第一話 〜生徒会役員『下僕』……って、なんじゃそりゃ!?〜


      1


 春は出会いの季節だと、誰かが言っていた。入学式、入社式、新たな環境に踏み出すかららしい。あれ、違ったっけか? まぁ、とりあえずそんな感じ。

 しかし、須賀直哉(高校二年)にとっての出会いの季節は秋だった。

ちなみにこれから始まる物語は、両親の転勤で訪れた新しい学校でのこと。須賀直哉は、ここで常識では考えられない非常識な人間たちと出会う。

……良いか悪いかは別にして。

はたして、最後に待つのはハッピーエンドか?

それは作者(わたし)にもわからない。

これはその破天荒な記録でもある。


     2


 木の葉が舞う季節は不思議と物悲しくなる。

「腹減ったな〜」

 などということは、須賀直哉とは無縁の感情だった。

 今、須賀直哉は落ち葉の上に寝そべって、人生最大のピンチ(個人的に)を迎えていた。

 別に落ち葉に埋もれて死んでしまう。とかそこまで間抜けな話ではない。直哉はほとんど特徴はないが、そこまで馬鹿ではない。

 ちなみ、ツッコミ所はどんな状況でも見逃さないという、無駄な特技を持っている。

「あんたがそういう設定にしたんだろうが」

 直哉が何か言ったが、私には一切関係ないのであしからず。

 さてさて、話に戻ってなにをそんなに困っているのかというと、答えは簡単。

「ああ〜、両親の都合で引っ越してきて、今日はこの私立登仙録府(とうせんろくふ)学園に初めてきたんだよな〜。ちなみに、この学校は中高一貫教育の一万人以上の生徒を抱えるマンモス校で、たくさんの学科があるんだよな。んで俺は転校した初日に弁当を忘れて、友達もいないしお金ないから学食にも行けずこうして一人で空を眺めて雲が綿菓子みたいだな〜とか思ってるわけなんだよな〜」

 いやはや、なんとも説明口調の台詞ですなぁ。

「だから、あんたが言わせたんだろ」

 とにもかくにも、直哉は腹を減らして空を見上げていた。

「いや、無視かよ。まぁいいけど、腹減った〜」

 落ち葉ってうまいのかな…? 本気でそんなことを考え始めた直哉の視界を、不意に、女性の影がふさいだ。

 別に運悪く女性校長の胸像が倒れて来たわけではない。本当に女性が上から覗き込んでいるのだ。

「うわぁ」

 地球上の三割の女性があきれるような情けない声をあげて、直哉はゾウリムシのように地面を後ずさった。

「ぐおっ!」

 しかも、壁に頭を手ひどく打ちつけるというおまけ付きで。これでは三割どころか五割が見苦しさに目をふさぎたくなるような醜態だ。

 しかし、幸いなことに女性はそうではない側の五割の一人だった。

「あの、大丈夫ですか?」

 風鈴のように涼やかな声が口から紡がれる。

 ちなみに言うと、その女性は結構直哉のストライクゾーンに針の穴を通すコントロールでど真ん中に投げ込んでくるほどの美人だったりした。

 絹のような栗色の髪は緩やかに春の風に揺れ、透き通った水晶のような青い瞳は一度見つめれば石にされたように体が動かない。滑らかな鼻梁は……ああもう、描写めんどくさい。とりあえず、すっげー綺麗な人がいたっちゅうこと。

「いや、この手抜き作者しっかりやれ!」

「? どうかしました? 打ちどころが悪かったんじゃ……」

 訳のわからないことをのたまう直哉を、女性は首を前かがみになって心配げに覗き込む。それはそうだ。直前に頭をしたたかに打ちつけた人間が突然意味不明な発言をすれば、誰だって脳に異常をきたしたと思うに決まっている。

 ふふ、変人扱いされたくなければ逆らわないことだな。

(くそ、覚えてやがれこの能無しめ)

 聞こえない聞こえない。おっと、女性は返答のない直哉をさらに心配げに覗き込む。

「あ、いえ大丈夫です。なんでもないですから」

「本当に大丈夫ですか?」

 女性はさらに顔を近づけてくる。その距離、曲尺にして一尺(約三十センチ)。体育祭のフォークダンスですら経験していない直哉にとって、その距離と言ったら、もうすでに武装地帯の地雷原ばりに危険な状態だった。

 さらに質が悪いことに、女性は天然色が強かった。

 だから、制服の胸元が開いていて、ヨセミテバレーもびっくりな谷間が直哉に満員御礼好評ロードショー中になっていることにまったく気付かなかった。

「い、いえ、本当に大丈夫なんで、だからその、少し離れて」

「いや、でも顔色がよくないですよ?」

 やわらかそうな谷間が迫ってくる。いやが応にも視線が行ってしまうのは男の性。同時に、硬くなる部分が出てくるのもこれまた男の性。直哉とて男である以上その例外の限りではない。まぁ、世の中には例外も稀にはいるが……一応直哉はまともな設定だ。

 いつまでも見ていたい気持ちはもちろんあるのだが、ここは公衆の面前。とりあえず、理性が残っているうちに女性には離れてもらわねば困る。

「あの、本当に大丈夫なんで。ちょっと昼飯食ってないから腹へって死にそうになってただけですから」

「そうですか? だったらいいんですが……」

 その説明で一応の納得を得たのか、女性はようやく直哉から離れた。

 直哉は良かったような惜しかったような、なんとも微妙な気分で溜息を吐いた。

(とにかくまぁ、これ以上この場にいるのも気まずい。さっさとこの場ぁから立ち去ろ)

 こんなぶっちぎりの美人に会えるなんてことは滅多にないんだから、ちょっともったいないかなぁ。なんて雑念は星の数ほどあるわけだが、今回はしぶしぶ諦める他なかった。

 のだが、ここで、直哉が考えもしなかった大事件が起こる。

「あの、それじゃあ、よかったら私と一緒にお食事をしてもらえませんか?」

 直哉はあまりの発言に、一瞬どころかたっぷり三十秒ほど耳を疑った。その疑い方といえばそりゃあもう、雛○沢症候群の比ではない。

「あの……その、本当に?」

 あれ?「著作権はどうした!?」的なツッコミを期待してたんだけど……。どうやら、当り前のツッコミができないほどに動揺しているようだ。

 なんか、それはそれでつまらないな……。

 さて、そんな心情はさておいて、女性は直哉の問いにはっきりとうなづいた。

「はい、本当はお姉ちゃんと一緒に食べるはずだったんですけど、急に都合が悪くなっちゃったみたいで、サンドイッチいっぱいあまっちゃうんです。だから、食べてくれたらうれしいなと思って…」

 女性は手に持った茶色のバスケットを軽く掲げる。

 夢だと思った。

 なので、直哉は思い切り頬をつねってみた。痛い。

いや、これじゃあ生ぬるいんじゃないか? と、いうわけで、もういっちょ。

「あの、思い切り平手で殴ってくれませんか?」

 直哉は自分の頬を軽くぴちぴちと叩いて「ここです、ここ」と女性に平手を求める。はたから見れば完全に変態だった。と、いうか不審者だった。周りに目撃者がいれば通報されて検挙されても文句は言えない。これで地球上の九割の女性がゴミでも見るような視線を向けるほどの侮蔑の対象になり下がってしまった。

「では、お言葉に甘えて(?)」

 しかし、直哉に負けないほど、女性も変わった人間の部類に入っていた。まぁ、そう出なければ見た感じなんら目を引く物のない直哉に声をかけたりなどしないだろう。

 そして、女性がその手を振り上げた、その刹那。

 バッチィィン!!!

 とんでもなく極太のゴムがはじかれた時のような強烈な音が響くと同時に、バットでぶっ叩かれたような激痛が頬に走り、そのまま四メートルほど吹っ飛んだ。

 とても女性に平手で殴られた時のリアクションではない。横からバイクでも突っ込んできたかのような見事な吹っ飛びぶりだった。

(じょ、冗談抜きで走馬灯が見えたぜ……)

 三途の川の一歩手前まで行ってまで得た答えは、直哉に揺るぎない確信を与えていた。

(ああ、これは間違いなく現実だ!)

 どう考えても当たり前のことなのだが、まぁ、いつの時代も痛み無くして何も知ることはないということで……。お、ちょっといいこと言った?

 と、いうか、女性の力でそこまで吹っ飛んだという現実ではほとんど起こりそうもない事実を前提に入れないとは、疑った割に考えが薄い直哉だった。

「ご、ごめんなさい! 手加減するの忘れちゃって。大丈夫ですか?」

「ひぇ、ひぇいき(平気)ですよ」

(あなたの弁当を食べるまで死ねるもんですか!)

 と、言う本心は一応隠しておいた。

「あ、そうなんですか」

 女性もそれほど深く考えるタイプではなかったので、追及はそこで終わった。

「それじゃ、木陰で一緒に食べましょ♪」

 そう言って、女性は天使のように微笑むのだった。

 直哉にとっての、天国のような時間の始まりだった。


「秋なのに、まだ温かいですね」

「そうですね〜」

「紅葉はまだまだ先なんでしょうか?」

「そうですね〜」

 女性の言葉に応える直哉はどこまでも上の空だった。

 直哉の人生の中で、ここまで幸せな時間は経験したことがなかった。

 うららかな秋の木漏れ日を浴びながら、美少女の隣で、美少女の作ったサンドイッチを食べながら、美少女を愛でる。素晴らしい、なんて素晴らしいのだろう。

 サンドイッチをもしゃもしゃと咀嚼して味わいながら、横眼で女性を窺う。

 女性はおちょぼ口に上品な仕草でサンドイッチを運んでいたが、直哉の目線に気が付くと、はにかんだように微笑んで頬を染めた。

 国色天香だった。べりーびゅーてぃふぉーだった。

 生きてて良かった。直哉は心から思った。このまま死んでもいい……とまでは思わなかったが、やっぱり幸せには変わりなかった。

「そう言えば、あまりお見かけしたことがないと思うんですけど、もしかして転校生ではありませんか?」

 口いっぱいに卵サンドを頬張った直哉はしゃべらず、よほど嬉しそうに頷いた。口の周りにたっぷりと汚れを付けて、世界で三本の指に入る馬鹿面をしている。

 と、それはまぁいいとして、そんな直哉の馬鹿面を笑顔で眺める女性は。

「あ、やっぱりそうですか。私は一年I組の(みす)(まい)コスメって言います。あなたのお名前は?」

 ペコりと小さく頭を下げた。

 コスメちゃんって言うのか。かぁいいなぁ……とか思いながら、質問に答えようと直哉は口いっぱいのサンドイッチを一気に飲み込み、

「えっふ! おっほん!」

 噎せた。

「あらあら、大丈夫ですか?」

 コスメは出来の悪い弟を可愛がる姉のような優しさをにじませ、噎せ返る直哉の背中をさする。恋人にしてもらいたいことベスト20には間違いなく入る芸当だった。美少女ならばなおさらだ。

至極、羨ましい。描写していてイラつくほどに。

 当然、さすられる直哉は夢見心地だった。

「あ、ありがとうございます。俺の名前は須賀直哉。今日一年G組に転入してきたんです」「そうですか。これから、よろしくお願いしますね」

「あ、はいどうもご丁寧に」

 ぺこぺこと、出来そこないの玩具のように交互に頭を下げ合う二人。

 そんな意味不明な光景は数分続いた後。

 二人は静かな昼食を終えた。

「そうだ、同じ学年だったら、敬語やめにしない?」

 せっかくなので仲良くなってしまおうと考えた、否、目論んだ直哉は少しでも親密になるべくそう提案した。

「いや、それはありがたいんですけど、私は普段からこの話し方なので、急に変えろと言われてもちょっと難しいです。でも、いいことだと思います。だから、直哉さんは普通に話してください」

「いや、直哉さんだなんてそんな……」

 コスメの話は「直哉さん」というたった一言でほとんどがぶっ飛んだ。女子から下の名前で呼ばれることなんて初めてだったからだ。

 直哉はそのまましきりに頭に手を当てるテンプレートな照れ方を実行していたが、コスメはしきりに唸って首をかしげて見ちゃあいなかった。

 そして、女性は閃いた一休さんバリのいい効果音とともに手を打ち、ピッと人差し指を一本立てた。

「そうだ、直哉さん、部活動決まってませんよね?」

「へっ? まぁそうだけど」

「だったら、生徒会に入る気はありませんか?」

「へっ?」

 同じよう言葉と疑問符を繰り返し、先ほどまでのコスメと同じように首を傾げる。

「実は私、生徒会役員なんですよ。今ちょうど席が一つ空いてるから、誰か来てくれたらいいなぁって思ってたところなんです」

「はぁ」

 なるほど、言われてみればコスメはどこか育ちのよさそうな気品漂う振る舞いをしている。きっと頭もよく人に頼りにされるタイプなのだろう。

「いや、でも、俺は……」

 生徒会なんてのは頭のいい人間の集まるお堅い集団だという、偏見にも等しい認識を直哉は持っている。明らかに自分がそのような優等生的な枠に収まる人間ではないことを自覚しているし、何よこの規模の学校で自分がそんな大役を務められるとは思っていない。

 な〜んていう考えは、

「私、直哉さんが来てくれたら嬉しいです」

 コスメがにこりと笑って軽く首を傾げれば、たちどころに消え去った。

 直哉が返事を返そうと、大きく口を開けたとき。

 授業開始五分前を告げる予鈴が校内一帯に鳴り響いた。

「あらいけない! 次私科学実験室でした! ごめんなさい。私お先に失礼しますね。もし生徒会に入るつもりなのだったら、放課後第三校舎裏の生徒会棟まで来てくださいね。それじゃあ私もう行きます!」

 そう言って、コスメは空になったバスケットを抱えると、時速四十キロ近いスピードで向かいの校舎に向かって駆け出し、二階の窓まで跳躍するというおよそ人間離れした敏捷性で次の教室へと向かって行った。

 直哉はそんなコスメの化け物じみた動きなど微塵も気にせず、ぼーっと、中空に手を伸ばして(急速に)小さくなっていく後姿を見送っていた。

「生徒会、かぁ……」

 入ってみるのも、悪くないな。と直哉は思い始める。いや、入るかどうかは後にするにしても、一度行って話くらいは聞いて見てもいいと思っている。それから、あわよくばコスメと仲良くなってアハハでウフフな青春を謳歌してしまおうではないかと言う邪な考えもきっちりと忘れずに。

「うん、放課後行ってみよう」

 そう決意して、直哉はとりあえず午後の授業を受けに教室に戻った。

 この時、この決断が後の苦労に繋がることなど、知る由もない。


       3


 たらふく食べてすっかり腹いっぱいになった直哉は、午後からの授業をしっかりと惰眠を貪って聞き流した。

 その睡眠の深さとくれば、伊豆小笠原海溝(深度世界五位)ともいい勝負なくらいだ。永久凍土に閉じ込められたマンモスを起こすほうがまだ簡単だったろう。当然、授業担当者のわざとらしい咳払いや物音は徒労に終わった。

「ふぁ〜……よく寝た……」

 そんな苦労など欠片も知らず、直哉は大きく伸びをして間抜けにあくびをかました。

本日の授業予定が終了した今、生徒たちは会話をしたり帰る準備をととのえたりと思い思いの時間を過ごしている。

担当教師の苛立ちを糧に手に入れた爽快感を味わいながら、のんびりと新品の教科書とノート(今日も開いただけで何も書かず)をカバンの中に詰め込んでいた。

座って寝られる人間ってのは羨ましいよなぁ。私はちゃんと環境を整えないと眠れない方だからなぁ……っと、話が主線からずれるところだった。

さて、そんな感じで支度をしている直哉に、これから級友となる男子生徒が声をかけた。

「うぃーっす。どうよ、もう学校には慣れたのか?」

 級友A(転校してきたばかりの直哉は名前を知らない)はさも昔からの友人に接するように気軽に声をかけてきた。クラスにだいたい一人か二人入る、馴れ馴れしく世話を焼きたがる部類の人間だった。

「ん、まぁ、慣れたといえば慣れたけどね。一日やそこらじゃまだわかんないけど」

 とりあえず、当たり障りのないセリフを返しておく。

「そっか、まぁわからないことがあったら何でも聞いてくれよな」

 親指で自分を指さして、級友Aはテンプレートなセリフをのたまう。何度も転校を繰り返してきた直哉にとっては、耳にタコやイカの三つか四つはできたセリフだ。

「うん、まぁそうさせてもらうよ……」

 なんとか溜息がこぼれそうになるのをこらえて、直哉はぎこちない笑みを返した。

「そういえば、お前もう何の部活に入るか決めたのか?」

 さっきと同じ質問をここでもされた。

(そういえば何でさっきから同じ質問ばかりされるんだろう?)

「ほら、うちは文武両道とか言って全員クラブに入らなきゃいけないんだよ。まぁ、面倒なやつは写真部とかほとんど活動してない部に入るのが普通だけどな」

 直哉が疑問に思っていると、その心中を察したかのように、級友Aは胸の中の疑問の答えを返してくれた。

 なるほど、そういえばここに来た時担任がそんなようなことを言っていたような気がする。ほとんど聞いていなかったのでかすかにしか憶えていなかったが。

「で? 結局何に入るのか決めたのか?」

 あーそういえばと直哉が頷いていると、級友Aが問いかけてくる。

 そこで直哉は、何気なく答えた。

「ああ、それなら」

 本当に、何気なく。

「生徒会に入ろうと思って」


 

 呟いた言葉に、ざわついて活気に満ちていたクラスの空気が、一瞬にして凍りついた。


「えっ? あれ?」

 北極からの風、なんていう生易しいものではない。いきなり液体窒素をぶっかけたような、そんな急激な凍結。クラスの皆は一様に動作を止めて、表情を固めたまま凍りついている。

 目の前の級友Aも、にこやかな笑いを浮かべたまま石化したように微動だにしない。

 一人だけきょろきょろと滑稽に首を動かす直哉は、不気味な人形館に一人取り残された迷子のようにも見える。

「へ? おれ、なんか変なことでも言った?」

 その一言は、凍りついた級友に掛ける熱湯になったようで、人形と化していたクラスメイトは生きていたのを思い出したように動き出した。

 しかし、元のざわつきは完全に影をひそめ、耳に届くのは風の音とあちこちから聞こえるささやき声ばかりだった。

「お、おまえ、それ、本気で言ってん……の?」

 ようやく呪縛が解けた級友Aも、小刻みに体を戦かせ、直哉を先に捉えている人差し指も力なく震えている。

 直哉は何がなんだかよくわからないまま。

「一応……はね。今日昼間に生徒会の人から誘われたんだ」

「お前! あ、あの生徒会から誘われたってのか!?」

 級友Aはそれがさも驚愕の事実だと言わんばかりに大仰に驚いて見せる。ノリ的には「マイケルジャクソンが格闘家転向だって!?」くらいの驚きだ。

周りのギャラリーのざわめきも、静かながらも確実にボルテージが上がっていき、ヒソヒソからコソコソくらいまでレベルアップした感じだ。

「表現がわかりにくすぎるわ」

 おっと、ここで久々のツッコミが。やはりこうでなくては。

 さてさてそれは置いといて、

「そ、そうか、まぁ、頑張って生き残れよ……」

 途端によそよそしくなった級友Aは最後に不可解な言葉を残してから、そそくさと直哉から離れて馴染みの友達とともに教室を後にした。

 それに触発されたのか、他のクラスメイト達も引き潮のように流動的に教室から立ち去っていき、教室に残されたのは直哉と誰が持ってきたのかも知れないミドリガメ(誰が付けたか名前はジョルジュ)だけだった。

「なんなんだよ……ったく」

 しばらく呆然とした後、とりあえずここにいても仕方ないので、直哉も生徒会棟へ向かうべくミドリガメを残して教室を後にした。

 後になって思えば、生徒たちが引いて行った現象を津波の前兆だと理解できていれば、あれほど苦労することは無かったかも知れない。


       4


「ここ……だよな?」

 第三校舎の裏手。コスメが言ったとおり、その建物はそこにあった。

 ただその建物は、他の校舎と比べて極めて異質なものだった。

 外観はヴェルサイユ宮殿を彷彿させる恐ろしいまでの豪奢な作り。直哉は実物を見たわけでもないので詳しくはわからないが、まぁ、それくらい豪華と言うことだ。

 生徒会棟を見上げる直哉も、あまりの驚きであいた口が塞がらない。ここが日本ではなく花の都パリだと錯覚しかねない圧倒的な空気と存在感を持っていた。

「学校の裏手にこんな建物があったのか……」

 最初に担任に連れられて教室を回った時はまったく気がつかなかった。確かに千葉某所ネズミ園並に広いこの学校では、自分たちの使う教室を最低限覚えればいいと担任も多くは案内しなかったが、それでもこれだけ豪奢で巨大な建造物を見逃すというのは、頭の緩い直哉もさすがに疑問に感じた。まるでわざとこの場所を避けていたようにも思えてくる。

 が、ゆるい頭では疑問に思うまでが限界で、その先の様々な推察に至るほどの能力は当然のように有していない。

「まぁいいや。中に入ってコスメを探そう」

 なので、何ら考えを持たず中に入っていくことにした。


 豪奢な外観に相違なく、内装も中世ヨーロッパの貴族が驚く凄まじさだった。

 内部構造自体は窓の少なさを除けば校舎とそれほど大差はないが、廊下にはチリ一つ見当たらない赤絨毯が整然と一直線に延び、壁には鹿の剥製やらアンティークチックな壺やらが立ち並び、「どうだ!」と言わんばかりに存在を自己主張している。

「ここは本当に生徒会が使う場所なのか…?」

 やわらかな赤絨毯を靴下で踏みしめながら(あまりに綺麗なので土足が躊躇われた)、当たり前といえば当たり前の疑問を、直哉は口にする。

 大体からして一生徒会が校舎ひとつ分もある建物を使用するとはどういう事なのか。普通生徒会用に部屋が割り振られる事はあっても、建物一つを丸々使用させるというのはまずあり得ない。しかも校舎よりも数段費用も掛っていそうな建物だ。理事長室だってここまで立派ではない。

『お前! あ、あの生徒会から誘われたってのか?!?』

 直哉が思い出すのは、名前も知らない級友Aが言っていた言葉だ。

「もしかして俺、地雷踏んじゃった?」

 よく聞く話だ。かわいい女の子に誘われてひょいひょい付いて行ったら、傷の入った「ヤ」-のつく怖い自営業のおじさんに「われわしの女に何すんじゃい!?」的な感じでお金をぼったくられる美人局的な事件。つまり、ここに呼んだのはコスメの陰謀で、人気のないところで強面の男に脅されて……。

「な〜んてな。まさかそんな危ないこと学校であるわけないよなぁ! 俺みたいな金の無さそうなの襲ったってしょうがないって!」

 馬鹿な事を考えた自分を笑い飛ばしながら、直哉は赤絨毯の上を歩いて行く。

 しばらく歩き続けて、階段を何度か上がり、何回目かの角を曲がったところで、ふと気がついた。

 自分のいる位置がいまいちよくわからない。

 THE・迷子。

 そんな言葉が脳裏をよぎる。

「嘘だろう!?」

 直哉は驚き、行くあてもなく走り出した。

 それから、あっという間に三十分の時が経った。

 目的地どころか帰り道も入口もわからない。

 紛うことなき迷子だった。

「まさか、この歳になって迷子になるとは……」

 直哉は自分の不甲斐無さを呪いつつ、がっくりと項垂れた。

「そう言えばおかしいと思ってたんだよなぁ。校舎と同じつくりだったのは一階の入り口近辺だけで、曲がり角と階段は縦横無尽に這いまわってるし、窓は一つもないし、今思い出せば、迷宮みたいだったしなぁ」

 というか、途中で気付かない時点でかなりの間抜けである。

 さらに加えれば、今まで一人たりとも人間と遭遇していない。意外とピンチだった。

「どうしたもんだ?」「困った困った?」などなど言ってもどうにもならないのに言わずにはいられない言葉たちを吐き出しながら、直哉は何かないかと辺りを見回す。

「ん?」

 すぐ近くの扉の上に、直哉の視線を引き付けるプレートがあった。

『会長室』

 と、見ているだけで威光を感じるような、力強い筆文字で謹厳に描かれている。

「とりあえず……聞いてみよう」

 なんにしても、ここでボーっと過ごして餓死で生涯を終えることは避けたい。とりあえず中に人がいないか確かめることにした。迷子になったというのは恥ずかしいが、背に腹は代えられない。

「すいません、誰かいませんか〜?」

 言いながら、軽くドアにノックを一、二度。

 が、返事らしいものはまったく返ってくる気配がない。シーンという聞こえるはずのない静かな音だけが、やけにはっきりと聞こえる。

「もしかして誰もいないのかな……」

『学校内で生徒が変死体。行き過ぎた体罰が原因か?』と言った民衆の目を引く明朝体が新聞で踊り、どこの誰だかわからない禿頭の大学教授や専門家にごちゃごちゃとあることないことを言われる未来は御免だ、と半ば真剣に考えながら、祈るような思いでドアノブに手を掛ける。

「おや?」

 そんな祈りが都合のいい時しか信じない神様に届いたのかは定かではないが、少し力を込めただけでドアノブはくるりと反回転し、あっけなく扉が開いた。

「のわわわっ!」

 まさか開くとは思っておらず、扉に軽く体重を預けていた直哉はそのまま転がり込むように部屋の中に吸い込まれていった。

 柔道の心得も運動神経もない直哉は、そのまま地面に強かに背中を打ちつけた。

「痛ててててて……」

 と、思ったが、

(ん? 思ったより痛くない)

 かなり強く打ちつけはしたが思ったより痛みは無い。地面はふわふわで弾力性があり、暖かで、まるで何かの毛皮のような……。

 とかどうでもいい描写をしているうちに、直哉はとんでもないものと顔を突き合わせていた。

「……」

 黄色い毛並みにイカしたシマシマ忘れない。きりっと釣り上った食肉目ネコ科ヒョウ属の鋭い目つきもベリークール。パックリと開いた口から覗く鋭利な牙も猛々しい。シベリア、アモイ、マレー、ベンガル、スマトラなどの種類がいる。

 学名Panthera tigris。という。

所謂。

「ト、トラぁ!?」

 である。

 直哉は思わず飛び退いた。

が、ニューヨークだかテキサスだかロサンゼルスだか忘れたが、『絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約』と異様に名前の長い条約があったことをすぐに思い出し(こんな時だけ記憶力がいい)、落ち着いてトラとにらめっこをしてみる。

 怖い顔に変わりはなかったが、どうやら生きてはいないらいしい。

冷静になって床を見てみればしっかりと虎柄で、ようやくこれが虎の絨毯であることが理解できた。

「な、何だよ。脅かすなよ。そうだよな、こんなところに虎がいるわけないよな。あ〜もう、びっくりさせるなよな……」

 直哉は安堵すると、立ちあがってほっと胸を撫で下ろした。

 顔が何故か後ろを向いてたり、その眼がぎょろりと一度動いていたり、毛皮が体温を持っているかのように妙に暖かったり、微妙に息遣いが聞こえていることも、この際細かいことは関係なかった。

「にしてもここは……」

 さっきから似たようなセリフばかりだが、今回もそういう他なかった。

 部屋に置かれた家具が多数。箪笥にベッドに化粧台。会長室、というよりは、会長の私室といった様相を呈していた。

「貴様、ここで何をしている?」

「どわぁ!」

 後ろから声をかけられたので、直哉は今度こそ心臓が飛び出るかというほど驚いた。

 二、三歩後ずさってから、後ろから入ってきたであろう人影を見つめる。

 その人影は、この学校の制服を着ていた。制服の種類や体の凹凸の関係から見ると、性別は女性。次に目に入ったのは、美しい銀髪の長い髪。白髪なんかとはわけが違う妖狐の尾のような妖艶さを従い伏せるようにツインテールでまとめられている。勝ち気に吊り上った大きな瞳は燃えあがる真紅に彩られ、刃物を連想さえる細く切れ長の眉が威厳を与えている。

 なんていう細かい描写は、正直直哉にとってはどうでもいい話だ。

 つまり、銀髪赤目の何処の国の人だか分らない怖い美人の女の人が、勝手に会長室に入っている自分を睨みつけているという事実があるだけだ。

 あっと、描写には書かなかったけど、女の人の腰元にはあるものが携えられている。

 ちなみに、直哉の視線は女の人そのものよりむしろそちらに向けられていた。

 その細長い棒状の物体は、傘でもなければ杖でもなく、ましてや卒業証書でもない。

 昔は身分の証として、武士だけが持つことを認められていた一品。

 よく切れることで知られ、菊一文字則宗や陸奥守吉行などが有名な、美術品としても名高い日本の武士の誇り。

 その物騒な技物が、女性の左の腰辺りに銃刀法違反など何のそのといった感じで堂々とぶら下げられている。

「で、ここは私の部屋になるわけだが、私の部屋に、見知らぬ男が、私の居ぬ間に、何をしていた?」

 そんな物騒な女の人が凄んで言うもんだから、直哉は思い切り狼狽して、

「いえ、その、俺は別に怪しいもんじゃ、別に下着を盗もうとか忍び込んでいろんなことしちゃおうとか爆弾をしかけようとか生物兵器でテロとか滅相もない!」

 混乱しているので言わなくてもいいことやわざわざ疑われそうなことをペラペラと喋ってしまっているが、混乱する直哉にはそれがどんなに状況を悪くするような発言が考えられるはずもなかった。

 その様子を、女性は混乱するでもなく、訝しがるでもなく、憤然とするでもなく、ただ腕を組み泰然と直哉を見つめている。

 それから、不意に唇を開いた。

「まぁ、私は心が広いから、話くらいは聞いてやってもいい。さ、とっととそこに跪いて懺悔するなり謝罪するなりで弁解を交えて私に事情を説明しろ」

 女性は甚だ尊大な態度を取りながらベッドに腰かけると、でんと腕をと足を組みふんぞり返った。

 直哉は頭の隅でそこまでしなくていいんじゃないかと思っているのだが、女性の不遜な態度が有無を言わせぬ迫力を持っていたので、大人しく膝をついて正座した。

 健康な男子なら涎を垂らして見つめる白く長い()御足(みあし)を組んでいるせいで見えそうなスカートの中身という夢の世界がすぐ眼の前に広がっている。

 なのに、健康な男子である直哉は、目の前の女性のオーラと言うかなんというか、不可視の威圧感に圧倒されてそんな気も起きなかった。

 まったくもって勿体ない。こんなチャンスは滅多とないのいうに。私だったらきっと…。

 っと、じゃなくって、直哉はとりあえずこれまでの経緯を話すことにした。

「あのですね、実は昼間にコスメ……簾舞さんに生徒会に誘われまして、それで放課後この生徒会棟に来るように言われたんですけど、ここ迷路みたいだから歩いているうちに恥ずかしながら迷子になってしまって、それで誰かいないかと思ってここに入ったわけです」

 と、言われてもいないのに雰囲気で敬語を使いながら、直哉は目の前の女性に対して説明をしていく。情けないが、人間こんなもんだ。

 女性は直哉の説明を咀嚼するようにうんうんと何度も頷いている。

 それから、おもむろに口を開いた。

「なるほど、お前の言いたいことはだいたい分かった。だがな、それは納得しかねる」

「? 何がですか?」

 今の発言のどこに納得できな部分があったのか、直哉が予想もしない発言に首をしかねる中。

女性はハッキリと言いきった。

「やっぱり目玉焼きには醤油だろう」

「いや! 誰もそんな話してませんって!」

 直哉は思わず、大阪で鍛えられたツッコミを披露していた。

「なんだ? やっぱりソースか? 私の友人にはメープルシロップとか言う変人もいたがお前もその口か?」。

 あまりの発言に、直哉は大きく嘆息した。

「あの、話聞いてなかったでしょう?」

 直哉の問いに、女性はさらに胸を張って言いきった。

「ああ、ちょっと眠くてな」

 発言はそれにとどまらない。

「おまえの話が詰まらなさすぎるのが悪い。それに、何で私がお前の詰まらない話を聞かねばならないんだ?」

 あんた、さっき自分で話せって言ったじゃないか。っていうか、なんなんだあんた理不尽すぎるぞ。と言う言葉を、直哉は喉の奥どころか歯の裏側ぐらいでなんとか飲み込んだ。

 こういう傍若無人な人には何を言っても無駄と相場が決まっている。

「とにかく、迷子になってしまったんです」

 これ以上話を長くするのも面倒なので、情報をかなりしぼって要点だけを伝えることにする。

「そうか、迷子か……」

 女性はすっと立ち上がると、

「じゃあ死ね」

 胸に七つの傷を持つ男のヘルメットを被った卑怯者のお兄さん的な台詞(表現が長すぎ、しかも一部の人にしか伝わらない表現)をのたまって、腰元の刀を引き抜きざまに一閃。

 いわゆる居合いと呼ばれる技だった。

「ぐひぃ……」

 音速を容易に超え、視認することすら難しいその一撃を交わせたのは、直哉にとっては奇跡的だった。っていうか奇跡だった。

 直哉はぎぃぎぃと首を後ろにまわして、恐る恐る状況を確認する。

 刀の届かなかったはずの壁に、どういうわけか真一文字に傷が走っている。

 直哉が交わさなければ、おそらく仲良しだった首と胴体との仲は永遠に断ち切られてしまっていただろう。双方、真っ赤な涙を流して。

 直哉はぶわっとおびただしい冷や汗を掻きながら、

「ちょ、いきなり何するんですか!? 今の俺がよけなかったら死んでたでしょう!?」

 素早く振りかえってものすごい形相で意義を申し立てる。

 が、当の加害者である女性はしれっとして、

「ああ、そのつもりだったしな。正直よけられたので少し驚いている」

 またしても何の臆面もなく淡々と言ってのけた。

 その時、直哉は本能的に感じた。

(こ、この人は普通じゃない。精神的にも、身体能力的にも……)

 そして悟った。

(逃げなきゃ()られる!)

 それから直哉の行動は迅速だった。

 恐怖で焦燥に駆られた人間の底力かも知れない。直哉は震える足に鞭を打って一足でドアを飛び出すと、脱兎の如き素早さで駆けだした。

「逃がさん」

 が、女性の反応は見事なもので、直哉が飛び出してからコンマ数秒足らずで部屋を飛び出すと、日本刀片手に和製ターミネーターそのもので直哉を追跡してくる。

 そりゃあもう怖いなんてもんじゃない。リアルに死を予感させるプレッシャーだ。逃げる直哉は必死の形相で駆ける。

「そ、そんなことしたらあなたも警察の厄介になりますよ!」

「問題ない。ここは私の城で、私がルール。愚鈍な烏合の衆が定めたくだらない法律などで私は縛られない」

「んな無茶苦茶な!」

「それに、事後の処理は抜かりない」

 女性はさらっととんでもない上に狡猾なことを口走っていらっしゃる。

激情の中にも冷静さを秘めた女性は美しいなぁ。うん、芯が強いというかなんというか。

「んなこと言ってる場合かぁ!」

 あら、ツッコんでる余裕ないでしょ。あんた逃げないとここでこの話終わっちゃうよ?

「……………」

 直哉は無言で背後から迫りくる無表情の悪鬼から逃れるべく、今までの、もしかしたらこれから先も無い位の素早さで左右の足を交互に前へと繰り出し、一心不乱に足を動かす。当たり前だ。必死に逃げなければ死ぬ。捕まればまさしく必死は必至だ。

 と、つまらない親父ギャクをしている内に、直哉と女性の距離は縮まっていて、すでに女性の間合いの圏内へ迫っている。

 直哉とて足は遅い方ではない。別段得意でない体育の中で短距離走は数少ない得意種目の一つだった。現に、転校先はどこへ行っても、体育祭ではクラス対抗リレーに選抜されるほどだ。

 が、はっきり言って女性の速度は規格外だった。オリンピックに出れば数々の世界記録を更新してメダルを五、六個貰ってきてくれそうだ。これほど早い人間を、直哉は見たことがない(本当は昼休みに一人見ているが、ボーっとしていたので覚えていない)。

 さらに不運なことに、直哉の前方は行き止まり。

八方塞がり。袋の鼠。思い浮かぶのはそんな慣用句ばかり。窮鼠猫を噛むとか背水の陣と言った言葉はこれっぽっちも浮かんでこなかった。いや、別に直哉の語彙力の無さを責めているのでは無く、単に勝ち目が絶望的だったわけで。

 遂に追い詰められた直哉は、まるで一体化するかのようにぴったりと壁に張り付いて女性と対峙した。

絶体絶命。むしろ絶対絶命。生存率1%以下。内閣支持率よりもダントツに低い。

「さ、そろそろ覚悟しろ」

 女性は何ら感慨を見せず、それこそ命令を実行する機械のように、無感動な真紅の瞳でまっすぐ直哉を見据えている。

「ちょ、待って待って! まず話し合いましょう! 話せばわかりますって! ね?」

 自分の命が懸っている分、直哉も必死に説得を試みるのだが、

「そうか、最後に言い残すことがあるなら勝手にしろ。私は自分の行動を変えるつもりはない」

 が、女性の返答はにべもない。取りつく島もないと言うよりは、取りつく島を探させる前に問答無用で沈められる状態だった。

(やばいよやばいって。こんなところで殺されるなんてまっぴらごめんだ)

 直哉が普段眠らせている頭を銅鑼で叩き起してこの状況の打開策を思案する間に、女性は刀をゆっくりと頭上に上げていく。刀身が一メートル以上もあり、裕に十キロ以上はありそうだが、女性はそれを片手で軽々と扱っていた。白い細腕は直哉の半分ほどしかないというのに、人は見かけによらない……って、微妙に使い方間違ってる?

 何はともあれ、直哉の命はもはや風前の灯だった。

「ちょ、待って! 待って! 後生だから堪忍して!」

 と、切羽詰まって何故か時代掛った口調で懇願する直哉。まぁ、今回ばかりはこの状況で「何はともあれじゃねぇよ!」的なツッコミを期待するのは酷だからやめておこう。

「安心しろ。痛くは無い。そうだな、一瞬で終わる。蚊に刺されるようなもんだ。気付かないうちに終わる」

 んなわけあるかい! と、平常時ならきっちりとツッコミを入れたいところだが、いかんせんもう後がないのでそんな余裕はない。

 その代わり、直哉の頭の中には今までの思い出が走馬灯のように流れていた。

 海で溺れて死にそうになった四歳の夏。初恋の女の子に振られた冬の橋の上。自転車のかごに宇宙人を乗せて飛んだ十二歳……あれ? 違う、これはいつか見た映画だ。転校以外にはあまりに思い出のない人生を歩んできたため、余計な映像を含めなければ走馬灯が成り立たなくなっていた。

(ああ……俺の人生何にもなかったな……)

 諦念を覚えた時の感覚は、昼食の献立を決める時のようにあっさりとしたものだった。

 目の前の女性の動きがスローモーションのように感じる。なんとなく白刃取りができそうなので手を伸ばそうとしたが、直哉の手はまるで止まっているような速度でしか動かず、改めて死を間際に頭だけがはっきりとしていることに気が付いた。

(ああ、終わった)

 死を覚悟して、直哉が静かに目を閉じたその時。

 ガチャリと、直哉の右手のドアが開かれた。

 日本刀の鋭利な刃が直哉の髪の毛を幾本さらい、はらはらと宙を舞うが、直哉の頭には傷一つ入らなかった。

(やっぱり、死ぬ時って痛くないんだなぁ。だって、絶対あの時人間の動きじゃなかったし。きっとスイカ割りより簡単に頭がパックリ割れて帰り血が……あれ? 死んだんならなんで俺考える頭があるんだ?)

 昔々、偉い学者さんがこんなことを言っていた。

『我思う故に我あり』

 自分、そしてこの世界すら存在しないのではないかと考えた学者さんが思い至った考えで、ごくごく簡単に言うと、「世界が存在するかどうかは分からないけど、本当は世界なんてないんじゃないかと疑っている私は確かにここにいるんだなぁ」ってことだ。

 長々と言ったが、まぁとにかく考えている直哉は確かにここにいた。

 直哉は恐る恐る固く結んでいた瞼を開く。

 びっくりするほど目の前に、丁寧に磨かれた白銀の刃が、両目のちょうど中間、頭皮から一ミリの隙間もなくぴったりと密着している。

「うひっ」

 喉の奥から虫が飛び出たような奇怪な声が、直哉の口から零れる。瞬間、頭が真っ白になって、壁を伝うようにしてずるずると地面にへたり込んだ。

「あら? 阿修羅(あしゅら)さん、こんなところで何してるんですか?」

 扉から出たのは栗色の長い髪の美少女。コスメだった。

(阿修羅さん?)

「おお、簾舞会計。どうした? 今日は久々に会議もないというに」

(簾舞会計?)

 少しずつ本来の回転を取り戻し始めた直哉の脳が、現在の状況を分析する。どうやら、コスメと目の前にいる女ターミネーター(命名直哉)は面識があるらしい。

「いえ、今日は生徒会に転校生をお誘いしたので入口で待っていたんですけど、お姉様に実験の資料整理を頼まれまして、ちょっと古書閲覧に来ていたんですけど……。それより阿修羅さんこそ何か御用ですか? 今の時間ならお部屋でお昼寝の時間のはずですけど」

「ああ、それか」

 女性(直哉の命名は却下)はコスメから直哉に視線を戻すと、刀の切っ先を直哉の鼻のてっぺんに突き付けた。

「賊が私の部屋に侵入していたのでな、今ここで成敗するところだ」

「へぇ、阿修羅さんの部屋に侵入するなんて、すごい人がいるもんですね。でもほどほどにしてあげてくださいよ。話せばきっとわかってくださいますから」

 そう言って、扉の影で見えない賊の姿を確認するために、コスメは部屋から身を乗り出して覗きこむ。

 そして、そこにへたり込む間抜け面を見るなり、叫んでしまった。

「直哉さん!?」

うっかり皿を割ってしまった時のように、目と口を大きく開いて、両手で口を覆う。

「なんだ? この賊と知り合いか?」

「え、ええ。だって、この人は私が生徒会にお誘いした人ですから」

「何?」

 女性はまじまじと選定するように直哉の全身を見回す。

「そうなのか?」

 女性は無表情のまま首をかしげ、今更のように直哉に尋ねた。

 直哉はぶんぶんと縦に首を振った。

「だから、さっきも言ったじゃないですか! 俺はコスメに誘われてここに来て、迷って道を聞こうと思っただけだって!」

 ふむ、と女性は一度静かに頷き、

「なんだ、なら最初から言っておけ。うっかり殺してしまうところだったではないか」

 まるで自分が煩わされたような口ぶりで、さも自分が迷惑を被った様子で首を振ると、女性は刀を鞘に収めた。

 うっかりで殺しされたらたまらないっての。とか、最初から何度も言ってたし。とか、てかなんであんたそんな態度なんだ。とか、言いたいことはそれこそ山や海ほどあるが、今は殺されなかったことを都合よく神に感謝してこの場は何も言わないことにした。

「ごめんなさいね。大丈夫でした、直哉さん?」

「あ、うん、大丈夫。怪我は無いよ」

 本当言うと寿命が二十年は減ったんじゃないかってくらい精神的にダメージを受けていたが、少し困った顔で差しのべられたコスメの少し冷たく柔らかな手の感触が、心の中にあった理不尽への怒りや恐怖をうまいこと忘れさせてくれていたので、今更毒を吐く気にもなれなかった。

 まぁ、直哉にも非がなかったわけではないし。例えそれがほんの僅かでも。

「そうか、そう言えば最近生徒会に欠員が出たのだったな。ちょうどいい、生徒会の面々に召集を掛けるから、簾舞会計はそこの間向け面を連れて会議室に行ってくれ」

 それだけ言い残すと、結局、女性は直哉に一言の謝罪もないまま、長いツインテールを翻し、毅然とした足取りで廊下を引き返して行った。

「それじゃあ、行きましょうか、直哉さん。阿修羅さんがすぐに皆さんを集めてくると思います。お茶を出しますので、会議室で待っていましょう」

「は、はぁ」

 この辺りの勝手がわからない直哉は、素直にコスメに従うしかない。

 離れていくコスメの手をなごり惜しげに見送った後、直哉はコスメの横に並んだ。

「後、ここ構造がちょっと複雑なので、慣れるまでは下手に歩き回らない方がいいですよ。噂ですけど、生徒の何人かはここで行方不明になっているんですって。だからこの生徒会棟にはあまり人は近付かないんです」

 コスメは邪気のない笑みを浮かべて、他愛のない話をしている。

「噂、ね……」

 その噂は、九割が単なる噂だろう。

 だが、そのどこにでもありがちな他愛ない七不思議的な噂に、妙に真実味を帯びさせているのは、あの女ターミネーターの活躍に他ならないと、直哉は思う。実際、あんな物騒な人がいたら二、三人人が消えていてもおかしくない。

「おかしな話ですね。ここはこんなに普通なのに」

「そ、そうだね……」

 きっと、まともに考えたら負けなんだと思う。あの銃刀法違反な人は、道ですれ違う普通の一般人と同じように扱わないとダメなんだと思う。

 直哉は級友たちが生徒会を恐れる理由が、少しだけわかった気がした。


 だが、この時の直哉の認識がまだ甘いということを、後々嫌と言うほど思い知らされることになる。


        5


 

 コスメの淹れてくれた紅茶は美味かった。

 なんでも、インドから取り寄せた最高級のダージリンだそうで、直哉は恐縮してばかりだったが、コスメは「気にしないでください、学校予算ですから」と、微笑んで本当だか嘘だかわからないことを言っていたので気にしないことにした。

 今直哉達のいる会議室は、一般的にあるホワイトボードと机が並ぶ簡素なつくり事態は同じだが、周囲を囲む壁面一帯に大胆な彫刻やコテコテのシャンデリアが吊るされており、国会議事堂の衆議院第一予算室をイメージさせる。

「その説明で何人がわかるんだよ」

 お、久しぶりのツッコミ。

「あら? どうかしましたか?」

 ほら、コスメが不思議そうに首を傾げているぞ?

「ううん、なんでもないんだ」

「そうですか」

 そう言って、コスメは特に不審がる様子も見せずに、紅茶のカップに口をつけた。いやいや、人を疑うことを知らない良い子だ。

 こうやって、可愛い女の子と並んで紅茶を嗜むだけで、なんだかとても幸せな気分になってくる。これがむさ苦しい男どもだったらこうはいかないだろう。と、直哉は思う。別に男を毛嫌いしているわけではないが、ファーストフード店でバカ話はしても、午後の静かなティータイムをわざわざ男と過ごす気にはならない。

(あ〜、このままず〜っとこの時間が続けばいいのに……)

 なんて言う直哉のりんご飴並に甘ったるい願いが叶うほど、世界は優しくないわけで。

 そんなことを考えてすぐ、先ほどの帯刀女性が入室してきた。

「あ、阿修羅さん」

「彰人は掴まったが簾舞研究員は見つからなかった。とりあえず、ここにいる人間だけで自己紹介を始めておこう」

 そう言うと、女性は『コ』の字型に並んだ長机のちょうど中心、ひと際目を引く装飾過多の椅子(趣味は悪い)に腕と足を組んで腰かけた。

「ん?」

 女性に続くようにして、一人の男が会議室内に入室してきた。

 身長は百八十センチ程度。知的な雰囲気の眼鏡をかけているが、筋肉質で均整のとれた体格がガリ勉には見せていない。文武両道でスポーツも勉強もこなすエリートと言ったイメージだ。顔立ちはかなり整っている。下手なジャニーズや何かと比べても断然男前の部類だった。

 男は女性の隣の席に腰かける。

「あと一人足りないが……まぁいい。おい、簾舞の隣に座っているお前、さっさと自己紹介をしろ」

 最初、女性が誰に言っているのか分からなかったが、全員の視線が自分に向いていることに気づき、直哉は慌てて立ち上がった。

「えっと、今日この学校に転校してきました。須賀直哉です」

 ほぅ、と、女性は感心したように息を吐き、

「白樺派か。暗夜行路はなかなかの作品だったな。今年で百二十五歳か?」

「あの、それ良く言われるんですけど。須賀直哉ですから、志賀直哉とは何の因果も関係もありません」

「わかっている。お前の自己紹介があまりにもありきたりでテンプレートの鏡のようなつまらなさだから言ったまでだ。せめて一発ギャグの一つや二つ持ってないとこれからの社会で生きていけないぞ」

 と、どこまで本気でどこまで冗談なのか分からない真剣な口調で女性は続ける。いまいちツッコミどころがわからないので、直哉は「はぁ」と曖昧な返事を返した。

 というか、あんただけには社会のことは言われたくない。

「まぁいい。次だ。私の名は珸瑤瑁(ごようまい)阿修羅統合生徒会会長を務めている。つまり、登仙録府学園小中高全校生徒を束ねるべき存在。決定権はすべて私にある。呼ぶ時は皇帝、陛下、会長、阿修羅さん、好きなように呼ぶといいが、新入りのお前は必ず敬語を使え」

「決定権は全て私にあるって……、あの、生徒会ってみんなの意見を聞いて、反映させるもんじゃないんですか?」

 ふぅ、と哀れむような溜息を吐きだしたあと、「これだから愚民は困る……」というオーラを最大限に発揮して、阿修羅はアンニュイな表情を浮かべた。

「貴様、よもやこの国が民主主義で動いていると思っているのではないだろうな?」

「えっ、いや、そうじゃないんですか?」

 てっきりそうだと思っていたので、質問に質問で返す直哉。

「いいか、もともとこの国にある多数決は民主主義ですらない。議決の方式が民主主義という名称になっているだけ。今この国で行われているのは民主主義もどきだ。元来民主主義と言うのは皆のことは皆で決めましょうということだが、それではうまくいかないことはわかるな。どう考えても多数派少数派が生まれてくるのは明白だ。一人一人の意見を尊重することなど土台不可能で、それでは何も決められない。そこでより人数の多い多数派の意見を取り入れようと必要悪で多数決を取り入れるというのは当然の流れになるが、この時点ですでに少数派と言う人民の意見は淘汰され、民主主義ではなくなる。それは最大多数の最大幸福での幸福計算に基づいた功利主義の考え方に近い。それでも愚鈍な烏合の衆たちが人気や知名度だけで選んだ国会議員どもが民主主義を叫びつまらんお遊戯会を続けている。そんなくだらない政治をするくらいなら、優秀な人物、この場合は私だな。が、愚かな民衆を先導した方が効率的だ。人は私の下によって平等。功利主義的な考えによって排除されることは無くなる。と、長くなったが、つまり私の言いたいことは、私のような優秀な人物が独裁的に決定することが最善だということだ。わかったか?」

「は、はぁ。なんとなく」

 本当はほとんどわからなかったが、難しすぎて何がわからないのかもよくわからないので、とりあえず今は納得しておくことにした。

「うむ、ではわからないことがあったら手を挙げろ。ただし、質問には一切答えない」

「はい……って、えっ?」

 質問に答えるものだと思って挙げた直哉の手は、所在無さ気に虚しく存在感を示す。

「えっ? 普通今の流れだと、質問に答えてくれるんじゃないんですか?」

「何で私がお前の質問に答えねばならんのだ。自己紹介をしてやっただけでもありがたいと思え」

 と、相変わらず我が道を行く阿修羅。

 珸瑶瑁阿修羅って本名なんですか? とか、いろいろ聞いておきたいことがあったのだが、なんだか釈然としないまま終わってしまった。しかしまぁ、この人とこれからコミュニケーションをとらなければいけないのだから、これくらいは慣れていかなければ。

「えと、今のじゃあまりわからないですよね。阿修羅さんは高等部の二年生で、私たちの一つ上です。けど、阿修羅さんのことは私もあまり知らないので、ごめんなさい」

「ううん、助かるよ。ありがとう」

 大した情報ではない物の、直哉は困っている自分に対して説明をしてくれるコスメの優しさにちょっとほんわかしていた。

「それじゃあ、次は俺だな」

 阿修羅の横に腰かけていた男が立ち上がる。

「俺は高等部二年の兵藤(ひょうどう)彰人(あきひと)。一応副会長を務めている

 すると、整った顔立ちでさわやかに微笑む。はっきり言って、男の直哉から見ても格好いい。本当に、ムカつくくらいに。

「彰人さんはなんでもできる人ですよ。スポーツ万能だし、頭もいいし。頼りになります」

「そ、そうなんだ」

 って、完璧超人じゃねぇかこのヤロー。と、直哉は内心思わずにはいられない。男の妬みのすべて受けるような司は、問答無用で男子生徒から迫害を受けそうなスペックだ。まぁ、直哉はそれを露骨に見せたりはしないし。羨ましいとかムカつくとかは思うがそれほど嫌いと言うわけではない。

「まぁ、ドが千個あっても足りない変態だがな」

「おいおい、自分の欲望に忠実と言ってくれ」

 それに、今の発言で司が阿修羅と同じように変わった人間である事は十分に理解できた。

「それじゃあ、次は私ですね。お昼もお話しましたが、私の名前は簾舞コスメ。高等部の一年で、生徒会では会計を担当しています」

 どうぞよろしく、と流麗な仕種でお辞儀をする。どちらかといえば西洋的な雰囲気を持っている彼女の礼は、日本の礼儀作法的に見ても決して悪いほうではなかった。

 それより何より、この生徒会の中で今のところ唯一まともそうな良心がいることに、直哉は激しく感謝と希望を覚えていた。

「趣味はお料理とか、あと、お茶のお勉強もさせてもらってます」

(うんうん、いいなぁ)

 なのに。

「ちなみに、簾舞会計は地球人ではない」

「えっ?」

 さらっと何でもないことのように言ってのける阿修羅のせいで、そんな無駄な希望が散り散りに霧散していった。

「ちょっと待ってくださいよ。それってどういう意味なんですか?」

「意味も何も、そのままの意味しかない」

 日本人でない。とかならまだわかる。髪の色とか瞳の色を鑑みれば、彼女が日本の人ではないといわれても納得できる。だが、地球人ではないと言われれば、「へぇ、そうなんですかやっぱりね。木星の第三衛星っぽい話し方だと思ったんだよなぁ」などと言ってあっさりと引き下がるわけにはいかない。

「さて、あとは簾舞研究員だけだが……」

「えぇっ!? ちょっとスルーですか!? 今の発言についての説明はないんですか!? さらっととんでもないこと言ってのけたような気がしたんですけど!?」

「いちいちうるさい奴だな。いいか、さっきも言ったように私にはお前の質問に答えてやる義理などない。知りたければ自分で調べるなりしてなんとかしろ。この無能」

 あくまで自分のスタンスを崩さない阿修羅。

 阿修羅の話は本当だか冗談だかいまいちつかみどころがないので始末におけない。

 確認の意味で、直哉は隣に座るコスメに視線を送ってみる。

 一瞬、コスメはどうしたものかとハエでも追いかけるように中空に視線を泳がせたあと、ちょっと苦笑しながら、おそらく肯定の意味で小さくうなづいた。

「ウソ?」

「ううん、本当です。この学校では以前から、極秘裏に太陽系の外の銀河系から何人か交換留学で交流を持っているんです。それで、私たちはホストファミリーである簾舞の姓を名乗っているわけです。えっと、頭が変になっちゃったわけじゃないですよ? すべて事実で、おかしいと思うのは皆さんが真実を知らないだけです。とはいっても、宇宙と交流があるのは地球でもこの学園ぐらいですけどね。ちなみに私は第十八恒星群銀河系四十八番惑星。通称「トナカテクトリ」から留学生としてやってきています」

 何をそんな与太話を。そんな風にばっさりと切り捨てられたらどんなに楽なんだろう。と直哉は思う。

だが、帯刀会長に超人副会長。宇宙人会計がいたってなんら不思議はないように思えてくる。夢ではないことはコスメの一撃で確認済みだ。だとすれば、ここは流れに任せて信じるほかないのだろう。なぁに、少しも問題はない。ちょっと遠くの人がここにいるだけだ。アメリカ人だっって直哉にとってはすごく遠い場所から来た人物だ。アメリカ人だろうがインド人だろうがトナカテクトリ人だろうがぶっちゃけ関係ない。そうだ、関係ない。と、半ば思い込むように言い聞かせた。

自分が今いる場所は、きっと常識が通じないのだろう。直哉は諦めにも似た考えを自らのたいして良くはない頭に言い聞かせる。

「何? ずいぶん騒がしいと思ったら、見慣れない顔がいるじゃない?」

 直哉が混乱する頭に麻酔薬を打つように言い聞かせている時、会議室の入口に人影が立った。

ドアの向こうから伸びる影は小さく、最初直哉が視線を向けたとき、その場には誰もいないようにさえ思えた。

ツーッと、直哉は視線を徐々に降下させていく。

 そこには少女としか言いようのない風貌の女の子が、精一杯大人ぶるように腕を組んで若干眼を細めている。

「ねぇ、だーれ阿修羅? 新顔さん?」

羽織っている白衣の明らかにサイズが大きすぎで、袖の部分がかなり余っていてだらしなく垂れさがり、手を動かすたびに大きくぶらぶらと揺れ動く。

髪は栗色のショートカット。顔立ちはなかなか可愛らしい感じで、そういう趣味の人ならそのまま誘拐したくなるベリーチャーミングなリドゥガー(尾崎豊?)だった。

 まぁ、それはごく一部の思想の方の話で、直哉の眼にはこう見えた。

『お医者さんごっこ中の小学生』

 これが一番しっくりくる。

 なんか知り合いの誰かに似ているような気がしたが、それも些細な疑問で別段気にはならなかった。今は、それよりもむしろ、

(あんな小さな子が阿修羅さんを呼び捨て!?)

 という驚きが大きい。

「おお、ようやく来たか。この間抜け面は……」

 阿修羅は一度直哉の顔を見て硬直する。それから、入口の少女に向き直り、

「まぁ、名前はどうでもいいか」

「……忘れたんですね」

「ああ、全くその通りだ」

 相変わらず、阿修羅は気まずそうな態度一つ見せなかった。ここまでハッキリと居直られると、見ている方は清々しい。

「須賀、直哉です」

 絶対こうなるとわかってはいたが、当の直哉は嘆息せずにいられない。

「まぁこいつの名前は私がその時の気分で適当に決めるからどうでもいい。用件は先日失踪した代わりの人間が見つかったということだ」

 うんうんと頷いて先を繋げようとした直哉だったが、阿修羅の話の中身にあるおかしな点に気づき、

「何ぃ!?」

 思わず声をあげていた。

「ちょっと! 失踪なんて俺聞いてませんよ!」

「当り前だ。言ってないからな」

 相変わらず阿修羅は自分本位で直哉の意向や立場などお構いなしだ。これで今まで生きていけるのだから、よほど自分に自信を持ち、かつ実力を持って生きているのだろう。

「違いますよ。直哉さん。別に失踪したわけではありません。ただ突然何の前触れもなく転校して、そのあと転居先不明で連絡が取れなくなってしまっただけです」

「そ、そうなんだ」

 いかにも真剣なフォローをコスメが入れてくるので、直哉は「それを失踪って言うんだよ」という言葉を言えなくなってしまった。コスメは誰に言われたのか本気で失踪ではないと信じているらしい。天然と言うか疑いを知らないというか、将来悪徳商法や詐欺に引っ掛からないか心配だ。いや、これだけ美人なら悪い男に泣き落としや下手な演技で騙されてひょこひょこ付いて行って睡眠薬で眠らされてビデオで弱み……。

 はっ、つい感情的になって話がそれてしまった。

「そう言うわけで、面倒だが今はこの愚民に自己紹介をしてやっている。簡単で構わないから何か話してくれ」

 と、作者(わたし)変な妄想に傾いているうちに、話は進んでいたようだ。

 少女は腕を組んだまま一歩前に出ると、肩幅ほど足を開いて仁王立ちし、

「私の名前は簾舞エステ。自他ともに認める超天才科学者兼生物学者。生徒会では研究を担当しているわ」

 精一杯大人っぽく振舞っているつもりなのだろうが、舌っ足らずの声ではいくら大人びた口調を駆使しても、背伸びした子供の印象は抜けきらない。

(天才科学者……この子も篩に漏れず相当変だな……)

「って、んん?」

 簾舞、という名字には聞き覚え、と言うよりは、今直哉の頭の中で最も優先事項として処理される名字である。それに、簾舞なんて言う珍しい名字は路傍の石のようにたくさん転がっているようなものではない。

「あの、簾舞ってもしかしてコスメの……」

「なんだ、間抜け面の割になかなか鋭いな」

 褒めているのか、阿修羅の言動からはいまいち読み取れない。が、もう慣れたので直哉はまったく気にも留めなかった。

「それじゃあ、やっぱりコスメの妹さん?」

「いや、姉だ」

「姉ぇ!?」

 嘘だ、絶対に信じられない。

 目の前のエステの身長は百三十センチに満たないだろう。体系にも女性らしいド母性の膨らみや砂時計のような魅惑的な曲線は影も形も見当たらない。絶対に自分より年下。小学生程度だと直哉は思っていた。

「本当なの……いや、ですか?」

 すると、エステはそう言われてみれば年齢層層の鷹揚な仕草……いや、やっぱりそうは見えない。どう考えてもマセた子供が気取って頷いて言えるようにしか見えない。

 なのに、詐欺だ。絶対に勝てるパチンコ必勝法より信じられない。

「ちゃんと敬えよ。淫行クリアにして童顔幼児体型という全宇宙における至宝だからな」

 今まで話さなかった彰人が、ここぞとばかりに自分の性癖を披露する。

それに対し、直哉が若干蔑むような視線を送っていると、

「安心しろ。こいつは別にロリコンではない」

 阿修羅の発言にはまったく安心する要素がない。

「ああ、俺は女性の全てが好きなんだ。熟女だろうが幼女だろうが太っていようが細身だろうがな」

 こっちはもっと安心できなかった。

 威張って言う彰人には、引け目や羞恥と言う物が一切感じられない。「威張っていうことじゃねぇよ」と、直哉は聞こえないように口の中で呟いた。

「俺は妹だろうが近所のおばさんだろうが喜んで●△□×(自主規制)するぜ」

「相変わらず、あんた最低ね」

 すべての女性の軽蔑心を終息したような視線で彰人を見据えた。が、彰人は「いいなぁ」と呟いて、恍惚した様子で身を震わせた。

 阿修羅は相変わらずの無表情。コスメは困った顔で苦笑いらしている。

直哉は改めて、『ドが千個あっても足りない変態』を認識した。

「まぁいいわ、いつものことだし。とにかく、私はコスメのお姉さんなの。よろしくね♪」

 歌うようにそう言って、エステはにこやかにほほ笑んだ。

 なんだか、自称天才とか少しだけ言動が突飛なところがあるが、コスメと並んでまともな部類だ。さっきまでのインパクトと問題が山積みの地球人に比べれば、明らかに許容できる範囲だと思う。

「今年で二十二だったか?」

「ううん、二十四」

 そんな阿修羅とエステの会話にも、直哉はもう驚かない。っていうか、驚いてたまるかって感じだった。直哉としてもこのまま驚くのが仕事の脇役Aになり下がるのは御免だった。どうせ留年かなんかだろうと思って納得しておく。

 と、思っていたのに。

「ん……?」

 エステの背後にあるドアの向こう、赤絨毯の敷き詰められた廊下を。

 全長三十センチほどの四足歩行の動物が、テケテケと軽やかな足取りで通過していた。

 直哉は呆けて唖然としたまま、その生き物を眼で追っていく。

 四足歩行動物はドアの枠の中から消えるか消えないかと言う位置で不意に立ち止まると、前に向いていた顔を直哉に向けて「よぉ」と軽く手(前足)を上げると、そのまま何事もなかったかのように歩き去っていた。

「あちゃぁ、鍵掛けるの忘れてたかぁ……」

 エステはポリポリと頭を掻き、明らかに「しまった」と言う顔をした後、何事もなかったか様に直哉に向き直り、

「まぁ、私がこの中で一番年長者ってことになるから。何はともあれ、よろしくね。え〜っと、直哉君」

 エステは真っ白で触れれば折れてしまいそうな細く小さい手を差し出した。

どうやら、握手を求めているらしい。

「あっ、はいよろし……」

って、

「ええ!? 今の生き物スルーですか!? 何なんですかあの妙な生き物は!?」

「何って……ねぇ」

 エステはめちゃめちゃ隠し事してますって感じに眉をひそめて、口を渋らせながら阿修羅に視線を向ける。

「いや、犬だろ」

 阿修羅の言葉に迷いは微塵もない。

 その説得力に一瞬納得しそうになった直哉だが、

「いやいや絶対違いますって! 右手あげてプレイボーイみたいに「よぉ」とか言ってたし、作者はめんどくさいから描写しませんでしたけど、なんですかあのワニとライオンとエリマキトカゲを足して三で割って人面を張り付けたような!?」

「いや、だから犬だろ」

 彰人もまったくもって冷静に答える。言外に「何言ってんのこいつ?」という変わり者を嘲笑うような意味合いが込められている。

「いや、でも……」

 だんだんと、直哉の声は尻すぼみになっていく。なんだか、まるで自分がおかしいような気になって来た。

「何言ってるの直哉君、どう見たってあれは犬じゃない。ねぇ、コスメ」

「ええ、私もずっと犬だと思ってたんですけど、違うんですか? 直哉さん」

 コスメは心底不思議そうな顔で首を傾げている。そんなコスメの顔を見ていると、自分の方がおかしいのではないかと言う気に本気でなって来た。

 というか、直哉はもう何からツッコミを入れていいのか分からない。

「は、ははは、そうですね。あれは犬ですよねはははは何言ってるんだろう僕はそうですよねあれは犬でしたよねははははは……」

 機械の合成音声のように、直哉の声には抑揚やリズムといったものがまるでなかった。ツッコミ疲れて探求を放棄した瞳をしていた。

少ツッコミ高ボケ化社会の到来を意味していた。

 なんだかよくわからない、奇妙な沈黙が流れる。

 それを打ち破ったのは阿修羅だった。

「まぁ、なんでもいいが、今日からお前も生徒会役員として認める。今日は珍しくこれといった議題もないし、これで解散でいいぞ。明日からはたぶん忙しくなると思うから、心しておくように。以上、解散」

 いつものように淡々とした様子でそれだけ告げると、阿修羅はさっさと部屋を出て行ってしまった。彰人も軽く手をあげ、白い歯を一度きらりと輝かせてから颯爽と立ち去っていく。その姿だけ見れば地球上の女性の半分が黄色い歓声を上げそうな振る舞いなのに、宝の持ち腐れという言葉はきっと彰人のためにつくられたものなんだろうなぁ、と漠然と考えながら、直哉その後ろ姿を見送っていた。まぁ、そんなことを言えば無駄に眉目秀麗な阿修羅もそれに含まれるのだろうが。

「それじゃあ、私は実験体を捕獲……じゃなくって、犬の散歩をしに研究室に行かないといけないから、それじゃあ、またね」

 どうして散歩をするのに研究室に行く必要があるのか、直哉は疑問に思っていたが、なんだか聞いてはいけないような気がして黙ってエステを見送った。世の中に知らなければよかったがいっぱいあるんだと思う。そうでも思わなければ今日の非現実的な出来事を受け入れられなかった。

 っていうかぶっちゃけ、もうそんなことはどうでもいい。今直哉にとって大切なのは、この変人が割拠する異質な空間でこれから生活を送らなければならないということだ。

(俺、ここでやっていけるのかなぁ……)

 いささか、というか、大いに不安だ。

「直哉さん、大丈夫ですか? 多少驚かれることが多かったでしょうけど……」

 直哉に声をかけたのは、このおかしな生徒会の中で唯一の良心だった。

「あの、ちょっと変ってるかなって思われたかもしれないけど、本当は皆さんいい人なんです。だからその、離れていかないでくださいね。いなくなったら、寂しいです」

 コスメは水晶のように透き通った瞳を燦爛と輝かせ、雨に打たれる子犬のような懇願する目で上目づかいに直哉の顔を覗き込んでくる。

 一般的に、男は女の涙に弱い生き物なのである(持論?)。

 そして、直哉はご多分にもれず一般的な男だった。

「大丈夫、せっかく誘ってもらったんだから、是非入らせてもらうよ」

 しかも、それがとびっきりの美人で自分のストライクゾーン直球ど真ん中の女の子なのだから、断れる直哉ではない。実はコスメが泣きそうだった理由は先ほどのメンバー以外今まで生徒会のメンバーに定着せず、すぐに辞めていってしまうことが原因だったとしても、事情を知らない直哉にとっては自分に辞めないでほしいと懇願する美少女という理想図が残ったままなのでそれでよかった。

そんなもんだ。それでいい。男なんてのは騙されてナンボなんだから。

おっと、直哉はコスメの言葉に「生きててよかった……」と、若干感動しているようだ。有頂天気味の直哉に、親切なコスメの心情説明は聞こえていなかったらしい。

「それに俺にとっても新鮮で貴重な体験になるだろうからね」

 嘘は言っていない、と直哉は思う。良くも悪くもこれから様々な体験をする羽目になりそうだし。

 まぁ、なんとかなるだろう。そんな希望的観測で直哉は納得した。それに、転校以外は平平凡凡の生活を送ってきた直哉にとって、美少女と過ごす学生生活は様々な希望に溢れている。目の前にあるのは暗雲と悪路ばかりではないのだ。

「よかったぁ。これでまた賑やかになりますね」

 今でも十分にぎやかだと思うけど、という皮肉は言わずにとどめておく。目の前の可愛らしい女性の微笑みを無闇に消すつもりは毛頭ない。

「それでは、入り口まで案内しますね」

 コスメは今にもスキップになりそうな軽やかな足取りで歩きだす。直哉もそれに続いた。


 

 さすが毎日ここに通っていることもあり、コスメはここの構造を把握しているようだった。直哉がさんざん迷いに迷って道筋を、まるで導かれるようにして瞬く間に入口についてしまう。

結局、移動時間は五分もかからなかったので、せっかくのコスメとの二人きりの時間はすぐに終わってしまった。

「とりあえず、一番良く使うここから会議室までの道のりは覚えてくださいね。最初は私が一緒に行きますから。それ以外の場所は徐々に覚えて言ってくださいね」

「う、うん」

 直哉の言葉はなんとも歯切れが悪い。

と。いうのも、直哉としてはなんとかまだもうちょっと話していたいというニュアンスを伝えたいのだが、基本的に鈍いコスメには伝わるはずもない。

「それじゃあ、私、お姉ちゃんにお手伝いを頼まれているので帰りますね。また明日、放課後生徒会でお会いしましょうね」

 コスメの曇りのない笑顔が、今は少ししょんぼりさせられる。悪気がないのがまだ救いと言ったところだ。

 まぁ、どうせ明日会えるんだから、潔く帰れ。話が進まない。

「うるせいやい」

 一応、直哉はコスメに聞こえないような小声で囁いた。

「そうだね、それじゃあまた明日」

 少しばかり未練が残っているが、今日は我慢して帰ることにする。

「あ、ちょっと待ってください」

 と、思っていたのに、直哉にとっては僥倖、とまではいかないがラッキーな呼びかけが背後から響いた。

「な、なに!?」

 当然、直哉は不必要なまでのハイテンションで即座に振り返る。

「これ、渡しておきますね」

 そう言って、コスメはフラッシュメモリをひとつ、直哉の手の上に置いた。

「私は機械が苦手なのでよくわからないんですけど、お姉ちゃんが運営している生徒会役員専用のホームページがあって、データベースとか閲覧できるらしいんですよ。なので、生徒会について分からないことがあったら調べてみてください。あと、私、これの使い道以前にこれがなんなのかよくわからないので、家でいろいろやってみてくださいね」

「え、ああうん、わかった」

「それじゃあ、今度こそさようなら。明日会いましょうね」

 コスメは全世界男子の半分を優にノックダウンできそうなウインクを、勿体なくも直哉に投げかけると、振り返って廊下を軽い駆け足で走って行った。

 直哉はまったく無意識のうちに腰を落として少し姿勢を低くしていたが、残念ながら太ももの上を拝むことはできなかった。

 直哉は間抜け面をさらに間抜けに緩ませて、健康的な太ももの少し上とかたわわに揺れる制服の胸元なんかで想像力を掻きたて、脳内でついにコスメを自宅に誘うことに成功した直哉はそっと……。

「……はっ! いかんいかん」

 ピンク色の妄想に支配される前に頭を振って、直哉は自宅への帰路に就いた。

 なんだかんだ言いつつ、結局、直哉は我慢できず公園のトイレで欲望を処理しようと画策したが、良心の呵責に耐えられず断念したそうだ。

 情けないというか、なんというか。


       6


 自宅に帰った直哉はさっそくパソコンを起動してコスメに言われたページにアクセスしようと思ったのだが、そう言えばまだプロバイダと契約してないこと思い出し、止む無く近くのネットカフェに行くことにした。

 フラッシュメモリの中身は、ホームページのURLと、パスワード解読用のアルゴリズムだった。

 生徒会役員のページはどう考えても個人用ホームページとは思えないセキュリティだった。まずパスワードが難解且つ不可解な暗号アルゴリズムで構成されており、解読用のプログラムを使わなければ、世界中のスパコンを総動員しても地球が存在するうちに解読するのはまず無理だろう。某自由の大国の軍事機密でもここまで厳重にロックされていないだろう。この辺からこの生徒会の底知れなさが容易に理解できるのだが、インターネット中級者レベルの直哉には少し複雑であることくらいしか分からなかった。

 トップにカウンタ(アクセス数はようやく三ケタに達した程度)。何故か設置されたjavaのウェブ拍手。背景は剣が突き刺さった死体とかゾンビとか口から生えた足で歩く犬などグロテスクなものを中心に描かれている。デフォルメされているのが救いで、なんとかブラックコメディの枠には収まっている。が、生徒会のページとしては異様極まりないことは確かだ。

 コンテンツは至ってシンプル。活動記録。会員データベース。今後の予定。掲示板。管理人のブログと言ったお決まりの物が並んでいる。だが、こんな誰もアクセスできないような閉鎖的なサイトには、どれも無用な気がしてならないコンテンツだ。

「まぁ、変人の集まりだからな」

 直哉にとって今日一日の出来事に比べれば取るに足らない疑問なので気にしないことにした。疲れるし。面倒だし、説明の描写は疲れるし……っと、途中から自分の意見になってた。

「え〜っと、まずは……」

 管理人のブログというのもある意味大変興味深いコンテンツなのだが、今日のところはとりあえず、現在もっとも興味のある会員データベースから見ていくことにした。

『地球の定義と標準の(こよみ)、日本語に合わせて作成されている』との、注意書を読んでから、

「え〜っと、それじゃあまずは阿修羅さんから」

 さっき見た実物と一ミリも表情の変わらない写真をクリックすると、阿修羅の情報が表示された。

「なになに……」

珸瑶瑁(ごようまい)阿修羅(あしゅら)(自称)地球暦年齢十七歳(推定)地球型ヒューマノイド女性(暫定

「……………………」

 最初からいきなりツッコミどころ満載だが、直哉は次の項目に目を進める。

『 略歴

出生日時場所は不明だが、生物学的特徴から太陽系第三惑星地球出身と思われる。六歳に達するまで多数の惑星を渡り歩いていたと思われる。

その根拠の中に、彼女が惑星内の大戦や内乱にたびたび現れ、その一騎当千の力で対立する両勢力を完膚なきまでに粉砕したという記録が残っており、場所によって神や英雄、悪魔と様々な扱いをされているが、彼女の姿を直接見たという人間は、当方の調査ではほとんど確認されていない。彼女の伝説として残っている中で有名なものは銀河系第三連邦下第四惑星で起きた内乱で、最も厳しく優れた訓練を受け、当時最高峰の重火器を持った兵士、両軍合わせて三百六十万弱を、まだ手足の伸びきらない少女が地球東邦列島型刀刃(現地呼称日本刀)という原始的な武器を用い、その半数以上を切り伏せて双方の軍を戦闘続行不能にまで貶めた。そのため、現地では返り血を浴びてなお美しくに輝きを増した真紅の瞳と、双翼のようにはためく白銀の髪。そして、まったく表情の移ろわないその美麗な容貌から『銀翼の血天使』とうたわれ、現在も畏怖され、信仰の対象とする人々もいる模様。

その他、大小合わせて千に近い戦乱に現れていると思われるが、明確な記録が残っている例はごく少数である。

六歳、私立登仙録府学園初等部に入学する。直後、史上最年少で全部を束ねる統合生徒会長となるが、そこに至る経緯は不明。現在まで十一期連続で統合生徒会会長として君臨する。地球に定住してからも様々な伝説を残している模様。ただ、当惑星日本国刑事訴訟法で告発されたことは一度としてない。

その他 

 地球型ヒューマノイドとは思えない驚異の身体能力を持つが、その全貌は未だ明らかではなく、まだまだ底が知れない。頭脳も明晰だが面倒な考え事は嫌う模様。自らが一番だと思っており、他人のことはまるで意に介さない。また、その容貌は全宇宙的価値観で見ても極めて美しい部類に入るが、その近寄りがたさ故に近寄る人間は稀』

 と、画面にはそう表示されていた。

「……」

 もはや、直哉は唖然とするほかない。

 阿修羅とはいったい何者なのか、その疑問は深まるばかりだった。ここの説明を鵜呑みにしていいならハッキリ言って、

「……人間じゃない」

 のである。

 つい数時間前、阿修羅本人と知り合う前だったら、単なる冗談として笑い飛ばしながらポテチの一つでもほおばっていたはずだ。

 でも今は、冗談とはこれっぽっちも思えない。

 きっと、単独で世界に戦いを挑んだら勝ってしまうんじゃないか。

RPGの世界に放り込んだらゲームバランスを根底からぶち壊してしまうだろう。

もしかしたら歴代ガンダムが総力を結集しても勝てないかもしれない。

水爆の爆心地や放射能の中にいても不思議と大丈夫な気がしてきた。

「なんだかなぁ」

 阿藤海(昔の芸名で間違いではない)っぽい台詞をとともに、直哉は今日何度目かもわからない溜息を吐きだした。

生徒会に誰も近寄りたがらない理由は、阿修羅一人で十分説明できそうだ。

「さてと……」

 銀河規模で名を轟かす超絶帯刀生徒会長はまぁ置いといて、次は副会長の変態……いや、兵藤彰人について見てみることにした。

『兵藤彰人 年齢十七歳 地球型ヒューマノイド男性

  略歴

 日本の中流家庭の長男として生まれる。しかし、万事において非凡の才能に恵まれ、絵画、スポーツ、勉強、何においても凄まじい成績を残し、これまであらゆる分野で数々の賞を受賞してきた。私立登仙録府学園初等部入学後、珸瑶瑁阿修羅と共に統合生徒会に入り、以後副会長を十一期連続で務める。なお、幼いころ消息不明に陥った期間が半年あり、その間に暗殺術ほか諜報スパイのタクティクスを習得した模様』

 確かに、とんでもない内容ではあるし、ここは驚くところなのだろうが。

「うん、うん」

 直哉はどうしても驚くことができなかった。

 明らかに阿修羅のインパクトが大きすぎた。なんというか、アマゾンでワニを目前で見てから、家に帰って壁にへばりついたヤモリを見た時のような感覚。さらに例えるなら、プロのマジックショーを見た帰りに、友人のカードマジックを見た時のような、すごいんだけど驚きにかける感覚にも似ている。

 ぶっちゃけ、スケールが小さかった。

 直哉は続きを読み進めていく。

『 その他

 地球型ヒューマノイド女性の価値観で言えば、多くの人間が美系と答える顔立ちをしているが、多くの人間が変質者と思う性質で、ある意味ではもっとも生物としての本能に忠実。統合生徒会所属という性質上あまり他人と関わりを持たないため、多くの人間に本質を知られておらず、そのため女子生徒からの人気は極めて高い。あらゆる男子から嫉妬羨望の対象とされている』

「まぁ、この人はだいたいこんなもんだな」

 直哉は別に彰人に対しては別段興味は無いので、変態ということを改めて認識して次へと進む。

「さて、次はコスメだな……」

 直哉は結構期待していた。もしかしてもしかするとスリーサイズなんかも乗ってるかも知れない。なんていう淡い学生らしい期待。気になる女の子のことなら何でも知りたくなるものだ。男ってのは。うん、多分。えっ? 違う? まぁ細かいことは気にするな。

直哉は期待を込め、写真をクリックする。

開いた瞬間、眼が痛くなった。

「うわっ、何じゃこりゃ……」

 さっきまで黒を中心としていた背景が、コスメのページに入った途端、ショッキングピンクを基調とした極彩色の派手やかな物に変わったのだ。

 それに合わせて、字体や文体もかなり変容を遂げている。

「どれどれ……」

 直哉は不意打ちを食らった目を擦りながら、文面に目を滑らせた。

簾舞コスメ 年齢十七歳 トナカテクトリ型ヒューマノイド(私の妹)スリーサイズは知ってるけど教えてあげない♪』

「……」

 いろいろと思うところがあるが、直哉は文脈を読み進める。

私の自慢の妹。多分全宇宙で一番可愛い。多分? ううん、やっぱり絶対。かわいすぎて性格もよくてスタイルもいいから。悪い虫がつかないようにしなくっちゃ これを見ているあなた、ご注意あそばせ! まぁ、よっぽどの人じゃなければコスメは気に入らないでしょうけど! お料理も得意だし、家事は何でも出来る! そりゃあもう! 女の子の鏡よ! 本当に! でもぉ、地球の人から見たちょこっと力が強いかな〜なんて。まぁそれを差し引いても百点満点中百二十点から一点を引くようなものだから何でもないんだけどね。あ、でも、感情が昂りすぎるとあんなことが……。まぁ、とにかく自慢の妹なの

 女子高生のブログみたいなノリで、HG創英角ポップ体で書かれている。

「これは、エステさんが……」

 まぁ、書いているのは一応高校生なんだろうけど、二十四歳で、幼児体型の。

 コスメの詳細を見ていたはずなのだが、わかったのは妹溺愛なエステのシスコンっぷりだけだった。

 それよりなにより、他のどんな事はさしおいても、スリーサイズがわからなかったのが一番残念だったりする。

 しかも、そのあとコスメの情報を検索しても一切出てこなかった。

 管理人(と思われる)のエステの情報は毛の先ほどもない。

「……もう、いいや」

 なんだか今日はどっぷり疲れた。これまで今日ほど疲れた思った日は一度もない。他のコンテンツはまた時間があったら閲覧するとして、今日のところは早く帰って今日得た情報を処理する意味でも早く家帰って飯食って寝よう。

 そう思い、ホームページを閉じて帰ろうと思ったところ。トップのニュースに活動記録が更新されたという情報が表示されたので、最後にこれだけは見て帰ろうと思い、マウスをクリックした。

『簾舞エステ。ノーベル物理学、化学、生理学の中で八部門受賞。ただし、宇宙憲章の秘匿事項に当たるため各地大学教授の名義での受賞となった』

「……」

 改めて、統合生徒会が自分の常識で測れない存在であると思い知らされる。

 最後にひとつ、もう一つ更新されていたニュース。

『須賀直哉を統合生徒会役員『下僕』として正式に任命』

 その文字はしっかりと、明朝体で刻み込まれていた。

 そんな中、こぼれおちた言葉は、

「なんだかなぁ」

 やっぱり阿藤海(しつこいけど旧芸名)だった。

 書いてるこっちとしても、なんだかなぁ、って感じだ。

 そんなこんなのなんだかんだで、生徒会役員『下僕』として採用された直哉。

「って、なんじゃそりゃああああああああああ!!!!!!!」

 そんな叫び声が、ネットカフェの店内に咆哮のように響いたとか響かなかったとか。

 なにはともあれ、直哉の生徒会役員としての苦難の日常が始まったのだった。

 『go ahead, make my day』を標語に、日々を頑張っていただきたい。


第二話に進んじゃう

でででんに戻るの?

こんな普通の俺がここにいていいのかなぁと思うようになったふとこの頃のこと(長っ!)の部屋に戻る

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