿修羅に言われるとしぶしぶ納得しているらしかった。それに、彰人も毛嫌いする男の醜悪なモノが公開されることを良しとしないだろう。

「では、存在した証拠を一切残さず、殲滅する」

 言うなり、阿修羅の姿が掻き消えた。

 直後、グラウンドに巻き起こった烈風とともに、時折閃光が煌めいて、巨大蛞蝓の姿が一体ずつ消えていく。

「どうなってるんだ……?」

「ああ、あれはな、『珸瑶瑁流、陣風陽炎の(きわみ)惨劇の残光―阿修羅の奥義の一つだな。巻き起こる烈風は地球上の物理法則を無視して移動する阿修羅の起こす暴風。その中でわれる神速の剣は原子単位で細胞分離破壊するため、あとには塵一つたりとも残らない」

 困惑する直哉に、彰人は注釈を加えた。

 どこのバトル漫画の技だよ、と直哉は呟きたくなったが、もはや現実を超越した阿修羅に呆れて何も言えなかった。作者がでしゃばったりと、相変わらずこの話はなんでもありの様相を呈している。

 エステは妹におぞましいものを見せまいと後ろから「だーれだ?」の要領で目をふさいでいる。塞がれているコスメは「お姉ちゃんですか?」とこの期に及んでのほほんと場違いなことを呟いていた。さすがは天然、というほかない。

 どうしていいのかもわからず、直哉は茫然としたまま、烈風が神隠しのように巨大蛞蝓を消していくのを黙って見守ることしかできなかった。

 数分後、グラウンドには大量の坊主頭が全裸で無数に転がっていた。

「……粘液まみれの死屍累々、か」

「いや、皆さんまだ息ありますから」

 阿修羅の呟きに、一応、直哉はツッコミを入れておいた。

「いっそこのまま息の根を止めれば部費アップも有耶無耶になるんじゃないか?」

「………………………」

 彰人の呟きにツッコミを入れる力は、今の直哉にはもう残っていなかった。

「だ〜れだ?」

「ええ〜? お姉ちゃんじゃなかったら誰なんですか〜??」

 グラウンドには、虚しさの残る風音と、簾舞姉妹ののほほんといた声だけが響いていた。


        6


 その後、どのような方法を用いたのかは定かではないが、野球部員たちの試合前後の記憶はきれいさっぱり消去され、全裸の野球部員たちは騒ぎを聞きつけてやってきた女子部員たちから、凄まじい悲鳴の後、激しい打擲の嵐を受けたという。

 直哉はエステの「あの時調合の仕方聞いておいたのが役に立つとはねぇ……」という意味深な発言を聞いていたが、真相を聞くのも怖い、というか面倒くさいので、深く追及しようとは思わなかった。

 多数の損害を被った野球部は、無くなったユニフォームや破損したフェンスの修理代という名目で、統合生徒会直属研究部から多額の費用が捻出されたため、野球部は実質部費アップを得ることができた。

 しかしその後、これに追随して部費アップしようという輩が現れることはなかった。

『生徒会に係わるとひどい目に逢う』

 その言葉を改めて全校生徒に浸透させるのに、『野球部全裸記憶喪失事件』は十分すぎるほどの効果を持っていたのだった。


 

 またひとつ、生徒会に伝説が生まれた。


 めでたしめでたし。

「……別にめでたかねーよ」


 

 直哉は自宅で一人、人知れず呟いた。


第三話に行っちゃう

第一話に戻っちゃう

こんな普通の俺がここにいていいのかなぁと思うようになったふとこの頃のこと(長っ!)の部屋に戻る。

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