第三話 〜掟破りの救出作戦……自己満足にもほどがあるわ!〜


 

       1


 

 きっかけは、阿修羅の意外な言葉からだった。

「そろそろ須賀の歓迎を兼ねて生徒会合宿を開きたいと思うのだが?」

 定例会議が終わった後、阿修羅がいつものごとく突然切り出した。

 阿修羅の口から歓迎という言葉が出るとは思わなかったので、直哉はあんぐりと口を開いて一瞬固まってしまったがすぐ我に返り、

「珍しいですね。阿修羅さんがそんなまともなことを言うなんて」

 嬉しさのあまりつい本音が出てしまった。

「失礼な言い草だな。人をコミュニケーション不能のモンスターのように」

 さすがに「違うんですか?」と言うのは、ここ最近著しく発達した防衛本能が阻止した。

 が、顔に出るのまでは止めようがない。

「何か言いたげな顔だな。学内総合テスト高等部二年の部3625人中504番須賀直哉」

「ちょっ! 何で知ってるんですか!?」

 直哉は阿修羅が自分の微細なデータを知っていることに驚く。

 今の時代個人情報等でうるさく、テストの結果を公表することもないので、結果を知っているのは採点者か友人くらいしかいないはずだった。

「私はここの支配者だぞ? この程度の情報を知るなど造作もない」

 納得できるようなできないような理由を述べているが、阿修羅の意味不明なところは今に始まったことではない。

「それにしてもお粗末な結果だな。生徒会役員として恥ずかしいとは思わんか?」

 阿修羅の発言に、直哉は少しムッとなった。確かに特別いい成績というわけではないが、決して悪い方ではない。どちらかと言えばいい方だ。

 自分にしては会心の出来だっただけに、直哉は引き下がりたくない。

「だったら、阿修羅さんはどうなんですか」

 すると、いつも通り、阿修羅の言葉は淀みが無かった。

「一位だ」

(納得いかねぇ!)

 叫びたくなるところを直哉はなんとか堪えた。

「この程度のテストができないくせに文句を言うとは、お前もいい度胸だな」

 直哉はぐうの音も出ない。

「ちなみに、彰人も満点で同率一位。簾舞会計もお前の学年で一位だ」

 さらにとどめとばかりに、阿修羅は事実を突き付ける。それらは言葉のナイフとなって、グサグサと連続で直哉のヤワな(自分ではそう思っている)ハートに突き立てられた。

 改めて、ここでは自分がいかに汎用(いろんな意味で)な人間であるかを知らされた。

 そこへ救いを差し伸べたのは、やはり生徒会唯一の良心だった。

「大丈夫ですよ直哉さん、今度のテストの時は一緒にお勉強しましょう?」

「ええ!? いいの!?」

 直哉はコスメをこの世に降臨した女神を見るような輝きに満ちた目で見つめた。

「ええ、今度は一緒に頑張りましょうね」

 そうやって女神が微笑むだけで、直哉のハートに突き刺さったナイフは砂塵に帰し、すぐに修復されて前にも増した輝きを取り戻した。なんてったって美少女と二人で勉強ができるのである。思春期の男子にとって河川敷でエロ本を発見することの何十倍もの僥倖と言っていい。それも、直哉はコスメのことが好き(本人は気づいていないがそう)なのだから、その喜びはひとしおなのだろう。

 まぁ、お安く心の傷がいえる男だともいえるが、そうでもなければ奇人変人奇奇怪怪の巣窟である生徒会ではやっていけない。

 後、完全に余談だが、エステは全ての事情を理解する理事長によって、化学等の特出した成果からテストを完全に免除されている。

「まぁ、成績の話はいいとして、どうだろう、歓迎合宿の件は」

 いつもは話を脱線させる役割の阿修羅が、珍しく話を主線に戻した。

「私はいい考えだと思います。直哉さんが生徒会に来てもう随分経って、なじめてきたことですし、皆で行けばきっと楽しいですよ!」

 そう言うコスメの眼は、「遊園地に連れてって!」とせがむ子供の眼をしていた。

 きっとこんな娘がいたら、是が非でも遊園地に連れて行くだろう。というか、私なら絶対連れて行く。それから、嫁にもやらない。やるもんか! この腐れ男共が!

 ……おっと、また話がそれるところだった。

 直哉も、愛らしいコスメに安穏な気分になってポケ〜っと見惚れていた。

「それおもしろそうね! なんだかわかんないけど、コスメが賛成なら私も賛成!」

 いつの間にかやってきていたエステの無邪気な声で、直哉は元の世界に帰還した。

 直哉が振り返ると、そこではエステが、いつもの白衣姿のところどころに点々と血を付着させて立っていた。

「エステさん、それ……」

 直哉が怖気で震える手で指差すと、エステは改めて自分の体を見回し、改めて気付いたといった様子でハッとした声を上げた。

「あちゃ〜、忘れてた……」 

 実際、エステも血のことなど忘れていて、コスメが楽しそうな声を上げていたので急いで駆けてきた。

「これはね……ほらあれ、トマトジュース。さっき零しちゃったの」

 テヘッと、明らかに誤魔化した風体で少し舌を覗かせる。

(胡散臭い……)

「まぁ、お姉ちゃんったら、気を付けて飲んでくださいね?」

 だが、コスメがまた疑うことなく言うもんだから、直哉は引っ込まざるを得ない。もともと興味のない阿修羅は追及しないし、彰人にとってエステの言葉は絶対なので、この場で謎の血痕についての追及は行われなかった。

「それで阿修羅、もうすでに計画と立ててたりするわけ?」

 蒸し返される前に、エステは話題の軌道修正をした。

「ああ、すでに目的地は決めてある。それと、生徒会メンバー明日から三日間の公欠はすでに提出して受諾させてある」

 つまり、直哉達の返答がどうであろうと最初から合宿に行くことは決定事項だったということである。まぁ、阿修羅の独断は今に始まったことではないので、誰も別に気には留めないが。

「まぁ、俺は構わないよ。どうせ生徒会予算から費用が出るんだろ? だったら断る理由は無いしな。それにお泊り。何か素敵なことが起こりそうじゃないか」

「あんた、コスメに何かしたら、殺すわよ」

 エステは普段の高い声からは考えられない、押し殺された低い声で彰人を威圧した。

 エステはその幼い容姿からは想像できない恐嚇的なプレッシャーを持っていて、まるでヤの付く自営業の親分さんのようだった。

「うはっ、その声もそそるなぁ……」

 が、そんなエステの行動は結局いつもどおり彰人を喜ばせるだけだ。エステもそれはわかっているのだが、ついつい言ってしまうのは止められない。

 エステは呆れたように溜息をついて、やれやれと首を振った。

「あの、それよりいいんですか? 学校の予算で旅行みたいなことしちゃって」

「問題ない。運動部の強化合宿と同じだ。新入りの須賀は知らないだろうが、こういった合宿はもう何度も開催されている」

 阿修羅が確認するように見回すと、生徒会の面々は肯定の意味で頷いた。

(生徒会の合宿か……)

 直哉は思案する。このメンバーで合宿に行くというのは甚だしく不安だ。どんな問題を起こすかわからない。が、コスメと一緒の旅行というのは魅力だ。彰人ではないが、コスメと親密になるチャンスかもしれない。

「わかりました。せっかく俺の歓迎会(名目上で実際は阿修羅が行きたいからだろうが)なんですし、喜んで行かせてもらいます」

 どうせ絶対に行かなければいけないなら、楽しもうと努力しなければ損だ。直哉はそう思い、前向きに考えることにした。

「うむ、では詳細は簾舞研究員に渡しておくので、ウェブ上で確認しておくように」

「まぁ! 決定ですね! それでは、明日から合宿に行きましょう!」

 よほど嬉しかったのか、普段は発言が控え目のコスメが手を叩いて阿修羅の言葉を引き継ぐと、立ちあがって欣喜雀躍で飛び跳ねた。

 直哉も見たことがないコスメのはしゃぎっぷりに、実に珍しく(直哉が見たのは初めて)阿修羅が無表情を崩して少し驚いた表情を見せていた。

「ま、まぁアレだ。遅れた人間は容赦なく置き去りにしていくので、そのつもりでいるように。では、解散だ」

 若干驚きが残っているのか、阿修羅はキレの無い言葉で締めると、会議室を出て言った。

(阿修羅さん、人間だったんだな……)

 当たり前のことを、今になって知った直哉だった。

「どうした直哉、何ボーっとしている?」

 入口を見つめて呆けている直哉に、彰人が見かねて声を掛ける。

「あ、いや、今ちょっと改めて驚愕の真実を突き付けられた気分になりまして……あ、いえ、なんでもありません。大丈夫です」

「そうか? ならいいんだが。気を付けろよ。季節の変わり目は風邪を引きやすいからな」

 彰人は軽く直哉の肩をポンポンと叩くと、爽やかな笑みで白い歯の残光を残して颯爽と会議室を後にした。

「いつもああやっていてくれれば、あいつも言うことなしなんだけどねぇ」

 大好物のプリンが冷蔵庫の中にあったのに、賞味期限が切れていた時に似たような感覚を覚えて(微妙な表現)エステは残念そうに溜息をついた。

 なるほど、この場面だけを見れば彰人がモテるのも頷ける。顔つきが男っぽくない直哉に対して、彰人は女性と男性の中間のような対応を見せる。すると、女性に対する変態的な部分と男性に対する差別的な部分が消え、すっかり優しいイケメンお兄さんになってしまっている時がある。

(あれで女の人は騙されるんだなぁ)

 ある意味、彰人は生徒会にいて正解なのだろう。もし彰人に人並みの人付き合いがあれば、そりゃもう脂ぎった黒い虫並に毛嫌いされること請け合いだ。

「まぁいいわ。もうどうにもならないほど壊れてるのはわかってるし。帰りましょ。コスメ」

 彰人にポンコツ機械確定宣告をすると、エステも会議室を出て行く。

「あ、お姉ちゃん、待ってください〜」

 キラキラと眼を輝かせて夢想の世界をたゆたっていたコスメは急いで立ち上がると、「あっ……」と直哉が声を掛けようとしたのにも気付かず、コスメはエステに続いて駆け出て行った。

「はぁ……」

 コスメに挨拶ができなかった直哉は、一か月以上経っても一向にコスメとの仲が進展しない自分に呆れかえっていた。

「俺、こんなんで合宿でコスメと仲良くなれるのかなぁ……」

「直哉さん」

「どわっ!」

 てっきり帰ったと思っていたコスメがドアの横からリスのように顔をのぞかせていたので、直哉は思わず椅子に座ったまま飛び跳ねていた。

 幸い、今のひとりごとは聞かれていなかったようだ。

「ど、どうしたの?」

 直哉は心臓の鼓動を精一杯に抑え、なるべく平然と答える。

「いえ、あの、ちょっと言っておきたいことがあって……」

 すると、直哉ではなく何故かコスメが頬を赤らめた。

「あの、私、同い年のお友達って直哉さんが初めてなんです。だから、そんなお友達と一緒に旅をするのも初めてで……その……」

 コスメの話は要領を得ず、直哉は首を傾げる。

「コスメ〜、早く帰るわよ〜」

 廊下の奥からエステの声が響くと、コスメは慌てふためき、

「あの、楽しい合宿にしましょうね。それじゃあ明日、またお会いしましょうね」

 それだけ早口で告げると、騒々しい足音を立てて姉のもとへ駆けて行った。

「……なんだったんだ?」

 ひとり取り残された直哉は、状況が理解できずにひたすら首を傾げる。

 だが、頬を赤らめて慌てるコスメは、やっぱり可愛かった。

 自然と、顔がにやける。

「なんだか、楽しい合宿になるのかも……」

 ほわほわと、綿菓子のような妄想が直哉の頭上に現れる。

 直哉の妄想は今時の高校生にしては健全なもので、直哉の肩にコスメが寄り添った状態で海岸に二人座り、永久に寄せては返す漣をBGMに星空を眺める、と言ったような想像力の乏しい直哉らしいものだった。

「うへへへへ……」

 どこまでも幸せな直哉だった。

「……何をしている?」

 突然聞こえた(直哉がボーっとしていただけだが)声に直哉がハッとして前を見ると、いつもの無表情に冷ややかな視線のおまけ付きで阿修羅が立っていた。

「阿修羅さん!? ええ、いや、なんでもありませんとも」

 慌てて口の端から垂れていた涎を拭う。

「そうは見えんが……まぁいい。早く帰れよ」

「そう言えば、阿修羅さんは何で残っているんですか?」

 冷静になった直哉は、誤魔化しも兼ねて阿修羅が残っている理由を尋ねる。

「ああ、明日のために刀を手入れしておこうと思ってな」

「あ、そうなんですか」

 いや、なんで合宿でカタナ? というのは怖いので聞かないでおいた。どうせ何かあるなら、その時まで知らない方が幸せでいられる。

「とにかく早く帰れよ。わかったな」

「わかりました」

 直哉は立ち上がると、阿修羅に言われたとおり足早に家路についた。

 まぁ、そんなこんなで、統合生徒会一行は直哉の歓迎合宿(という名目の恐らくは単なる旅行)に行くことになった。

 不安と期待が交錯し、直哉はこの日、あまり眠れなかった。


 

       3



 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 心地よいテンプレートな揺れが、断続的に体を眠りに貶めようとする。

 そう、ここは電車の中だった。

 生徒会一同は並んで椅子に腰かけている。

「……案外普通の移動手段なんですね……」

 電車のシートに腰かけて、直哉はしみじみと呟いた。

「当り前だ。お前はどこぞの映画スターのように専用のチャーター機で行く気だったのか? 地球環境も悪化の一方で非効率この上ない。あんなものは愚かで目立ちたがり屋で脳が犬並の者のすることだ。いや、犬でもしないか」

「個人名出さないで良かったですよ。思いっきり反感買います」

「私は本当のことを言ったまでだ」

 コスメがうんうんと頷く。

「そうですね。やはり環境は大切にしなければなりません。特に地球は美しい惑星ですし」

 言っていることはもっともだが、やはりコスメはどこか視点がずれている。

「そうよねぇ、科学力のレベルが低いから無限エネルギー機関も発明できないのよ。私が作ろうにも憲章に引っ掛かって著しくレベルの違う科学力は持ち込み禁止だし……無限エネルギー機関ができるのは随分先ねぇ」

 エステはもどかしさと憂いを帯びた、大人っぽいため息を吐き出す。

 何だか話が明後日の方向に進みそうなので、直哉は話から外れることにした。

「あれ? そういえば彰人さんは?」

 さっきまで確かに隣に座っていたはずの彰人の姿が無くなり、いつの間にかスーツの中年会社員と入れ替わっている。

「あら? さっきまでそちらにいらしたのに……あっ、おばあさん、どうぞ、お座りください」

「あれまぁ、すいませんねぇ」

 コスメは乗り合わせたおばあさんに席を譲る。

 何と模範的な子だろう。直哉はうんうんと感慨深げに頷いて、自分もコスメにならって前の老人に席を譲ろうと思い、

「ん?」

 ふと、彰人が少し離れたところで立っているのを見つけた。

 彰人はOL風の女性の後ろにぴたりとついて、右手をわきわきと準備運動でもさせるように握ったり開いたりしている。

(まさか……)

 彰人は強烈な不安を覚えた。

 案の定というか、お約束というか、彰人の手が盗人のようにそろりそろりと女性の臀部へと徐々に近づいていく。

(やっぱりか!)

 直哉は弾かれたように立ち上がると、乗客の合間を縫って彰人に駆け寄り、

「ちょっと、何やってんですか!?」

今まさに女性に触れようかという彰人の右手を掴み小声で諌めた。

「ん、何って、尻を触ろうと思って」

 彰人はまったく同様を見せずに、平然と言ってのける。ある意味さすがなのだが、

「なに合宿に行く前に軽く犯罪に手を染めようとしてるんですか!」

「なにって、目の前に女性がいて触らなかったら失礼だろ? それにこのスカートの丈とスリット、確実に待ちだって」

 自分勝手な曲解を自信満々に言う彰人。

「そう言う問題じゃないですよ!」

「大丈夫だって、日本人は事なかれ主義で見て見ぬふりが多いし。それに、もしばれてもほら、指紋とられないようなやり方はマスターしてるからさ。最悪訴えられてもお前がやってないって証言してくれればほぼ無罪確定だ。ほら、最近痴漢の捏造事件があったから、世間や判事も普段の証言や行動を基準として冤罪と判断するケースも多いし」

「計算づくかよ! あんた本当にタチ悪いな! ほら、もうおとなしくしてください」

「とか言って、本当はお前が触る気じゃないのか?」

「触りませんよ! いいからやめてください!」

「ええ〜やだな〜」

 子供っぽくごねる彰人を強引に押して、直哉は彰人を無理矢理女性から引き剥がした。

 直哉が両手を吊革に駆け、脱力して全体重を預けると、それに対応して全身から絞り出したような溜息が出た。

直哉が生徒会に入ってから心労が絶えず、溜め息を付く回数が以前に比べて数十倍に増えている。

「須賀、両手で吊革を持つな。常識のない奴だな」

 阿修羅は呆れたように呟く。

 直哉が今まで何度も思ったこの言葉。

(あんたにだけは言われたくない)

 今回も、この言葉は喉の手前で飲み込まれた。直哉とて、命は惜しいし阿修羅を怒らせるわけにはいかない。

 また、溜息が零れる。

 わかっていたことだが、前途多難は免れないようだった。

「まぁ、自分から何も言わずに席を譲るなんて、偉いですね、直哉さん」

 そんな直哉にかけられた声は、春風のように優しく直哉の心を吹き抜けていった。

 先ほど老婆に席を譲ったコスメが、勘違いして直哉を尊敬の眼差しで見つめていた。

「いや、別にそんなつもりは……」

「そんなに謙遜なさって。直哉さんは優しい人ですね」

コスメはそう言って、逆光でも輝く眩しい笑みを浮かべている。

その姿はあまりにも可愛いので、直哉はコスメから視線を逸らせない。

「あ、ありがとう」

「いえ、本当のことを言っただけですよ」

(ちくしょう、可愛いなぁ……)

 これがあるから、直哉は統合生徒会が辞められない。

「ちっ」

 幸せ気分に肩まで浸かっていた直哉に聞こえたのは、乗客の男性の舌打ちだった。

 直哉が振り返ると、その異様な光景にぞっとした。

 乗客男性の大半がそれだけで人を殺せそうな呪詛含みの怨讐の視線を直哉に向けている。

「な、なんだ……?」

 まったく状況が掴めないが、視線で射殺さんばかりの迫力から逃れるため、直哉は窓の外へと視線を移した。

 鈍い直哉は気付かなかったが、男性乗客の鋭い視線は、直哉がコスメの彼氏だと思われたからだ。「あんな可愛い子にあんな冴えない男など許せん!」という嫉妬と限りなく後ろ向きな羨望の思いからだ。

 直哉やコスメだけではなく、今や生徒会の面々は男女問わず注目の的となっている。

 クールに王道ヒロイン、ロリなど属性のバラエティに富んだ女性陣は完全無欠の美系揃い。さらに、見た目だけならアイドル顔負けの彰人がいる。乗客の注目を集めるのはある意味至極当然と言えた。阿修羅の腰元にある刀も美貌の前に霞んで背景と化している。

 つまり、明らかに浮いてしまう生徒会の中にいる分、普段は目立たないはずの直哉が滅茶苦茶に目立ってしまっているのだった。

(なんでこんなに睨まれなきゃならないんだよ……)

 直哉の前途は、やはり多難だった。

 はてさて、この先どうなるのやら……。


 

       4


 

 どこまでもひろがる落葉樹の木々。

 季節は秋。きっと、それはそれは素晴らしい紅葉が広がっていたに違いない。

 そう、辺りが漆黒の闇に包まれていなければ。

「……で、どこに旅館やホテルがあるんですか」

 無人駅の明かりの下でぽつり佇む直哉は、辺り一帯に広がる鬱蒼とした木々を見渡した。

 舗装した道路すら見当たらず、駅前のバス停には廃止されて久しい懐かしの看板が立ち並ぶ、さながらタイムスリップでもしたようなノスタルジックな光景。だが、バスは三日に一本というひょっとしたらバス停で餓死してしまいそうな絶望的な本数である。

 電車を乗り継ぎ、国内にも関わらず十数時間を掛けて到着したこの駅で下車したのは生徒会の一同のみだった。もっとも、正確に言えばこの沿線の電車に乗っていたのが生徒会の人間だけだったのだが。

「山之中駅か……見事なまでの文字通りの名だな……」

 ふむ、と彰人が感心したように頷く。

「いや、名は体を表すという言葉もある。この駅名だからこそ森林が豊かになったのかもしれん」

 さらにふむ、と阿修羅があり得ないことを大真面目に呟いている。

「すごく空気が綺麗ですね〜。あ、すごく星が見えます」

「ふ〜ん、こうやって見ると綺麗に見えるもんよね。恒星なんて近くで見たら核融合反応の連続で凄いことになってるのにね〜」

 エステとコスメは姉妹仲良くベンチに座り、互いに夜空を眺めて星を指差しては他愛もない会話に終始していた。

 周りに建物の一切ない、この漆黒の森のように先が見えないこの状況でも、直哉を除いて誰一人として危機感を抱く人間はいなかった。

(みんなが大物なのか、それとも俺が小心者なのか……)

 どちらかと言えば前者だろうが、正確に言えば皆いろいろと鈍いのである。

 何にしても、直哉が話を進めなければこの変人達が自ら動くことはなさそうだった。

「あの、阿修羅さん」

「ああ、須賀、お前は時々出てくるドラ●もんの指についてどう思う? あれができるならペタリハンドなんて言う使いにくさと見た目の間抜けさを併せ持った愚物に技術力をつぎ込む必要ないとは思わないか?」

「さっきの話からどうやってそんな話にスライドを……いや、そんなことはどうでもいいんですけど、この後どうするんですか? まさか、山中でサバイバルだ、とか言ったりしませんよね?」

 阿修羅だったら言いそうなので、直哉は半分本気で尋ねる。

「馬鹿を言うな。私が野宿などするわけ無いだろう」

 ああ、そっちの線で来たか。ある意味直哉の予想の範疇の答えだった。

「電車の時間は先方の宿に伝えてある。もうすぐ迎えが来るころだ」

 阿修羅が言葉を言い終えるか終えないかとのところで、静かな森に盛大なクラクションが響き、驚いたカラスたちが喧しく騒いで飛び立っていく。

「お、来たようだな」

 森の闇の中から溶け出すように、ふたつの黄色の眼を光らせながら一代のワゴン車が無人駅の前に停車した。

「どうも、お待たせしましたぁ」

 今どき珍しい手回し式のウインドウを開け、梅干しのように顔をくしゃくしゃにした老人が顔を出した。

「うひっ」

 直哉がしゃっくりのように喉をそらせる。老人の顔は光の加減で下からライトが当てられているようになっていて、正直ちょっと怖い。

こんな辺鄙なところまではんげく来てくれますたぁ。さぁ、早く乗ってくんせぇ」

 ところどころ色んな地方の方言が入り混じった怪しい言葉を独特のアクセントでのたまいながら、老人はゆったりとした動作でワゴン車のドアを開けた。

 極彩色の半被(はっぴ)には何の冗談か「ひなびたりょかん」とひらがなで書かれている。

 なんとも、ここまでの生徒会で過ごした日々で培われた直哉のツッコミ心をくすぐるネーミングだった。

「あの、その鄙び、た旅館って、いうのは、何か、の冗談なんですかね?」

 失礼だということは重々理解しつつも、直哉は熱いツッコミ衝動(三十六度弱)を抑えることができなかった。

「ああ、これは旅館の名前でさぁ。鳥のヒナの雛に、おひさまの日と田んぼの田で『雛日田旅館』と言うんだらぁ」

 真っ暗で本当に先を見えているのかも怪しいフロントガラスを見つめながら、やっぱりいろいろと怪しい日本語で説明してくれている。

「あ、ああ、なる、ほど。それで」

 ジェットコースターもかくやという頻度と強さで車体が揺れるので、紡ぎだす言葉はところどころでぶっちりと断裂させられる。

(それにしても、ここはいったいどこなのだろう?)

 窓の外を眺めども、眼つに映るのは塗りつぶされた暗闇と、窓に張り付いた鳥のフンと羽虫。それ以外には明かりどころか建造物すら見当たらない。富士山の樹海だってゴミと幽霊ぐらいはあるが、ここにはそう言った人間的なものがまるで感じられなかった。

 だんだんと、直哉はそこはかとない不安に駆られ始めた。

「あの、阿修羅さん、これから行くとこ、ろってどういう所な、んですか?」

 運転席の老人に聞こえないよう、阿修羅に耳打ちする。

「そんなもの、私が知るわけがないだろう。人に聞いてばかりいないで、たまにはその無い頭で考えてみたらどうだ?」

 この揺れの中でも、阿修羅の言葉は内容共々淀みがない。

「いや、そんなこと言われても……」

 自分から企画したくせに恐ろしく無責任な阿修羅、はいつものことなので仕方ない。とりあえず、隣の彰人に「何とかして」という意味を込めた視線を送る。

「まぁそんなに慌てるなって。別に地獄の底に連れて行かれるわけじゃない。後ろの二人を見てみろよ」

 彰人に言われたとおり、直哉は首だけ回して三列目の席を覗き込む。

「……すぅ……んん……すぅ……」

 そこではエステとコスメが寄り添い、互いの肩に頭を預け合いながら、安らかな寝息を立てていた。

どうでもいいが、この図は誰がどう見ても明らかにエステが妹にしか見えない。

「コスメは電車の中でずっと席を譲ってたし、エステさんも普段ほとんど運動しないから疲れたんだろうな。見ろよ、あの寝顔、オトコのイタズラ心をくすぐられるよなぁ」

 ぐへへ、と彰人は二人を見つめて下品な笑いを洩らしたが、直哉が無理矢理首を前に向けると表情を元に戻した。

「まぁつまり、気にしても仕方ないってこった」

 いろいろと言いたいことはあるが、直哉にも彰人の言わんとすることはわかる。

「あい、あと三時間はかかるんでぇ、それまでゆっくり寝ておくんなせぇ」

 運転手ももはや方言というか時代劇のような口調で睡眠を進めてきた。

 正直言って直哉はかなり疲労が蓄積していた。電車の中では怨讐の視線やら彰人の行動やらに気を遣うわ。阿修羅たちにツッコミを入れねばならんわ(別に義務ではない)で、常に矢面に立たされていたようなものだ。精神的になら満身創痍といっても過言ではない。

 車は揺り籠というよりは時化海の漁船と言った揺れ方だが、荒海を渡る漁師ほどではないが、本来直哉は神経質でもないし頑張れば眠れるはずだ。

「それじゃあ、そうさせ、てもら、います」

「あいよ〜、ごゆっくり」

 直哉はゆっくりと瞼を下ろす。

 三分と経たないうちに眠りつき、老人の説明を大幅に上回る五時間の道中の間、直哉が目を覚ますことは一度もなかった。


 

       5


 

「着きましたよぉ。お客さん、起きてくだせぇ」

「ん……ってわぁ!」

 その声で直哉が目を覚ますと、あとちょっと誰かが背中を押せば間違いが起きそうな距離にしわくちゃな老人の顔があった。

 それまで夢の中でコスメとキャッキャウフフしながら後一歩でいい所だっただけに、現実との落差は野茂のフォーク並に大きい。

 それでも、驚いて老人と接触しなかったのは不幸中の幸いだった。

 老人の顔が引っ込むと、今度は正真正銘のコスメが後ろの座席からひょっこりと顔をだした。

「おはようございます、直哉さん。とはいっても、まだ夜なんですけどね」

 よかった、やっぱり目覚めはこうでなくっちゃ。直哉は内心で深く感激していた。やっぱり朝は、香立つブラックコーヒーよりも、清々しい正常な空気よりも、美少女のおはようは素晴らしい。直哉はやたらと清々しい気分で意気揚々と車を降り立った。

「おお」

 そのテンションのまま、直哉は旅館の外観を眺め、思わず感嘆の声を上げた。

 阿修羅の選定だけに不安を持っていたのだが、奇抜な部分や群を抜いて目を引く物は無く、和の趣を大切にした静かな佇まいの旅館だった。相当な山中だけに観光等は期待できないが、ゆっくりと自然を楽しむ分には申し分ない。

「へぇ〜、結構素敵な感じじゃない」

「なんだかいい雰囲気ですね〜。今までのホテルとはなんだか違う感じです」

 ぴょんぴょんと兎のように跳ねながら、コスメとエステは熱心に旅館を見回していた。異星人で、しかも家族旅行などの経験が少ない二人にとって、純和風の旅館は随分と興味深いもののようだ。

「本当にここなんですか? 阿修羅さん」

 未だに信じられず、直哉は眼をパチパチさせて阿修羅の返答を待つ。

「ああ、連れてこられたのだからここなのだろうな。私は人だかりが嫌いだから人のいないところを厳選した結果がここになったのだ。なんでも百年以上続く老舗の隠れ家旅館、という触れ込みだ」

「はぁ……」と、直哉は息とも声ともつかない物を洩らす。案外、阿修羅さんも普通の考えの人なのかな、とか、直哉はいろいろ考えていた。

「では皆さんご案内しますう。こちらさどうぞ」

「あ、はい」

 いい加減どこの出身だかよくわからない老人に連れられ、直哉達は旅館の中へと入って行った。


 

「「「「おめでとうございま〜す!!」」」」

 出迎えはクラッカーの乱舞と、女将及び支配人の祝福の掛け声という旅館とは思えない派手なものだった。

良く見ると、ちゃっかり先行していた老人もその中に混じっている。

「……あの、これはどういった了見でしょうか?」

 直哉は顔や体に付いたカラーテープを取りながら、怪訝な表情で女将たちの顔を順番に見まわす。

「おめでとうございます! お客様は当旅館にお越しいただいた記念すべき十組目のお客様です!」

「それはどうも、ご丁寧にありがとうございます」と丁寧にお辞儀を返すコスメ以外の全員が、『いや、旅館という体裁としてそれは違うだろ』という冷ややかな目線を向けているのだが、女将たちは全く空気を読まず、どこから取り出したのかラッパやタンバリンまで取り出して直哉達を盛大に歓迎している。

「聞きました、阿修羅さん、十組目ですって。創業百年で」

 直哉は無感動に、機械音のような言葉を紡ぐ。

「うむ、隠れ家旅館だからな、十組しかいなくとも当然だろう」

 そう言う阿修羅も、心なしか言葉の切り口も(なまく)らでキレがない。

「というか、それじゃあ本当に隠れ家だろ」

 彰人の言葉は的のド真ん中を射ていた。

 そんな直哉達の冷めた態度などお構いなしに、女将たちはなおも、自分たちが騒ぎたいだけなんじゃないかと思えるほど滅茶苦茶に楽器を鳴らして踊っている。それにうるさいと文句をつける人もおらず、静かな旅館には従業員のどんちゃん騒ぎだけが虚しく響いていた。

 従業員だけがいやに活発だが、ひなびた旅館は、文字通り鄙びた旅館だった。

「ねぇ、なんでもいいけど温泉にでも連れてってくれない? もう十二時だし、疲れたからお風呂入った後ご飯食べて寝たいんだけど」

 エステの言葉にハッとした女将の一人は、体裁を整える様に(もうかなり手遅れだが)コホンと咳払いをした。

「失礼しました。三十年あまりお客様が来ていただけなかったのでつい嬉しくなってしまって……。申し遅れました、わたくし、当旅館の若女将です。どうぞよろしく」

 洗練された所作で全員が丁寧に礼をしたのだが、今更感がぬぐえない。何より、どう見ても二十代にしか見えない若女将が何故三十年前とか言っているのが気になる。

「あの、若女将。ちなみに夜伽のサービスは」

「ございません」

 若女将は笑顔でバッサリと彰人の言葉を切り落とした。

「疲れた、とっとと風呂に連れってくれ。若女将」

「かしこまりました」

 最初に話しかけたエステはもとより、彰人も阿修羅もすでに状況になじんでいる。どうやら、生徒会一同の環境適応能力は極めて高いようだ。いや、どこでも自分なりの空間にしてしまうというのが正しいのかも知れない。

 少しは自分の見習うべきかな? と、直哉は思うが、凡人には無理だろう。それに、直哉がツッコミ役としていなくなるとこっちが困る。

「……お前の都合かよ」

 おっと、久しぶりのツッコミだな、登場人物増えてくると描写が忙しくてこういう細かいこと出来ないんだよね。

 まぁ、そんなことは置いといて、直哉達は若女将の案内で温泉へと向かっていた。

(ん、待てよ?)

 温泉という言葉で、青年男子が真っ先に思い出すワードがある。

(もしかして混……)

「混浴ではございませんよ」

「……!」

 若女将が直哉の心中を透視したように先を繋いだので、直哉はとっさの判断で「何でわかったんですか!?」という言葉を喉の奥に押し込んだ。そんなこと言ったら、下心があることがまるわかりだ。彰人のようにあからさまにがっかりしたり舌打ちしたりすることは直哉にはできない。

「男性の方はこの廊下をまっすぐ進んでください。女性の方はまだ少し距離がありますので、私に付いてきてください」

 そう言って、若女将は男性陣に会釈すると、右に分かれた廊下を進んで行った。

「それでは、また後でお会いしましょうね」

 コスメもペコリと頭を下げると、阿修羅たちに置いて行かれないよう駆け足で行ってしまった。

 しばらく、廊下に立ち尽くす直哉。

 そんな直哉の肩に、彰人はそっと手を置き、

「残念だったな」

 ものすごく落胆したように、そして同情するように、静かに囁く。

「……そうですね」

 今ぐらいは本音を言ってもいいよな、と直哉もまた肩を落とした。


 

       6


 

「わあ! すごく広いお風呂なんですね! これが温泉ですか!」

 体にタオルを巻きつけたコスメが、露天風呂に飛びだすなり感嘆の声を上げた。興奮で肩を上下させるたび、タオルの向こうの膨らみがプリンを思わせる動きで柔らかそうに跳ねる。

「そう、これが温泉よ。コスメは初めて見るのかしら? ちなみに、こうやって外にある温泉のことはロテンブロというの。ロテンというのはおそらく『Royal family Tend Nature』の略で、自然を手に入れたかった英国の王族が独り占めした気分になったことが由来のお風呂なのよ」

 同じくタオルを巻いたエステは『俎板』とか『ぺったんこ』という言葉が大挙して押し寄せてきそうな起伏の無い胸を張り、甚だしい嘘知識を堂々と披露した。頭が悪いわけではないのだが、地球の専門的知識については結構疎い。

「ふむ……」

 阿修羅は作品の出来栄えを審査する陶芸家のように、顎に手を当てて静かに露天風呂の全体像を眺め、

「なかなか趣があっていいな……」

 満足したようにそう言うと、エステのとんでも発言にツッコミを入れず、ゆっくりと湯の中に身を沈めた。

 直哉という存在がいない今、ツッコミが入れられる可能性は皆無に等しい。

 仮眠をとって若干元気のあるコスメとエステは、しばらくの間興味津津で露天風呂を見学していたが、一通り見終わると湯の中に体を沈めた。

「ぷはぁ〜、生き返るなぁ〜」

 頭に手拭いを乗せたエステは、オヤジ臭く台詞をのたまって復活を宣言した。

「あれ、お姉ちゃんずっと生きているじゃないですか?」

「ん〜? ああ、今のはこの星の風習で、お風呂に入って気持ちがよかったらこういうのが決まりなのよ。なんでも、病院の地下のホルマリンプールに入れていた人間が生き返ったというのが由来らしいわ。変な話よね。ホルマリンなんて揮発性だから、死人が生き返るどころか生きてる人だってガス中毒で死んじゃうわよ」

 そりゃ都市伝説だっての。直哉がいればこの台詞をしっかりと言ってくれるのだが、いかんせんツッコミがいない。なので、「へぇ〜そうなんですか〜」とコスメに至っては感心してしまっている。日本史や世界史のテストでは満点ばかりなのに、疑うことを知らないコスメはあっさりと信用してしまうのだった。

 阿修羅は騒ぐ二人など気にも留めず、静かに温泉を満喫している。

「……」

湯煙で見え隠れする阿修羅は、艶やかでかなり色っぽかった。新雪のように柔らかで白い肌。普段はツインテールで隠れている滑らかなうなじ。たおやかで線の細い体で自己主張激しい双丘。熱で僅かに赤く染まった頬。

黙っていれば、阿修羅は芸術品と言っていいほど美しい。

「ふむ……」

ふと、阿修羅が何かを疑問に思ったように顎に手を上げる所作を見せた。

「そう言えば、『田舎に泊○ろう』や『ダー○の旅』は、やはりヤラセなのだろうか……」

……何とも、勿体ない限りであるが。

口を開けば、阿修羅は無駄に綺麗な変人でしかなかった。


 

一方その頃。誰も興味なんてないだろうが、男湯。


 

「ぷはぁ〜、生き返るな〜」

 図らずもエステと同時刻、寸分の狂いなく異口同音に呟いた直哉は、肺から絞り出すようにして疲れと共に大きく息を吐き出した。

 おそらく、今日生徒会のメンバーで肉体的に一番疲弊していたのは直哉だろう。何せ、山之中駅に着くまで、女性陣の荷物は全て直哉が担いでいたのだから。

「ふぅ〜……」

 口元まで湯につかると、いい香りが鼻の奥に抜け、お湯の中に今までの疲れが溶けて行くような気分になる。なんとも和やかで自然と鼻歌を口ずさんでしまいそうだ。

これだけでも、苦労してここに来て良かったな、と直哉は思う。

「いやぁ、なかなかいいお湯ですね彰人さん……あれ?」

 直哉が向いた方向に彰人の姿は無く、鬱蒼の生い茂った木々と、乳白色の水面(みなも)が静かに揺れているだけだった。

「おかしいな。さっきまで一緒にいたはずだけど……」

 直哉は周りを見回し、そして、

「なっ…!」

 彰人と目が合い、直哉は驚きのあまり目をひん剥いた。

 正確には目、というかその上にかぶっている赤外線ゴーグルとだが。

 彰人は全身黒尽くめの姿で、背中や腰に直哉が知りもしないようなハイテク電子機械をコンパクトに収容している。

 どう見ても、完全装備って感じだった。ミッションインポッシ○ルやメタルギア○リッドのように、潜入捜査をやってのけてしまいそうな雰囲気がある。

 ポカンと口を開ける直哉に、先に話しかけたのは彰人だった。

「おまえ、温泉に来て何故そんな恰好をしているんだ?」

 直哉はハッとして、

「いや、それはこっちの台詞なんですけど……。彰人さんこそ何なんですかその恰好は?」

「ふっ、愚問だな。なぁ直哉、お前、温泉に何しに来たと思ってるんだ?」

「何って……そりゃあ浸かって体の疲れを取るためでしょう?」

「かぁ〜! なんもわかっていないなお前は! まったく嘆かわしい!」

 彰人はやっぱりオーバーなリアクションで頭を激しく振ると、途端に落着きを取り戻し、ちっちっちと人差し指を左右に振った。

「温泉と言えば覗きに決まっているだろうが! 常識のない奴だな!」

 いや、あんたの常識が心配だよ、と内心直哉は思っていたが、そんなことを言っても仕方がないのはわかっているので冷たく彰人を見つめた。

 が、彰人の情熱の炎を覚ますことはできそうもない。

「っていうか本当に行く気なんですか? 阿修羅さんに殺されますよ?」

「ああ、行くとも」

「なぜそんな危険を冒してまで……」

 彰人は赤外線ゴーグルを外し、ふっとニヒルな笑みを浮かべ、

「そこに、女体があるからさ……」

 登山家のような文言で、決まったとばかりに凛々しい顔で微笑んだ。顔はかなり男らしいが、発言は男らしいというより変態でしかない。

 直哉はさらに絶対零度の視線を彰人に向ける。

「まぁそんな目をするなよ。いいか、お前だって、バレずに見れるもんなら見てみたいと思うだろ?」

「それは、まぁ……」

 そんなもの、見てみたいに決まっている。思春期の男子にとって女湯はパラダイス以外の何ものでもない。

「それに、阿修羅だって普段はああだが、かなりの上物だ」

「……確かに」

 普段の阿修羅は面倒掛けられてばかりで疲れるだけの我儘上司的存在だが、一旦その眼鏡を外して阿修羅を見れば、完璧すぎてまさに一点の曇りもない美人だ。スタイルだって、制服の上からでも悪くないとわかる。

「それにコスメだって、たぷんたぷんって感じだしな」

「たぷんたぷん……」

 かつてここまで興味をひかれる擬音があっただろうか? いや、ない。断言できる。

直哉は確かに覚えていた。登仙録府に転入してきたあの日コスメが顕現させた大自然を。

「エステさんだって幼少期独特の無駄のない引きしまった肉体。あれはがまた素晴らしい。おまえもきっと好きになる」

「いや、それはあまり……」

 直哉の趣向はあくまでノーマルだ。よって、美少女であることは認めるが、コスメはちょっと直哉のストライクゾーンからは遠い。

 だが、阿修羅やコスメのあんな姿やこんな姿に興味を持ってしまっているのは確かだ。

「だけど……」

 コスメの笑顔を浮かんで、胸の奥に強烈な罪悪感が生まれる。自分は仲良くして優しくしてくれるコスメに対して裏切る行為をしているのではないか、と。

『直哉さん』

 艶っぽく名前を呼んで、想像の中のコスメは微笑む。

「……」

 直哉はしばらく悩んでいたが、

「やっぱり、やめときます」

 もし覗きが何事もなく成功しても、良心の呵責に苛まれるのは嫌だった。

 彰人はちっ、と不貞腐れたように大きく舌打ちすると、

「ああそうかいそうかい。この根性無しめ。いいよいいよ、俺が一人で行ってくるから。お前は一人爺さんみたいに温泉で和んでいろ。俺は戦場に赴き、見事戦果をあげてみせる。あとで吠え面掻いても知らないからな」

 ぷいっと、子供じみた動作でそっぽを向き、茂みに向かって歩き出した。

「待ってろよ〜。流れるようなうなじ。雪のような白い肌。滑らかなお尻」

「うっ」

 思春期の少年の性で、直哉はつい想像してまいそうになるが、頭を振ってピンクな妄想を追い払っていく。

「むっちりとした胸。健康的な太もも」

「うぐっ! はぐっ!」

 彰人の言葉は絨毯爆撃のように直哉の決心を隙間なく潰していく。否が応にも、恥ずかしげに頬を染め胸元を隠すコスメの全体像が脳内に投影されてしまう。

「ああ、待ってろよ皆!」

 彰人は茂みを掻きわけ、深い森の中に分け入っていく。

 それでも、直哉は負けなかった。コスメの信頼を裏切るわけにはいけない。

(ん、待てよ?)

 そこまで考えて、あることに気が付いた。

(ここで彰人さんを止めなかったら、結局は俺がコスメの信頼を裏切ったことになる…?)

 そう言えば、殺人幇助という罪があったような気がする。覗きも、これではもしかして幇助になる……?

 否、とりあえず今はそんなことはどうでもいい。

 自分が気になっているコスメの裸を他人に見せることを許すわけにはいかない。

「ああちょっと! 待ってください彰人さん!」

 直哉は必死に叫ぶが、彰人からの返答は無い。どうやらもうすでにかなり遠くまで行ってしまっているようだ。

「くっそ、早く追いかけないと……」

 コスメと仲良くなるために来たというのに、嫌われたのでは目も当てられない。

 脱衣所に戻り手早く着替えると、直哉は彰人を追うべく茂みの中に踏み入って行った。



 長らくお待たせしました。再び、場面は女湯に転じます。


 

 髪や体を洗い終えた(仲良くお互いで洗いっこした)コスメとエステは、まるで最初からあったオブジェのように湯に浸かり続けている阿修羅を挟むようにして座った。

「ん〜、なかなかいいね阿修羅。最初来た時はこの旅館ちょっと胡散臭いと思ってたんだけどね」

 女性のみの空間独特の解放感からか、タオルが乱れているにもかかわらず、エステは堂々と手足を伸ばす。細い手足が外気に触れた。

「うむ、そうだな、他のことはまだ分からんが、風呂は良い。良すぎて少し浸かりすぎてしまったな」

 阿修羅はそう言って立ち上がると、淵にある敷石に腰掛けて足を組んだ。すらりと長い足がすっと伸びる。タオルの丈が短いので正面から見るとかなり危うい状況になっていた。

「……ん? どうした、簾舞会計」

 阿修羅はジロジロと自分を値踏みするように見つめるコスメに気づき、見ようによっては悩ましげな仕草で首を傾げる。

「あ、ごめんなさい。阿修羅さんって、スタイルいいな〜って思って」

 若干天然が入っていて子供っぽいコスメだが、自分の体形は気になる。地球だろうが宇宙だろうが、年頃の女の子の悩みは共通なのだ。

 実際、阿修羅の体形は宇宙的な美的感覚で言っても素晴らしい部類に入る。出るとこは出て締まるところはしまった、砂時計を連想させるくびれた肢体。とても超人的運動能力で『銀翼の血天使』と恐れられた超人的運動神経の持ち主とは思えない。

「特に気にしたことなど無かったが……称賛はありがたく受け取っておこう」

 阿修羅のコメントに謙遜している様子は無く、ただ本音を告げているだけのようだった。阿修羅にとっては、宇宙でも普遍的な乙女の心配事も関係ないらしい。

「ホント、羨ましいです。どうやったらそんなに細い腰になるのかしら」

「別に、何ら特別なことなどしていないが」

「でも、私、腰は全然細くならないんです。本当に何もありませんか?」

コスメが熱心に阿修羅に秘訣を聞き出そうとする間、

そんな二人を、エステは面白くない顔で見つめていた。

エステはフグのようにぷくーと頬を膨らませた。可愛らしい効果音が聞こえそうだ。

そして、何かを思い立ったように頭上に電球を光らせるとコスメが話に興じる間、エステは息を殺し、スーッとお湯の中を静かに移動し素早くコスメの背後を取った。

そして。

「とりゃっ!」

 後ろからコスメの豊かな胸を鷲掴みにした。

「きゃん!」

 コスメは尻尾を踏まれた子犬のような声を上げて飛びあがった。

「こんなに大きなお胸して何がスタイルが悪いだ〜。このこの! 遠まわしにお姉ちゃんを馬鹿にしてるな〜」

 エステは鬱憤を晴らすために、という名目で楽しむためにコスメの胸を揉みしだく。タオルの上からでもその弾力がわかるほどに、真っ白なタオルは胸に合わせて変形している。「やだ、ちょっとお姉ちゃん、違いますよぉ! 私は本当に、あん! あああ!」

 エステの指先がピアノを奏でるように細かに動くたび、エステは弓なりに体を反らせて嬌声を上げる……って、これじゃなんか描写がエロゲーみたいになってるな。

「そう怒るな簾舞研究員。高校生にでもなれば二次性徴もある」

「私はもう二十四だっての〜!!」

「あ! お姉ちゃん、そんなところ触っちゃダメですぅ!」

 エステが猛り、コスメが悶える。

 女の子特有の甘酸っぱい空気がその場を席巻しつつある中。

 突如、阿修羅はタオルの隙間に手を突っ込み、短刀、世間的(?)に言えばドスといわれるものを取り出すと、茂みに向かって投げつけた。

「……?」

 コスメとエステも、突然の阿修羅の行動に、動くのを止めて阿修羅を注視している。

「気のせいか」

「どうしたの阿修羅?」

「いや、一瞬人間の気配を感じたのだが、どうやら気のせいだったらしい。まぁその場に人がいたとしても、確実に仕留めたから問題ない」

「ふ〜ん」

 正直阿修羅がいれば自分の身がどうこうなどとは心配していないので、

「とりゃ!」

「……ふにゃぁ!」

 妹との(もしくはでの)遊びを再開した。

「や〜ん、お姉ちゃんごめんなさい〜」

「よいではないかよいではないか〜」

 時代劇の悪代官的な台詞をのたまって、エステは胸をまさぐり続ける。

 修学旅行のような雰囲気は、まだまだ続きそうだった。



「ふぅ、一瞬興奮して気配を殺せなかったか……。しかし、さすがは阿修羅、俺の一瞬の気配を察知して正確にドスを投げ込むとは……」

 阿修羅の放った担当は彰人のこめかみ数センチ手前というところまで切っ先を迫らせながら、寸前のところで明人に白刃どりの要領で阻まれていた。

「しかし、それでこそ覗き甲斐があるというものよ!」

 阿修羅の実力は凄まじい。しかし、それでこそ手に入れた時の達成感が得られるというもの。彰人の心は不必要に燃え上がっていた。まったく、この熱意を別の方面に向けていれば、日本の未来は明るいものになるというのに……。

 彰人は密林(気分的にで実際はそこまで険しくない)の中を音もたてず、獲物に迫る蛇のように無駄なく目標の温泉へと徐々に近づいていく。いったいどこで習得したのか、彰人の動きはその手の人のプロも舌を巻く洗練された動きだった。



「やだ、きゃ! そんなとこ触っちゃ……」

「おお、わが妹ながらなんという柔らかさ!」

 完全にオヤジと化したエステが、執拗にコスメの胸を撫でまわす。コスメは必死に逃れようともがくが、敏感なところを刺激されて思うように身動きが取れない……。って大丈夫かなこの描写? なんかエロゲーみたいになってくけど……まぁいいか、今時これくらいなら大丈夫……だよね? ほら、最近こういうのいっぱいあるし。

 まぁ、彰人と違ってエステに下心はなく、単なる姉妹の純粋なスキンシップなので微笑ましいものだ。


 

「ちっ……、やはり赤外線ゴーグルではいまいち臨場感が出んな……」

 その光景を、彰人は数百メートル向こうから遠視赤外線双眼鏡で見つめていた。

 赤っぽい視界と指向性マイクから拾える音では、いまひとつ満足できなかった。

やはり、覗きは肉眼で見るのがスリルがあっていいのであって、遠距離から双眼鏡で眺めるなどもってのほか。最も正しい覗きとはリスクを孕んだ壁の穴からの覗き。というのが彰人の価値観だった。それが間違っているかどうかは別問題として、彰人はそこにただならぬ執着を持っていた。

「さて、それではどうしたものか……」

 茂み側には壁がない。隠れてみるという点ではこれ以上のスリルはないが、穴からのぞくことに男のロマンが存在するのである、というのは彰人談

「よし」

 よって、壁のある側に回り込み、そこで穴を見つけることにした。

 密林の豹のように、森と一体化して淡々と獲物に詰め寄って行く。

 幼い頃に学んだ無音(サイレント)暗殺術(・キリング)を駆使すれば、気づかれずに壁側に回ることはそれほど難しいことではなかった。

どこで学んだ、とかは、後々明かされる……とか、そうじゃない、とか……。

ともかく、彰人は運良く覗くために開けられたかのような都合のいい穴を発見した。

自分でも恐ろしいまでに興奮しているのが分かる。強固に閉ざされた秘密の花園を覗ける唯一の穴は、それは彰人にとってまさしく天国(ヘブンズ)()(ゲート)女神たちの戯れを、至高の眼福を脳裏に焼き付けるため、彰人はゆっくりと、片目を閉じ、壁に顔を近づけ……。

がっしりと、後ろから肩を掴まれた。

「!」

 明人は必死に声を上げそうになるのを堪え、その右手を振り払い、背後にいる人物を確認すべく後ろに振り向いた。

 そこには、荒い息をつかないよう何とか耐えている直哉の姿があった。

『させませんよ、彰人さん』

 直哉が鋭い口調、のつもりで口パクする。

「くっ……」

 彰人は歯噛みした。

 今この穴の向こうには素晴らしい世界が広がっているのだ。

「やめてくださいってば〜! んん! やだ、タオルがとれちゃう!」

 薄い壁の薄い壁の向こう側には、パラダイスなのだ。女神や天使が戯れる夢の国なのだ。

 ああ、なんとしても覗きたい。これを覗かずして男といえるだろうか? 否、言えるはずがない! そうだ、俺は覗く。それこそが神の啓示なのだ! そのためにはどんな手段も厭わない!

 彰人は直哉の手をやんわり下ろすと、今度は逆に彰人が直哉の肩に手を置いた。

『まぁ、少し落ち着け、それより、取引といこうじゃないか』

『取引?』

 こくりと、彰人は小悪魔のような小ずるい笑みで頷く。

『俺より先に、お前に覗かせてやろう。これは名誉なことだぞ? 何せ神のなし得た所業を真っ先に拝むことができるんだ。素晴らしいぞ? 水をはじく柔らかな肌。あられもない姿でコスメや阿修羅、エステさんがいるんだ』

 巧みな言葉を用い、彰人は直哉に甘い誘惑で唆そうとする。

『大丈夫、バレやしないさ。さぁ、一緒に神の御業(みわざ)堪能しようではないか!』

 彰人はどこかの新興宗教の教主のように、大仰に手を開いて熱っぽく天を仰いだ。

『うぐっ……』

 正直、直哉の心はヤジロべーのようにぐらついていた。

 直哉とて、覗きたくないわけではないのだ。思春期の少年にとってこれほどまでに甘美な提案を断るなど、物凄く勿体ない気がする。

 が、それでも、直哉は頑なに首を横に振った。

『……ダメです。さぁ帰りますよ、彰人さん』

コスメの信頼は裏切りたくない。直哉にとって、今やコスメは心の大部分を占有する存在になっていた。なんて、ちょっとラブコメチックな描写をたまに入れてみたり。つっても、歯の浮くような表現はちと無理だが。

『ぐぬっ……』 

彰人は叫びだしたくなる心を抑え、拳を固く握り住める。

『何たる腑抜け。何たる体たらく。貴様は男としての本能をなくしてしまったのか!?』『彰人さんは本能よりも理性を優先してください』

『嘆かわしい! なんて嘆かわしい! 据え膳食わぬは男の恥だろうがっ!?』

『据えられていませんから。調理場に忍び込まないでください』

 もはや、直哉の心は決まっており、スウィーティーな囁きでは懐柔することができない。

『ええい……ならばこれまで!!』

「あっ!」

 直哉が止めようと声を上げたが、すでに遅かった。

「とえりゃいっ!」

 彰人は超人的な脚力と身のこなしを以って、立ちはだかるベルリンの壁を蹴倒した。


 

 バンと小気味良い音が響いた後、薄い木の壁はゆらりと倒れ、そして。

 その向こうには、桃源郷があった。

 清廉たる乙女たちの、穢れを知らない珠のような輝きを放つ白い肌。艶やかに濡れた上質な絹にも似た髪。僅かに上気して桃色に染まった柔らかな頬……。

 そういうまどろっこしいのじゃなくてわかりやすく描写するなら、エステに胸を掴まれていたのとタオルが腰に巻きついていたおかげでかろうじて大事なところが隠れているコスメと、その後ろにいたおかげでかろうじて大事な(以下略)エステと。湯船の淵に腰かけた普段より断然露出度の高いタオル一枚だけの阿修羅がいた。

 直哉は硬直して、その光景に見入るとともに、体の奥から熱く赤い者がこみ上げてくるのを感じた。具体的にいうと鼻のあたりに。

(コスメの白い肌! コスメの柔らかそうな胸! コスメの健康的な太もも! コスメのピンク色の顔! コスメの……)

 あまりにも刺激的な光景に、視界がちかちかと明滅する。

 そして、直哉の暴走する魂の奔流は形となって直哉の鼻から解き放たれる……。

「ほぉ……、なかなか命知らずだな、須賀」

 寸前で、阿修羅のぞっとするほど冷厳な声が耳朶に響き、直哉を一瞬で瞬間冷却。かちんこちんに凍結させた。

「ひっ……あっ…ふぇっ? ふぇっ?」

 コスメは何が起こったのか未だに理解できないのか、不明瞭な疑問符を何度も口にしている。その後ろではエステが、タオルを体に巻きつけながら凄絶な笑みを浮かべている。

「も、もしかして……」

 ベリーデンジャラス。デフコン2。

 直哉は自分がいかに窮地に立たされているかを理解した。

「ち、違うんです! これは不可抗力というかなんというか! その、宇宙意思が俺の脳波に直接訴えかけて! ほら遺伝子レベルで設定されたその、前世からの宿命? いや、そうじゃなくて彰人さんがって、あれええ!?」

 いつの間にか、さっきまでいたはずの彰人の姿が忽然と消えていた。

「ええ!? いやだからこれは違うんですって! 彰人さんが実行犯で、だから僕はそれを止めようとそれはもう勇猛果敢に」

「言いたいことはそれだけかしら?」

 能面のように動かないにこやかな笑顔のまま、エステは某青色猫型ロボットばりに異空間から複雑怪奇な異音を響かせる未知の機械を取り出している。

「ちょっ、なんですかその面妖なオーパーツは!? いやだから違うんですってこれは彰人さんが……ちくしょうあいつ逃げやがったな!……あああ、だめですってそんなことしたら作者の表現力を超えた大変な姿にいいいい!!」

これは……エステの取り出したものはちょっと刺激が強すぎるのでモザイク表現とさせていただきます。あれ? でも文章でモザイクってどうやって……。

「んなこといってる場合か! ってツッコんでる間に阿修羅さんもどこからそんな物騒なものを取り出したんですかっ!?」

 見れば、阿修羅は愛用の長刀を腰に携えて(タオルなの何故か鞘がひっついている)すでに居合いの構えになっている。

「それより、貴様もさっさとそれをしまったらどうだ?」

 阿修羅の視線は何故か、直哉の顔ではなく下腹部辺りに向けられている。

 ツーッと、直哉は阿修羅の視線を辿ってどんどんと視線を降下させ、そしてそれを見るなり自身も硬化した。おっ、ちょっとうまいこと言ったな!

「……………」

『別にうまくねぇよ!』というようなツッコミができないほどに石像化していた。

 そう、直哉はついさっきまで風呂に入っていたのだ。

 彰人を追って藪の中をかき分けてきたのだ。

「……うそ」

 腰にタオルなど残っているはずがなかった。

「……あらあら、大胆な御開帳だこと。モノは粗末だけど」

 エステの侮蔑の視線が降り注ぐ。その間も、手にした未知のブツを予断なく調整していくことも忘れない。

「うああああ!! なんでもっと早く言わないんですかああ」

 直哉は慌てて隠したが、時すでに遅し。

「安心してね。隠すまでもなく跡形もなく消してあげるから?

「まぁ、今回は自業自得と言ったところだな」

「いや、阿修羅さんいつもは理不尽にしている自覚あったんですか」

「なに、気にするな。言葉のあやだ」

 じりじりと、阿修羅とエステが矮小な(深い意味はない)直哉ににじり寄る。

「わあああああ!! 待った待ったあああ!!! 本当にこれは彰人さんがやったんですって俺は本当に彰人さんを止めようとしてちょっと本当にそれはまずいですって!」

「……ハッ!」

 そして、今まで呆然としていたコスメがようやく状況を理解し、

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 夜空に響く甲高い悲鳴を上げたのを合図に、直哉は圧倒的な暴力の嵐に飲み込まれた。


 

        7


 

「本っ当にごめんなさい!」

 傷だらけの直哉の隣で、コスメはひたすら平謝りしていた。

「いや、いいよ。なんとか死ななかったわけだし……」

 そう言う直哉の体には、確かに目に見える怪我は無くなっていた。

 とはいっても、明らかにR15指定の暴力で痛めつけられ、一度はもはや生き物だったかどうかすら怪しくなるほど激しく肉体を破壊されたのだ。阿修羅が真犯人の彰人を見つけたおかげで。どうにかエステのオーバーテクノロジーで肉体を再生することができたのだが、それがなければ直哉は確実に人間としての生命を終えるか、よくてもエステの実験動物としてあんな目やこんな目にあってしまっていただろう。

「ほら、なんだか誤解も解けたみたいだし、こちらにも非があるわけだから……」

 直哉がなだめるのだが、コスメはなおも頭を下げ続ける。

「私、突然現れたからびっくりしちゃって、取り乱してつい……。そうですよね、彰人さんと違って直哉さん覗きなんてしませんよね。ああもう、本当にごめんなさい」

「はっはっは、そう褒めてくれるなよ」

 部屋の隅でミイラ男となって転がっている彰人が軽快に笑って見せた。

「いや、何で彰人さん生きてるんですか? 阿修羅さんに切り刻まれてエステさんの未知の機械で&%$#%&@%$(表現不可能)になっていたのに……」

「ん……それはまぁ日頃の行いがいいからだろう」

「それは絶対無いです」

 直哉は完全否定して、それから動けない彰人を指差し、

「エステさん、この人に止め刺しませんか?」

「あんた、人畜無害な顔して何気に怖いこと言うわね……」

「いえ、僕は人に罪を押し付ける屑が許せないだけであって、彰人さんは嫌いじゃありませんよ。罪人を憎んで人を憎まず」

「つまり人であっても罪人は憎むわけね……。まぁいいわよ、あの時の彰人の記憶は全部抹消してあるから、見た物は何も覚えていないはずだし」

「そうですか、いやぁ、それは残念です」

 直哉が満面の笑みでこたえると、エステは乾いた笑いを洩らして苦笑した。

「ねぇ、なんか最近直哉君の性格がちょっと壊れてきてる気がするんだけど……」

 エステは夕食に出された山菜の天ぷらを食べ続ける阿修羅に耳打ちする。

「ん、まぁいい傾向ではないのか? 撃たれ弱いとあっさり死んでしまうからな」

 阿修羅はいつも通り気にしてはいないようだった。まぁ、どこまで行っても直哉が阿修羅にかなう日など来ないから当然だ。蟻がいくら強くなったところで恐竜に勝つ事は無い。

「月並みな表現だな……まぁ、否定はしないけどさ」

 緩やかなツッコミを入れるとは、お前も成長したな……(感涙)。

 と、浸っている間に、今度はコスメが目を潤ませていた。

「やっぱり、直哉さんって優しいですね。私、なんだか感動しちゃいました」

「いや、それほどのことじゃ……」

「今までは怪我をしたり全身粉砕骨折したりした生徒会のメンバーはみんなすぐ止めて行ってしまったのに。直哉さんは凄いです。笑って許して上げられるなんて……」

「ちょっと耳を疑ってみたくなる発言があったけど、とりあえずありがとうって言っておくよ。とにかく今は晩御飯食べよ? ね?」

 何か勘違いをしているコスメは瞳に溜まった涙を拭い、

「そうですね。そういえばお昼から何も食べてないからお腹が空きました。いただきます」

 パンと軽く手を叩いて、季節の山菜の盛り合わせを口に運んだ。

 直哉もそれに続いて箸を進める。山の中だけあって山菜もなかなかうまい。

「お〜い、俺はどうすりゃいい?」

 ミイラとなって布団に安置されている彰人が、呼んでいる。

「ああ彰人さん、安心してください」

 直哉は彰人に向ってにっこりと微笑み、

「彰人さんの分、みんなで美味しく頂かせてもらいます」

 笑顔にたがわない穏やかな声音で語りかけた。

「……」

 さすがに罪を着せるのは拙かったかな、と彰人はしょんぼりしながら後悔した。


 

「ああ!」

 夕食を食べ終わって箸を置いた途端、コスメは素っ頓狂な声を上げた。

「ど、どしたの?」

「いえ、実は脱衣場にちょっと忘れ物しちゃったみたいで……。十歳の誕生日にお母さんから貰った、くし……」

「櫛?」

「串カツ用の秘伝のタレを……」

「え、いや、なんで?」

 本当は激しくツッコミたいのに、コスメなのでツッコめず葛藤していると、

「お母さんは串カツが好きなのよ。だから秘伝の配合でタレを作ってるのよね」

 エステが注釈を加えてくれたのだが、「何で宇宙人なのに超局地的名物な串カツ?」という疑問が膨れ上がるだけだった。

「すいません! ちょっと私取りに行って来ます!」

 言うなり、コスメは襖を吹き飛ばして脱衣所へと駆けて行った。

 カタンと鹿威しが鳴って、秋の冷たい夜風が中庭から吹き込む。

「ふむ、月見酒も風流だな……」

 自らの瞳にも似た切れ長の月を見上げながら、形の良い唇に杯を寄せる。

「いや、基本に立ち返らせてもらいますが、阿修羅さん未成年ですよね」

「安心しろ、これはノンアルコール日本酒だ」

「上手く逃げたつもりでしょうけど、現在は市販されてません」

「………クイッ(杯を傾ける音)」

「いや、無視ですか。まぁいいですけど」

 どうせ年齢は不詳なのである。それに、その飲み姿はどう見ても任侠一家の姉御であって高校の生徒会長には見えず、様になっているのでそのままにしておいた。

「……寒っ」

 酒で体を温めている阿修羅はともかく、さすがに秋の夜風は身に染みるので、直哉は浴衣の上から羽織るものを探し始めた。

 その時だった。


 

『きゃああああああああああ!!』


 

 絹を裂くような女の悲鳴が闇夜に響き渡ったのは。

 旅館の従業員を除いて、今この場にいないのはたった一人しかいない。

「コスメ!?」

 真っ先に反応して駆けだした阿修羅に追随して、直哉は声の発生源に駆けだした。

 超人的な運動能力を持つ阿修羅について行けるはずもなく、息を切らして直哉が到着したころには、すでに阿修羅が脱衣所の中に立っていた。

「これは……」

 脱衣所はひどい惨状だった。壁は自動車でも突っ込んだような穴が穿たれ、ところどころに破片が散らばり、床には一枚ピンク色の布きれ……おっ? ちょっと待てこれはもしかしてあの伝説の……!! 

 おっと、危なく取り乱すところでした。じゃなくて、とにかく派手に壊れていた。

「いったい何が起こったんだ…?」

「ふむ、まずは現場検証からだな」

 いつの間にか、無傷の彰人が直哉の隣に立っていた。

「うおおお! さっきから描写がないと思っていたら、彰人さんいつの間に復活したんですかっ!?」

「おいおい、ギャグ漫画なら次のコマで復活するのは常識だろ?」

「いや、これギャグ漫画ですか。ドク○ちゃんでも一応復活の呪文(?)とかあるのに……っておい、これじゃあ伏せ字の意味ないじゃん。○入れる位置考えろ」

 本当だ。見ようによっては普通に読めるね、ドク○ちゃん。

「ああもういいよこの能無し作者。頼むから真面目に描写してくれ」

 へいへい、まぁそんなこんなで彰人が合流して、直哉は現場を調べ始めた。

「むっ……」

調べ始めてすぐ、直哉は床に気になる物体を発見した。

「なんだこれ? やけにネバネバしてるな……」

 人差し指ですくいとって親指をくっつけると、無色透明の粘着質の物体は指の間で納豆のように糸を引いた。

「ふむ、これは間違いなく十八禁ゲームでありがちな触手獣の粘液に違いない」

「んなわけないでしょ。一応これ全年齢対象ですよ、恐らく」

「いや、作者ならやりかねない」

「……確かに」

 おい、納得するなコラ。それに恐らくって何だ。

「いやでも、どこかで見たことあるんですよ。いつだったかな、あんまりいい記憶はないんですけど……阿修羅さんはどう思います?」

 ちっ、無視か。覚えてろよ。んで、直哉は阿修羅に問いかける。

「ふむ、そうだな……」

 阿修羅は切れ長の瞳をさらに細め、形のいい顎に手を当てて思案する。

 数秒後、何か思いたったように眼を見開いた。

「そう言えば、この話とかなりキャラ設定の似た漫画でミツル」

「あああああ!! それは絶対にダメ! 他のどうでもいい話は許すけどそれはダメ! 作者も書き始めてから知ったんだから!」

 ナイス! ナイスキープ! ナイス判断!

「ああそうだエステさん何かわかりませんかっ!?」

 動揺しまくりで話を振ると、エステはまるで聞こえていない様子で地面に着いた粘液を凝視していた。

「あの、エステさん?」

「ふぇっ? ああ全然知らないわ! うん、びっくりするほど皆目見当もつかない!」

 あからさまに怪しいエステに、直哉はジト目を向けていたが、

「何事ですか?」

驚いた様子で女将が飛び込んできたので、とりあえず追及はしないでおいた。それに、エステが怪しいのは今に始まったことではない。

「いえ、俺にもよく分からないんですけど……。急いで駆け付けたら既にこんな風に壊れてしまっていたんですよ」

 直哉が手短に説明すると、女将はいきなり脱衣所の電気を消し、蝋燭に火を灯した。

「あれはそう、私がこの旅館に勤め始めてすぐのことです……」

(聞いてもないのに唐突に何か語り始めたっ!?)

 一瞬直哉はツッコミを入れようと思ったが、何かの手がかりになる可能性もゼロではないのでとりあえず心の中だけにしておいた。

「今日のように綺麗な満月でした。新入りの私が洗濯をしていると、」

「川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこ」

「……阿修羅さんもちょっと黙っててください」

「なんだ、せっかく人が場を和ませてやろうと気を利かせたというのに」

 本気だか冗談だかわからないことを言っている阿修羅はとりあえず無視して、直哉は女将の話を続けさせた。

「突然、ドンという大きな音が響いて、私は驚いてすぐそこに駆けつけました。するとそこには……」

「政略結婚が嫌で無制限力場軌道船に乗って逃げてきた美少女皇女が!」

「やかましいわっ! っていうか彰人さんそんなちょっと頑張らないと元ネタが特定できないような発言しないでください!」

「さらにそれを追いかけてネコミミメイド侍女が」

「ああもうそのネタで引っ張るな!」

「そうよ、今時無制限力場軌道船なんて古臭い」

「エステさんも真面目に絡んで来ないでください!」

 直哉が息を切らしてツッコミを入れていると、

「……と、いうわけです。私はあの時の恐怖を一生忘れられないでしょう」

 女将の話はいつの間にか終わっていた。

「あの、すいません、もう一度話して貰うわけには……」

 直哉の発言は作者の権限で却下。ぶっちゃけページ食い過ぎ。

「まぁ、今回に関しては阿修羅さん達の所為だから別にいいけど……」

 察してくれて助かる。

「それにしても、何か手掛かりは……ん? すいません、ちょっと蝋燭貸してください」

「あ、はい、どうぞ」

 何かに気付いた直哉は女将から蝋燭を受取ると、大穴の向こうを照らしだした。

 中が明るかったせいでさっきは気付かなかったが、大穴の向こうには極太の轍のような跡が木々をなぎ倒して続いている。

「阿修羅さん」

 直哉が振り向くと、阿修羅はわかっているとばかりに頷いた。

「どうやら、簾舞会計は何者かに拉致され。この先に連れて行かれたので間違いないな」

「それじゃあ、すぐに追いかけましょう」

 そう言って、大穴から駆けて行こうとした直哉を、阿修羅が肩を掴んで止めた。

「待て。このまま準備も無しに追いかけるのは、スぺラ○カーでピーチ姫を救出に行くようなものだぞ」

「例えが回りくどい上に一部の人しかわかりませんが……とにかく無謀だといいたいことはわかります。けど、早くしないとコスメが」

 焦る直哉の肩に、彰人が静かに手を置いた。

「まぁ、少し落ち着けって。お前は何の準備も無しにこの山を進むつもりだったのか? 俺たちはともかく、お前は間違いなく遭難するぞ。それに、準備を怠ってもしもの事があったら困るだろ?」

「……わかりました。けど、彰人さんがいつになく真面目な話を……」

「いや、驚くのそこかよ。まぁ、わかったんならそれでいい」 

 彰人はやれやれと首を振ると、装備を取りに部屋へと戻って行った。阿修羅も続く。

「さぁてと、私も準備しないとね」

 エステがうーんと背伸びをして、首をコキコキと鳴らしながら部屋を出て行こうとする。

「エステさん、コスメがさらわれたというのに随分呑気ですね」

 んー、と、エステはだるそうに返事を返し、

「だって、さらわれたってことは今のところ殺す意志は無いってことでしょう? だったら焦る必要ないわ。あの子、結構強いしね」

 まぁ確かに、阿修羅には劣るとしても、コスメの怪力には時々目を瞠るものがある。

「それにぃ、準備しないといけないじゃなぁい? 私のたぁいせつな妹をさらってくれちゃったんだからぁ、ちゃぁんとお礼をしてあげないとねぇ?

 エステは幼い美貌に妖艶な笑みを浮かべ、「うふふふふふ……」と、魔女のように不気味な笑声を上げながら部屋へと戻って行った。

「……うわぁ……」

 直哉はその背中を見送りながら、この生徒会を敵に回した愚かな犯人に少し同情した。


 

       8


 

「う、ううん……」

 口をむにゃむにゃと可愛らしく動かし、コスメは眠たげに瞼を瞬かせた。

「あら? 私、寝てしまってたのかしら……?」

 未だ覚醒に届かないぼんやりとした意識の中で、コスメは何となく周りを見渡した。

 天井は見上げるほどに高く、嫌に古ぼけてカビや蔦の目立つ石壁に窓は無い。遥か上部に一つだけ取り付けられた豆電球だけが唯一の光源のようで、部屋の様子をぼんやりと映し出している。

「変わった趣向のお部屋ですね」

 もう一度、今度は念入りに部屋の中を見渡してみる。

 部屋の中はかなり広く、四角ではなく円形の間取りになっていた。狭く見積もっても半径五十メートル以上はある。まるでドームの中のようだった。

「あら? でも確か、私は脱衣所にいたはずでは……?」

 さすがに、バファ○ンよろしく半分が天然で出来ているコスメにも、状況の異常性のカケラほどは理解できた。顎に手を当てて、こうなった経緯を思い出してみる…が、皆目見当もつかない。

いったい何故こんな事になっているのだろう。コスメが不思議に思って色々と調べてみようとすると、

「……あら? 何でしょうか…?」

 目の前に見えない壁が立ちふさがっていて、それ以上前に進めない。

 少し離れて目を凝らすと、そこにはアクリルか何かなのか、透明ながらも硬質な素材で遮られていた。まさかと思って確認してみると、前後左右、おまけに上まで塞がれていて、コスメはさながらショーケースの中に閉じ込められたかのようだ。

「うーん、困っちゃいましたねぇ」

 と、まるで困っていない風に呟いて、コスメは腕組みをした。

「お布団がないと風邪を引いてしまいます」

 …………………………………………………。

 ああくそ、直哉がいないと誰も発言にツッコミ入れてくれない。今くらいのボケならいくら直哉でもコスメにやんわりツッコミを入れてくれるというのに…!

「ふふふ、お目覚めの様だな。お嬢さん」

 おお! ちょうどいいところに、若本規夫似の悪役っぽい声が響いてくれた。

 男(と思われる)はパチンと指を鳴らすと、警察があのほら……犯人とか照らす強烈なライト(?)が点灯し、逆光でシルエットだけを映し出される。

「あの、どなたですか?」

 眩しさのしょぼしょぼと眼を窄ませながら、コスメが緊張感のない声で尋ねる。

「ふふふ、我こそは世界を混沌に陥れるために降臨した悪の魔王」

 シルエットの男が肩を震わせ、不敵に笑う。

「ああ、悪の魔王さんというお名前ですか。はじめまして、私は簾舞コスメといいます。申し訳ありませんが、眩しいので明かりを少し弱くしていただけませんか?」

「あの、もうちょっとリアクションとかない?」

「えっ? あっ、すいません。私何か失礼なこと言っちゃいましたか?」

「……もういい」

 シルエットの男はがっかりしたように肩を落とすと、ライトのスイッチを切り、代わりに部屋にあった照明の明度を引き上げた。

 そして、映し出された男の姿。

 爬虫類を思わせる緑色の肌。頭から飛び出した二本の触覚。

 その姿はまるで、

「ナメッ○星人!」

 コスメは思わず指さして叫んでいた。

「いきなり無礼な奴だな。人に指を向けるとは」

「あっ、すいません。なんだか無性にやらなければいけない気がして」

「ちなみに、私はナメッワ星人であって、魔王と言っても断じて 名前が西遊記な主人公が星の付いた球を探し求める摩訶不思議アドベンチャーのあの人ではない」

「えっ? じゃあ、あなたはデ○デですか? 小柄な方ですし」

「いい加減『龍玉』から離れんかっ! いいかっ! 私はナメッワ星人であってナメッ○星人ではない! 字で表現すると紛らわしいが発音してみれば違いが判るだろうがっ!」

 ふふっ、ありがたい。ツッコミキャラがこれほどありがたいとは。直哉の待遇ももうちょっと考えてやらねばならんな。

「おまえも作者ならこんなつまらんネタを長引かせようとするな!」

 はぁはぁと息を切らしながら、デ○デ……もとい、ナメッワ星人が喚きたてる。

「あの、どなたと話しているんですか?」

「なんでもない。ネタ作りセンス皆無のあいつに何を言っても無駄だった」

 酷い言われようだが……悲しきかな、否定できない。

「まぁいい。とにかく話を進めるぞ。いいな」

 ナメッワ星人はこほんと咳払いをして体裁を整えると、聞いてもいないのに身の上話を語り始めた。

「この星の時間で二十年ほど前のになる。私は宇宙船の故障でこの星に不時着した。本来なら修理を終えればすぐこの星を発つつもりだったのだが、ある目的ができたため、その目的を成し遂げるまでこの星に残る決意をしたのだ」

「ある目的?」

「その通り!」

 話に食いついてくれたのがよほど嬉しかったのか、ナメッワ星人は合コンに凄く可愛い女の子が来ていた時の大学生並にテンションを上げた。

「私はこの星に来て、TVゲームにハマってしまったのだ! そして私は、どの作品でも主人公に完膚なきまでにやられる魔王を見て思ったのだ! この魔王達の無念を私が勇者を蹴散すことで晴らしてやろうとな! それから私は山の奥深くに潜み、苦節二十年、ようやくこの城を築くことができたのだ! そしたらなんかちょうどいい感じに武器を持った強そうな人間が来てくれたみたいな!?」

 テンションの上がりすぎで口調が変わってしまったので、ナメッワ星人はそこで一つ間を置いて自分のペースを取り戻し、

「そこで! お前にはRPGになくてはならない囚われのヒロインになってもらおうと思った訳なのだよ!」

 どうでもいいが、ナメッワ星人のテイストはいちいち古い。RPGの黎明期を彷彿させるノリだ。今どき囚われの姫とか魔王って……。

「黙れ! ともかく私は崇高な志を持って、勇者を打倒するために立ち上がったのだ!」

 ビシィ! と、バックに稲妻が走った気分にさせる勢いで、ナメッワ星人はコスメに指を突きつけた!

「……すぅ……すぅ…(寝息)」

「ベタなボケをするなっ!」

「ふぁっ、ご、ごめんなさい。話がつまらな……いえ、くだらな……じゃなくって、盛り上がりに欠け……違う違う、おもしろくな……もとい、え〜っと……」

「もういい! 無理に遠まわしな表現考えなくていいから! 余計に傷つくから!」

 ナメッワ星人は半分涙目になって、半ば恐慌状態で耳を塞いでぶんぶんと頭を振った。

 コスメはちょっと悪いことしてしまったな、と思い、これからはもっと咄嗟に上手い言葉が出る様に語彙を磨こう、と反省した。

 しばらくナメッワ星人はそうしていたが、ひとしきりすると落ち着いたのか、コスメに向けて最初のように冷静な視線を向けた。

「とにかく、じっとしていろよ。もし下手な真似をすれば……」

 ピッ、と軽快なボタンの音がすると、コスメの足元も透明の板に変わった。

「うひっ……」

 コスメは真下で蠢く無数の影を認め、あまりのおぞましさに戦慄した。

 ふふふ、と、ナメッワ星人は満足気に笑い、

「もしお前が下手な真似をすれば、その板は外れ数万匹のゴキ……否、黒光りする素敵なお友達に真っ逆さまだ。山育ちは都会のよりも大きく活きがいいぞ?」

 ナメッワ星人がもう一度手元のボタンを押すと床は元の石造りに戻り、コスメはほっと胸を撫で下ろした。

「おとなしくしていれば悪いようにはしない。勇者たちを倒したら解放してやる。ではな、ふはははははは……」

 最後くらいは魔王っぽく決めようとか一丁前に考えたのか、魔王っぽい笑い声を広い空間に響かせて部屋を出て行った。

「なぁ、なぜか私の時だけ描写が冷たいしテキトーじゃないか?」

 んにゃ、気のせいじゃないか? ほら、早く出て行かないと話が進まない。

 ナメッワ星人は訝しげにドアの前で立ち止まっていたが、観念して出て行った、と。

 さて、取り残されたコスメは、

「お姉ちゃん……」

 囚われのコスメ、寂しさに姉を思い、

「ちゃんと歯磨きしたのかしら?」

 ……やっぱり、コスメはどこまで行ってもコスメだった。


 

       9


 

 準備を整えた直哉一行はコスメ捜索のため暗い山道を進んでいた。

 ……のだが。

「あの、俺はツッコむべきなんですか?」

 二時間ほどは耐えていた直哉も、ついには足を止めた。

「何がだ?」

 そう言って訝しげに眼を細める阿修羅は、いつもの水玉パジャマ。

「そうよ、早くコスメをさらったクズヤローを滅殺してあげなくちゃ」

 ドラ○もんのようなポケットを付けて物騒なことを言っているエステは、ギザギザしたのとかトゲトゲしたのとか、そういった凶悪そうな兵器や武器や拷問器具的なものをわざと目につく位置でポケットから飛び出さしている。

「だな、準備ができた今急がない理由は無い」

 そう言う彰人はこの山の中で何故か海パン姿(なのにかすり傷一つない)でいる。

「せめてツッコミどころは一つにしてほしいんですけど。多すぎてどこから手をつければいいのか……。一番言いたいのは何で彰人さん覗きの時の重装備しないんですか?」

 いきなり疲れた様子で、直哉ががっくりと肩を落としていると、

 ブォゥン!

「うわっ!」

 突如、何もない地面からローブをまとった老人が姿を現した。

「予言が正しければこの世は闇と化す。その憎むべき首謀者こそあの魔王ワーロック!!奴はシャドウゲイトと呼ばれる城で、タイタンの中でも最も恐ろしいベエマスの眠りを醒ましこの世を思いのままに動かそうとしているのじゃ!! この目論みを打ち破れるのは王家の血をひく者……そう、そなただけじゃ!! シャドウゲイトに行ってくれぬか? そしてこの世を救ってほしいのじゃ!!」

 そして、理解不能な内容を意味不明に高いテンションで言い放った。

「あの、これも俺がツッコまなくちゃダメなんですか…?」

 返答を求める直哉の視線を無視して、阿修羅と彰人はしきりに頷き、

「ふむ、これは締めてかからなければいけないようだな」

「ああ、まさかシャドウゲイトで来るとはな」

「何、問題ない。私はあれをノーミスでクリアしたことがある」

「マジかよ!? さすがだな……」

 意味不明なやり取りを続けていいる。

「あの、俺にはまったくわからないんですけど」

「私も。なんだかわかんないけど凄くディープな話をしている気がするわ。少なくとも、読み手は一部を除いて置いて行く気満々ね」

「本当に作家やりたいんですかね」

「さぁ、書きたいことをただ自己満足で書いてるだけじゃない?」

 うう、エステに直哉、お前らなんつーひどい事を……。まぁ、確かに的を射ている部分もあるにはある。

「よし、行くぞ。須賀、簾舞研究員」

 エステと直哉が陰口を叩いているうちに、さっき現れたローブの男(知る人ぞ知るドルイドの預言者)はいなくなっていた。

 何か釈然としないものの、コスメを助け出すために今は気にしないことにした。

「あっ、何か勝手に話進めようとしてるし」

 ああもう、ページ足りないんだから早く行けよ!

「いや、でも、何かわからないとこの先のツッコミが」

 はいはい! 直哉も阿修羅に続いて歩きだしたっ!

「あ、この野郎まる投げしやがったな」

 そんなこんなで歩き続けた直哉一行は、ようやくコスメが捕らえられている(と思われる)古城に辿り着いた。

 全体がライトで照らされてはいるものの、正面からでは全体像が把握できないほどに巨大で、人口的に作っちゃいましたと言わんばかりの雰囲気のある雷雲が暗黒の空に雷鳴と帯を走らせている。

「確か、入口の髑髏(どくろ)を開いて鍵を手に入れて……」

「うむ、ここが最初の難関だったな」

「あの、二人で納得してないで説明入れてくださいよ」

 という直哉の言葉に、

「貴様の無知が全て悪い」

 阿修羅はバッサリと言い捨てると、迷いなく扉を切り掃い古城の中へと進んで行った。

「だ、そうだ。早くしろよ」

 彰人も先に進む。

「ま、今に関しては私も何もわかんないから仲間ね。けどまぁ、そのうち慣れるわよ。あいつらが変なのは今に始まったことじゃないから」

 珍しくエステが直哉を気にかけてくれたので、「いや、あなたも変人の筆頭なんですけど……」という言葉を天岩戸に封じ込めた。

「ああ、須賀、ひとつ言い忘れたことがある。ここから先は明かりを切ってたいまつを遣うように」

 先に行ったはずの阿修羅が入口で(直哉にとってはなんだかどうでもいい事を)言っている。

「あの、なんで松明(たいまつ)なんですか?」

「違う。たいまつだ。松明ではない」

 何がなんだかやっぱりわからないが、直哉はとりあえずそれを飲み込んで、

「あの、なんでたいまつじゃなきゃダメなんですか?」

「ルールだからだ」

 阿修羅はやっぱりズバッとした返事を返してきた。

「気を付けろよ。たいまつが切れると死ぬからな」

「はぁ……」

 不条理な世の中や欺瞞に満ちた世界や理不尽な阿修羅に諦念を覚えながら、直哉はなんとか現実を受け入れて曖昧な返事を返し、阿修羅の後に続いた。

 そのあとの道のりは惨憺たるものだった。時折現れる化け物の類や、火の海に飛び込みそうになったり、梯子があると思っておりたら梯子が無くて死にそうになったり、明らかにそのまんまの呪文で風になったりロープを使ったり……。

「いや、最後の方とかもう意味分からんし。このネタ誰が面白いんだよ」

 ……私に聞くな。ただ、所謂クソゲー地獄はまだ続くかもしれない。

「おい、ツッコミ放棄していい?」

 ダメ。頑張って?

「ちっ、コノヤロー、我慢するのは今回限りだからな」

 ごめん、そうしてくれ。

「何してるのー? 早く行くわよー」

 はるか遠くで、エステが小さな体全体を使って大きく手を振っている。

「あっ、ちょっと置いて行かないでくださいよ!」

 こんな所に直哉一人取り残されれば死亡率99%である。何があっても離れるわけにはいかず、直哉は言いたかった百の文句を不承不承飲み込んで阿修羅達に続いた。


 

 その後も、直哉にとって意味不明な仕掛けが続いた。

 宝の地図を水につけてから五分後息を吹きかけて浮き上がらせたり、なぜか室内なのに物理法則を無視した空間でハングライダーに乗って宝の島を目指したりなどなど……。ネタを知らなければまったくわからない&おもしろくない仕掛けが延々と続いたが、阿修羅と彰人を擁する生徒会一行はことごとくそれをクリアしていった。

「ふふふ、さすがだな……」

 その光景をモニタールームで観察していた男が、にやりと酷薄な笑みを浮かべる。

 鋼の様に鍛えられた肉体。赤銅色の肌に刻まれた傷。ひと目に歴戦の強者(つわもの)だと知れた。

「だが、このままで済むと思うなよ……」

 くくく、と自身に満ちた笑みを浮かべ、男は灼熱を封じた烈火のマントを翻す。

「貴様たちは、俺が止める」

 しかし、あれこれの戦いがあって男はあっさりと阿修羅に叩きのめされた。

「ええ!? 俺の出番ここで終わり!? なんか凄く強そうでなんか真の敵っぽい描写があったのに!?」

 いや、その、ページの関係で無理になっちゃった?

「なっちゃった? じゃないだろうが! どうしてくれるこの扱い!?」

 ああもううるせええ! 出してやっただけ感謝しろやこの三下がぁ!!

「いやでも、まだ名前すら登場してないし……」

 デモもストライキもねぇんだよ! ページ数無いから早く引っ込め! いいな!? はいもう抹消決定それじゃあバイバイ!

「ああ、ちょっと待ってあ………」

 ふぅ、一見強そうだった男は作者の都合……もとい阿修羅によって跡形もなく消された。

       

        10

 先へ進むために必要なさんそパイプをいつの間にか手に入れた生徒会一行は、なんかこう……どう見ても最後っぽい雰囲気のある扉の前に立っていた。

「おいこら、もうちょっと真面目に描写しろ」

 さんそパイプについてのツッコミはなし?

「うるさいな。さっきから作者へのツッコミばかりでこれが本当に小説なのか怪しくなってきたんだから、黙って描写続けろよ」

 直哉はにべもない……。まぁいいや。

「どうやらこの重厚で威圧感のある、牙のように鋭利な装飾が目立ちまるで魔物の口かと錯覚させる厳めしい作りの鉄扉を抜けた先に簾舞会計がいるようだが、準備はいいか?」

「阿修羅さん作者の代わりになんて的確な描写を……はい、大丈夫です」

 直哉がちょっと感動しながら答え、

「ああ、ちゃんとセーブしといたぜ」

 彰人が白い歯を輝かせながら意味不明なことを答え、

「ええ、コスメをさらった愚か者を粛清しないとね」

 コスメがポケットから恐らく生物の体内を流れる赤い液体で汚れたのであろう黒く煤けた拷問器具を取り出しながら怜悧に笑った。

 うむ、と表情を変えずに頷くと、入口でもそうだったように、阿修羅はためらいもなく刀を一閃させた(ように直哉には見えたが、実際はその間に数十回は切られている)。

 五右衛門の斬鉄剣もかくやという切れ味で、鉄扉は綺麗な切断面を残してナタデココのように切り分けられた。

 そうして開けた視界の先、囚われのコスメが透明の立方体の中にコスメが倒れていた。

「コスメッ!」

 直哉が突発的に声を上げたが、聞こえていないのか、気を失っているのか、はたまた眠っているのか、コスメの返答はない。焦った直哉はすぐに駆けだそうとしたが、

「落ち着け。中に何があるかわかったもんじゃない」

彰人に後ろから襟首を掴まれて停止を余儀なくされた。

一瞬酸素と血液がシャットダウンされたおかげというか所為というか、直哉も落ち着きを取り戻し恨めしげな眼を彰人に向けたが、そう言えばこの人にこんなことしても仕方がないことを思い出し、改めてコスメに視線を戻した。

目を細め、一通り彰人が部屋の中を確認すると、

「……見たところ、トラップは無さそうだな」

「まったくその通り!」

 彰人の発言に被せ、若本規夫似の声が響いた。

「よくここまでたどり着くことができたな。さすがは勇者一行と言ったところか……。だがしかし、ここが貴様たちの墓場となるのだ!」

 ひと昔前の悪役的台詞と、三和音のエレクトリカルパレードの音楽とともに、黒マントに杖を持ったナメッワ星人が天井から降り立った。

「………………」

 微妙な沈黙。

 どうリアクションを取っていいか分からず、一同は顔を見合わせた。

「なぁ、あれどう思う?」

 彰人が声を抑えて尋ねる。

「えっ、いやいろいろ間違ってると思いますけど。でも本人はなんか満更でもない顔をしてますし。けど、やっぱりツッコミを入れた方が……」

 直哉は困った顔で腕を組み、

「そうよね。ワイヤーとか丸見えだったし。あれはウケ狙いじゃない? あ、でもやたらと真剣だったわね。本気だったらイタイわよねぇ。かなり引くわぁ……」

 エステはあからさまに眉をひそめ、

「さすがの私もあのノリには乗り切れん」

 頼みの綱の阿修羅でさえも微妙に引き気味だった。

「いや、でもちょっとぐらい乗ってやらないと可哀そうじゃないか? ほら、なんかたっぷり練習したっぽいし」

「ええー、彰人、あんた一人でやんなさいよ。私あんな恥ずかしいのには付いてけないわ」

「でも、せっかくあそこまで頑張ってくれてるわけですし……。ね、阿修羅さんならあの人の気持ち少しはわかるんじゃないですか?」

「私を変人と一緒にするな。あんな恥ずかしいノリが素で出来る奴の気が知れん」

「もーいい!! いいから!! おまえら一行は揃いもそろって私を遠まわしに傷つけるのがそんなに楽しいのか!?」

 ナメッワ星人が涙声で喚きながら地団駄を踏む。

「あ、ほら、ピッコ○大魔王が怒りましたよ……って、また伏せ字意味無いし」

「ピッコ○違うわ! 私はティンパニ、ナメッワ星人だ!」

 ここに来て初めてナメッワ星人が本名を名乗ったが、正直どうでもいい事だった。

「お前の遊びに付き合っている暇はない」

「阿修羅さんさっきまでやたらと遊んでたくせに……」

「それで、簾舞会計を返すのか、返さないのかはっきりしろ。返すなら命は助けてやる。返さないなら殺すまでだ。少し眠くなってきたので早く帰りたい」

「そんな理由で……」

「ふざけるな! 私だってずっと待ってたからだいぶ眠いわ!」

「いや、おまえもかよ……」

 疲労がたまっているにもかかわらず、直哉は阿修羅とナメッワ星人の会話も合間に律儀にツッコミを入れていた。

「まぁいい。確かに貴様らの強さは認めよう。だが、私には切り札があるのだよ!」

「あっ、なんか唐突に話を進め始めた」

「これだ!」

 パチン、とならそうと思って指をはじいたナメッワ星人だったが、いまいち音が出ず、しかたなく両手を叩いて音を出した。

 ズドオゥン…!

 直後、直下型地震のような縦揺れが起こり、天井から巨大な物体が飛来した。

「ふふ、これこそが我がしもべ」

「こ、これは……」

 その物体を見て、直哉の頭の中で何かが繋がった。閃いた時が電球なら、今直哉の頭の上には電車が連結したイメージが浮かんでいた。まぁ、それはどうでもいいが。

 コスメのさらわれた脱衣所にあった見覚えある粘着質の物体。

 今目の前にいる大量の巨大軟体生物。

 そして、野球部全裸記憶喪失事件。

「そうだよ! なんか見たことあると思ったら、こいつらあの時逃げ出した巨大蛞蝓たちじゃん!」

 スッ。

「ん?」

 ようやく合点のいった直哉の横を、エステが無言で通り過ぎて行った。

 そして。

 ギュロロ! 

ギニュウウウウ!!

ザガバババ! 

グワシャァアアア! 

%$&#!

 とてもじゃないが描写する勇気のない凄惨な方法で、数十匹いた巨大蛞蝓たちを次々と駆除……いや、むしろ虐殺していった。

「はぁ、はぁ」と、見慣れない凶器を持ったエステは背中を向けて肩で息を吐いている。

 しばらくして、呼吸が整ったエステはゆっくりと振り返り、

「あは? やだぁ〜、なんだったのかしらね〜、今の。何がなんだかわかんないけどね〜。私のミスでないことは確かだわ。うん、間違いない。私は逃がして無いしね〜」

「……エステさん」

 直哉はジト目になってエステを見つめる。

「やだぁ〜。私は何もしてないって言ってるじゃな〜い」

 胸の前に手を合わせて子供の様にフルフルと体を震わせた。それと連動して動いていた拷問器具(らしいもの)から、元は蛞蝓だったはずの肉片が地面に落ちる。

「う、うーん……」

 一連のこの世ならざる音に、さすがのコスメも目覚めようとしていた。

「あ、お姉ちゃん、それにみなさん、おはようございます」

コスメらしい挨拶をした後、透明の板の表面に張り付いた粘着質の物体を不思議そうに見ながら首を傾げる。

「あら……なんですか、これ?」

「へっ!? これっ!?」

 あからさまに挙動不審になり、エステはふと思いついたように手を打って、

「そう! ローションよ! ローション!」

「ろーしょん……ってなんですか?」

「ほら! あれよあれ! 男女がセ……仲良くするための補助として使われるの!」

 言い訳として思いついた物の、コスメに直接的に言うのははばかられたので、オブラートに包みまくった表現で説明する。

「まぁ、それじゃあ私、今度直哉さんと使ってみますね、ろーしょん」

「それは絶対にダメ!」

「どうしてですか?」

「何でって……そんなことしたら須賀君の命の保証はしないわっ! 主に私がっ!」

「それほど危険なものなんですか?」

「そーなの! だから絶対ダメ! いいわね!?」

「はい、わかりました」

「よろしい!」

 コスメが納得してくれたのを確認すると、エステは乱れた白衣を整えた。

「そうともコスメ、ローションならぜひ俺とみぎゃ!」

 何かを言おうとした彰人の横っ腹に、エステから金属バットで横薙ぎの一撃。

 そんな光景を眺めつつ、ちょっとコスメとかローションとかそんな単語を組み合わせて妄想していた直哉も、エステが振り向いて不審げな眼差しを向けられ慌てて現実の世界に戻って来た。

「おまえら! 私を置いて勝手に盛り上がるなああ!!」

 声の限りに叫んだのは、主催者なのに完全に蚊帳の外のナメッワ星人だった。

「こっちはそこの娘を人質に取っているんだぞ。これを見ろ!」

 ナメッワ星人が手元のスイッチを押すと、コスメの下が透明になり、そこでは無数のゴ……黒光りする足が五本か六本の生き物が蠢いていた。

「スイッチ一つでこの娘は落下だ! わかったら私の話もちゃんと聞け! 寂しいから」

 ぶんぶんと手を振るナメッワ星人はまるで駄々っ子で、見ているとかなり滑稽だった

「おい」

 やかましい声があちこちにこだまする空間の中に、阿修羅の小さいながらも明確な怒りが籠った玲瓏な声が響いた。

「お前のことなどどうでもいい。その気になれば貴様の首などここから動かずに飛ばす事もできるのだ。返すのか、死ぬか、早く選べ」

 一転して、辺りを静寂が支配する。世界中の恐怖を集めて声に変えるとしたら、きっとこうなるであろう、聞くだけで根源的に圧倒される感覚。

 全宇宙に名を轟かす豪傑でありながら、素性は謎に満ちた『銀翼の血天使』。彼女の怒りは今、寝不足と退屈でピークに達しようとしていた。

「あー、本気で怒っちゃってるわね。今日はいつものお昼寝もできなかったみたいだし。今もかなり遅い時間でしょ? 今の阿修羅、ちょっと手が付けられないわよ」

「そ、それはまずいですね……」

 直哉も阿修羅の実力は今まで幾度となく目撃し体験したことで理解しているつもりだったが、今日の阿修羅の迫力はその比ではない。何か、何かよくわからないがとてつもない事が起こるような、漠然とした不安。

 ナメッワ星人にもわかるのか、阿修羅がまだ何もしていないのにも関わらず、冷や汗を流し唇が微かに震えている。しかし、意志の光はまだ瞳に宿っていた。

「ふん、私とて魔王と呼ばれた男。そう簡単には負けんよ」

 どこかで聞いた事のある科白をのたまいながら、ナメッワ星人はまた指を鳴らした。

今度はうまくいったので、静かな空間に高い衝撃音が反響した。

 すると、音もなく、一体の人形が降り立った。

 のっぺらぼうの顔に、むき出しの関節部のジョイント。GIジョーのようなアクションフィギアをそのまま等身大にしたらちょうどこんな風になるだろう、という人形である。

 その人形は、腰に日本刀を携えていた。

「ここまでの戦いを見て試作した、貴様のコピーだ。理論上はお前と同等の動きができるはずだ」

「ほう、それはおもしろい」

 言った瞬間、阿修羅は刃を抜き放った。

「……あれ、阿修羅さん、どうかしたんですか?」

 が、阿修羅はその状態から動こうとしない。

「ああ、お前には見えなかったのか」

「見えない?」

「今の一瞬で、阿修羅とあの人形との間に百三十二回刃の押収があったんだよ」

 彰人がかなりウソ臭い事を言っていた。

「マジですか? いやでも、音とか聞こえなかったし」

「光に迫る速さで打ち出された剣撃の3GHzを超える超高周波は、人間の耳では認識することはできない」

 飛天御剣流でもあり得ない芸当だ。本来なら即刻否定したい直哉だが、人が人なだけにありえないとは言い切れない。

「てゆーか、いろいろと法則無視してるのよねぇ。あの速度で動いて摩擦で燃え尽きないのはどういうわけ? まぁ、阿修羅ってちょっと科学じゃ測れないところもあるけど。それにしても、あのピッコ○もやるわね。短期間であんな機械を作り上げるなんて」

「ピッコ○じゃないと言ってるだろうが! いい加減おもしろくもないネタを続けるのは止めろ!」

 こっちとしてももうそのネタを引っ張られても困るんだけど……まぁいいや。そんなギャラリーはさておき、阿修羅は刃の切っ先を見つめ、満足気に鼻を鳴らした。

「ほう、なかなかやるようだ。なら、今度は一割足して三割の力で行くぞ」

「今ので二割!?」

 直哉の驚きなど完全に無視して、今度は阿修羅の姿が消えた。同時に、人形も消える。

 刹那、室内に轟々と嵐のような暴風が吹き荒れた。

「ちょっ、彰人さん! 今度はどういうことなんですか!? うわっ!」

 立っていられず、直哉は顔を覆って地面に座り込む。

 彰人は暴風でずれるメガネをひっきりなしに直しながら、

「光速を超えて繰り出される、1立方cm辺り8kgの超重量物質で構成された阿修羅の日本刀はその衝撃により一時の真空状態を作り出し、そこに戻ろうとする空気の力が荒れ狂う暴風を作り出す……『珸瑶瑁流、久遠新月の祓――旋風の極み』だ」

 ツッコミを入れようにも、それだと大前提の阿修羅という存在の不可思議さから入れなければならないため、直哉は黙って状況を眺めていた。

 とまれ、戦闘が激化しているのは直哉にもわかる(彰人には見えているらしい)。荒れ狂う暴風は台風を凌駕し、真空と空気のずれはかまいたちを生み壁に無数の傷を刻んでいた。

「ふぁー、阿修羅さんすごいですねー」

 隔絶された空間にいるコスメは、ぱちぱちと呑気に拍手している。

「まずいな……」

 そんな中、ぽつりと彰人が呟いた。

「ええ!? なんですって!?」

 暴風のせいで、地面に伏せている直哉には立っている彰人の声は聞こえない。

「いや、まず不可能だと思うが、もしあの人形が阿修羅の全力と互角だとしたら」

「どうなるんですか!?」

 吹き飛ばされそうになったエステを体の下に庇いながら、直哉が尋ねる。

 彰人は一瞬羨望の眼差しで直哉を見たが、メガネを整えて気を取り直し、

「阿修羅の剣速が光速の7倍を超えてからも、尚も戦闘が続くと……」

「まさか!」

 エステが驚きの声を上げた。

「超重量物質が超光速で振るわれる遠心力によって重力場が形成され、それが限界点を超えるとブラックホールになってこの星ごと飲み込んじゃう!」

「はぁ!?」

 いい加減なんでもありの展開に慣れてきた直哉も、これには驚きを隠せない。

「さすがにそこまで行ったら何でもありでもやりすぎでしょ!? っていうか物理的な検証とかちゃんとしてるんでしょうね!?」

「いや、検証したことは無いが、阿修羅はいろいろ法則を無視してるし…」

 彰人がエステに目配せして、

「それに、こんな言葉があるじゃない。『無理が通れば道理が引っ込む』」

 そう言われると、この調子で順調に行けば阿修羅ならやっちゃいそうな気配はある。

 直哉は愕然として、それからそんな暇はないと自分の頬を両手で挟んで気を引き締めた。

「だったらこんな話してないで止めないとダメじゃないですか!」

「いや、無理だろ。あれをどうやって止めるんだ?」

 彰人が親指で部屋の上部を指差す。阿修羅が確かにいるはずの空間には何もなく、ただ暴風と、崩れる壁と天井の衝撃音だけが聞こえている。

 直哉は(これは無理だな……)と思って一瞬硬直してからナメッワ星人に向き直り、

「じゃあそこのピッコ○! あの人形止める方法とか無いのかよ!?」

「いや、だからピッコ○じゃな」

「んなことは聞いてねぇんだよこのクソミドリナメクジもどきが! 止める方法はねぇのかって聞いてんだよああコラッ!?」

「いや、急いで作ったからちょっとそういうのは……」

「ああん!? なめた口聞いてんじゃねえぞこの青汁ヤロー!? てめぇ塩かけて浸透圧作用で水分絞りとって干からび殺すぞ!?」

「あ、須賀君が壊れ始めた」

 エステの呟きは、暴走気味の直哉には届かない。

 届かないと言えば、暴風でコスメに声が届かなかったのは直哉にとって僥倖だった。

壊れ気味の直哉は暴風をものともせず立ち上がると、ナメッワ星人の胸倉を掴み上げた。

「地球がぶっ壊れる展開ならドラ○ンボールで慣れてんだろうが! とっとと玉七つ集めてこの戦い止めろってんだよ!」

「だから、私はピッコ○じゃないと……」

「そんな言い訳が通じるとでも思ってんのか!?」

 ぐぉんぐぉんとお寺の鈴さながらにナメッワ星人の頭を振る直哉。

 これもコスメが上を向いていたおかげで見られることが無かったのは直哉にとって幸運。

だったのだが。

「や、やめって言って……あっ」

 激しく揺すりすぎたせいで、ナメッワ星人の手からスイッチが毀れ落ちた。

「「「「あっ」」」」

 阿修羅とコスメを除いた全員が、思わず声をあげていた。

 落下したスイッチは、寸分違わず突起部分を地面に打ち付けた。


 

「……えっ?」

 と、いう声を上げたのはコスメ。

 そこから先、彼女はスローモーションでその光景を見つめていた。

 パカッと、透明の板の中心が割れ、地獄の釜が開く。

 下で蠢く人類の多くが嫌悪を抱く黒光りする活かしたアイツ。

「あっ……」

 コスメの脳髄に高圧電流のような衝撃が走った。

 数十倍の速さで、思考がめまぐるしく回転する。

 このままでは、ぬるぬるした油まみれの生き物に埋もれてしまう。

(それは絶対に……イヤ!)

 コスメは強く願った。

『だったら、私に全てを任せなさい』

(あっ……はい、お願いします)

 何が起こったのか、誰が言ったのか、コスメは確認さえしなかったが、この状況から脱出できるのならコスメは何でも良かった。

『何年ぶりかしら? 外で暴れられるのは』

 コスメの中にいる彼女が、数年ぶりに表出した。


 

 その変化は、近くにいるだけですぐにわかった。

 重力を無視して浮遊するコスメ。色々と法則を無視しているが些細な問題に過ぎない。

 変わったのはコスメを取り巻く空気感というか、雰囲気というか、本来漠然としたものであるはずのものが劇的に変化していた。

 普段はちょっと天然な大和撫子(宇宙人だが)な彼女だが、今は何と言うか……暴走族の女総長と、大幅リストラを強行した女社長と、十人以上病院送りにした女プロレスラーを足したような……、ああ、雰囲気なだけに上手く説明できないが、阿修羅に悪と破壊衝動を加えたらきっとこんな感じになるだろうな、みたいな。

「相変わらず表現下手だけど……」

「ああ、これは少し厄介な事になったようだな」

 戦闘に興じていた阿修羅ですら、動きを止めてコスメに注視していた。

『ふふふ……』

 やや童顔気味の顔からは想像できない妖艶な笑みを浮かべ、空中浮遊しているコスメはハエでも追い払うように右手をぞんざいに振った。

 すると、真下で蠢いていた黒い虫達は一匹残さず綺麗さっぱり消え去った。続けて左手も同様に振ると、今度は彼女を閉じ込めていた透明のケースが雲散霧消し、空気の中に溶けて消えた。

『ああ……いいわぁ……この感触……』

 恍惚に身をよじらせながら、コスメは艶めかしく自分の体を掻き抱いた。

 口から零れる声は電波の悪いラジオ放送の様に高音と低音が奇妙に混ざり合っており、彼女がここではない場所にいる異端の存在に思わせる。

「……………………………………」

 なんとなく、生徒会一同はエステを見る。

 ドキッとしたエステは焦ったように手を振った。

「違うわよっ! 私じゃないってば!」

「まだ何も言ってませんが……」

 直哉が胡乱に目を細める。

「本当よ! 今回は本当に私じゃないんだってば!」

「つまり、起きる問題の過半数はエステさんであると…?」

「いや、それはほら……まぁ、今は関係ないわ。とにかく! ちゃんと説明するから」

「そうだな、追及している暇もページも無さそうだ。サクッと説明してくれ」

 今までかなりページの無駄遣いをしてきた彰人が、今更そんなことをおっしゃりやがりましたが、今回はありがたいのでツッコまずに話を進めることにしよう。

「ええっと、本当は私とコスメの和気藹藹寒煖饑飽笑いもありつつやっぱり感動的で涙なくして語れない究極の姉妹愛物語を三十ページにわたって語り尽くしたいのだけれど、要点だけかいつまんで話すと、私とコスメは本当の姉妹じゃなくって――これはコスメには内緒よ?――かつて第二銀河連邦軍数十万人を相手にたった数十人で互角に渡り合った戦闘民族の末裔なの――あ、これはサイ○人じゃないわよ?――コスメはその時に記憶を無くして、当時連邦の議長だった私の父が引き取ったってわけ。それで、時々あるのよねぇ。感情が昂ったり危険な目にあったりすると、コスメの中に眠るあの子が目覚めて、『科学? 何それ?』みたいな超常の力を使う時が」

「なるほどね、ああなるほど、そう言うことですか」

 一度、直哉はハハハと軽快に笑い、朝の清浄な空気のような爽やかな笑みを浮かべながら意味もなくラジオ体操第一の初めの部分をしてから。

エステに猛然と近寄った。

「ええええええ!!?? いやいやいや! いくらなんでもありとはいえそんな設定あり得ないでしょ!? ご都合主義にもほどがありますよ! 冗談ですかジョークですかテキトウですか妄言ですか!? あはははエステさん面白いなぁまったくもう!」

「須賀」

 いろいろと大事な歯車がずれ始めている直哉の肩に、阿修羅がそっとを手を置いた。

「どんなに信じられなくとも、お前の眼で見たものは真実だ。受け入れろ」

 その冷静な声は、そろそろパニックになり始めていた直哉を現実に引き戻した。

「……そうですよね。阿修羅さんが言うとなんか説得力があります」

「それは婉曲に私を愚弄しているのか?」

「いいえ滅相もありませんはいすいませんでした」

 白刃を喉に突き付けられ、直哉は早口で慌てて謝った。

「おいおい、そんなことしている場合じゃないだろ?」

「あんたも、そんなことしている場合じゃないでしょ?」

 エステはコスメのはためく浴衣の中を覗こうと必死に地面に這いつくばって顔を上げている彰人を踵で踏みつけたが、彰人は「んああ……」と変態じみて喜んだだけだった。

『ふふふ……あなたたち、楽しそう』

 コスメは大人びた微笑みのまま、やけに艶美な仕種で唇を舐める。

『あなたたちを壊したら、とても楽しそう……』

 コスメの力に呼応して、大気が震え、地面が鳴動する。まるでこの星の全てがコスメに恐怖しひれ伏したかのように。

「これは……伝説のスーパーサイぐわはぁ!」

 いい加減引っ張るのが辛くなってきたネタを言おうとしたナメッワ星人を、人形とともに折良くコスメが吹き飛ばし、バイキン○ンと同じエフェクトで空の彼方に飛んで行った。

『ふふふ……壊したい。壊したいわ』

 コスメは蠱惑的な眼差しで、誘うようにしなやかな手を差し伸べる。

その掌に、恒星のようなエネルギーが収束し始めた。

「……あの、これは、思っていたよりもちょっとヤバい感じですよね?」

 冷や汗を垂らしながら直哉が尋ねたが、誰一人押し黙ったまま答えない。

 沈黙の中、具現化エネルギーはコスメの掌で音もなく、ただ凶悪な力を持って渦巻く。

 ヤバイ。これは母親にベッドの下の?本を発見されそうになった時の数百倍はヤバい。直哉は直感的に感じていた。比ぶるべくもないだろうが。

「簾舞会計を傷つけたくはないが……これは少し私も本気にならねばならんな」

 こんな状況になっても、阿修羅は冷静さを保ち普段と微塵も変わらない。

「え、いや、阿修羅さんが本気になっても危ないんですけど」

「大丈夫だ。私は」

「いや、そりゃあなたは大丈夫でしょうけど」

「簾舞研究員も彰人もむざむざ死んだりはすまい」

「いや、なんで意図的に俺を外すんですか」

「どうでもいいからだ」

 この通り、直哉が何を言ってもまったくもってマイペース。

「頑張って阿修羅。私の妹を取り戻して。私も逃げないで見届けるわ」

「いやエステさん、なんで未知の機械っぽいエネルギーシールドで全身を防護してるんですか?」

「ああ、お前に任せた。強気な美少女も捨てがたいがやはりおっとり天然系は欠かせない」

「いやいや、彰人さんも何でさっきまで海パンだったのに最新式の拡散(ディフューズ)反射(ドリフレクシ)装甲(ョンアーマー)装着しているんですか?」

 双方とも、直哉を空気の様に扱い、完全に防御体制で身構えている。

 たらりと、直哉の額に一筋の冷汗が流れた。

「安心しろ。例え須賀の命を失っても、私が必ず簾舞会計を正気に戻す」

「いやいや何で阿修羅さんじゃなくて俺のなんですか!」

『ふふふ、あなたにできるのかしら?』

「コスメもスムーズに話を進めないでえええ!!」

 あらん限りに叫んだが、もはや直哉のことなど誰も気に留めない。

「行くぞ!」

『ふふふふふ、壊してあげるわ!』


 

「いやあああああああああああああああああああああああああああ!!!」



 直哉の絶叫も虚しく、二つの強大な力はぶつかり合い、炸裂した。


 

       11


 

「ふううううう……」

 奇跡的に一命を取り留めた直哉は、旅館の布団の中で大きくため息を吐いた。

 あれから阿修羅とコスメの人知を超えた戦いは三十分にわたり、古城を完膚なきまでに叩き壊し、本気の手前(本人談)まで力を出した阿修羅が勝利を収め、コスメの正気を取り戻すことに成功した。ちなみに、目覚めた時のコスメの科白は「ふぁ……みなさんおはようございます」だった。

 直哉も死ぬ一歩手前び怪我を負ったのだが、これもエステのオーバーテクノロジーで治療された。まぁ実際のところ、それは治療と言うより機械の修繕に近いのだが、その間の記憶の無い直哉には知る由もない。

「ふうううううううううう……」

 直哉はさらに大きくため息を吐き出した。

 彼が落胆している理由は、別に怪我をしたことに対してではない。慣れている……というとそれもなんだかなぁと思うのだが、とにかくそれほど気にしていない。

「何で俺を置いて遊びに行くかなぁ……」

 直哉の落胆している理由、それは阿修羅達が自分を置いて紅葉狩に行ってしまった事だ。

 短期間に二度も瀕死に陥った直哉の筋肉や内臓への負担は小さくなく、体を動かすたびに筋肉痛を重病にしたような激痛が走り、とてもじゃないが出かける事はできない。

 それに反して、阿修羅達は昨日の今日だというのにピンピンしており、今日も朝早くから紅葉を見るために出かけてしまった。

「なんでかなぁ……」

 激痛の走る体で、軽く寝がえりを打つ。

 開け放たれた襖の向こう、中庭には見事な紅葉が広がっている。だが、阿修羅達はきっとこれよりも広大で圧巻の光景を目にしているのだろう。いい映画を家で見るか友人と一緒に映画館と見るか、その程度の差なのだろうが、直哉にはそれがとても大きく思えた。

 微笑むコスメと一緒に落ち葉踏みしめて、舞い落ちり世界を彩る季節を噛みしめる……。

 きっと――否、絶対に楽しくなるはずだった。

 なのに、自分は一人でお留守番。

「ぢぐじょう……」

 美しい紅葉も、一人で見ているだけでは虚しいだけだ。

 久しぶりに本気で泣きそうになって、直哉は布団の中に潜り込んだ。

「俺は……俺は世界一不幸な少年だ……」

 便利な道具を持った青い猫型ロボットが家に居候しているという恐らく世界中で五指に入る幸せ者がよく言う台詞を、直哉は呟いた。

 思えば、生徒会に入ってからいい事があった(ためし)がない。阿修羅には何度も切りつけられるし、彰人の変態じみた行動も止めなければならないし、エステには実験台にされるし、とんでもない事件に巻き込まれるし、コスメとの仲は進展しないし……。

陰鬱な気分は螺旋を転がり続ける。

 もしかすると、こんな平凡な自分が生徒会にいること自体が間違っているのかも知れない。周りは超や絶と言った文字を頭にいくつ付けても足りないような人間ばかり。きっと最初から場違いだったのだ。勉強も普通。運動も人並み。特別人に誇れる何かがあるわけではない。生徒会の皆のように強くはないし、聡明でもない。

「本当に、俺はここにいてもいいのかなぁ……」

 自分には、生徒会に居場所は無いのかも知れない……。

「俺なんて、生徒会にいない方がいいんじゃ……」

 体も悲鳴を上げているし、なんだか自暴自棄になってくる。

「そんなことないですよ」

 そんな直哉の耳に、コスメの声が響いた、気がした。

「わぁ、ついには幻聴まで聞こえてきた……」

 やっぱり疲れているんだ、直哉は耳を塞ぎ、蒲団の中で身を縮ませる。

「な……さん……て……ださい」

「ああ、今度は体が勝手に……って、ん?」

 体が動いているのは、痙攣しているからでも脳からの電気信号異常のせいでもない。

 確かに誰かが、直哉の体を揺すぶっているのだ。

 力は籠っているが、乱暴な感じではない。むしろ優しい温かみが感じられた。

(誰だろう……)

 直哉はするすると首をのばして、亀の様に蒲団から顔だけを覗かせた。

 最初に感じたのは、ぼーっとしてしまいそうなほど甘くいいにおいだった。

 自分のよく知る、とても大好きな存在のにおい。

(まさか……)

 瞳を開いた直哉は、そこにあるものが本当に自分の大切な存在であることを理解した。

 手を伸ばせば触れられるほどの距離に、コスメの太陽のように眩しい笑顔がある。

「あ……あれ…?」

布団のすぐ脇にコスメが正座している。

 直哉は唖然として、口を開けたまま硬直した。

 カップ麺ができるまでの時間、たっぷり硬直していた直哉はようやく現実に帰還した。

「あの……、なんでここにいるの? 阿修羅さん達と一緒に紅葉を見に行ったんじゃ……」

 直哉が尋ねると、コスメは僅かに首を傾げてはにかんだように微笑み、

「直哉さん一人じゃ寂しいだろうなぁと思って、帰ってきちゃいました」

 悪戯をした小さな子供の様にちょこっと舌を覗かせた。

「知ってますか? 直哉さん」

 何の前触れもなく、コスメがそう尋ねてきた。

 当然、直哉は推し量ることもできず、コスメよりも大きく首を傾げる。

 コスメはまるでわかっていない顔の直哉に少しだけ苦笑して、中庭の紅葉に顔を向けた。

「阿修羅さんも彰人さんもお姉ちゃんも、直哉さんが来てから凄く楽しそうなんですよ?」

「……へっ?」

 ちょっと信じられない言動に、直哉の口から間抜けな声が漏れた。

「前にも話したと思いますけど、直哉さんの前に生徒会にいた人は何故かわかりませんがすぐに止めてしまって、あまり仲良くなれなかったんです。けど、直哉さんと凄く親しくなってからは、前にも増して伸び伸びしているんですよ?」

「え、いや、それホント?」

「はい」

 屈託なく微笑むコスメ。

 もともと、この娘に嘘など言えるはずがないのだから、きっと真実なのだろう。

 思えば――と、直哉は生徒会に入ってからの日々を回想してみる。

よくよく考えてみれば、全てのことに対して不条理で常識の通じないこの場所は、常人ならば耐えられるものではない。その日常に耐え、あまつさえツッコミを入れている自分も、もしかすると特別(個性的)な人間なのかも知れない――。

喜ぶべきか悲しむべきか悩みながら、やっぱり苦笑してしまうのは、直哉もそれなりにこの日常が気に入ってしまっているからだろう。

「まぁ、ここからでも見えるんですね、紅葉」

 うっとりと眼を細めて紅葉を眺めるコスメは、紅葉なんかより格段に綺麗だった。

「うん、そうだね」

 直哉は痛む体を押して立ち上がり、コスメの隣に腰かけた。それは好きな人の隣にいたいとかそういう気持ちではなく、一緒に景色を楽しみたい一心での行動だった。

「私も、直哉さんと一緒にいるのは楽しいです。だから、さっきみたいに寂しいこと、いわないでくださいね」

 少しだけ悲しい目をして、コスメが顔を伏せる。

「……うん、ごめん」

 コスメにとって自分がどんな存在なのかはわからない。けど、自分のことで悲しませてしまうようなことだけ無いようにしよう、と直哉は殊勝な決意をした。

「はい。私も直哉さんと一緒に生徒会にいたいですから」

 そうやって、コスメはまた笑顔の鼻を咲かせた。

(こうやって、たまにはいい事もあるし、他では滅多にできない経験もできるのだから、もう少しの間、ここにいよう)

 直哉は微笑み返して、心の奥でそう決意した。


                           
                                                               【おしまい】


 

 ……と、思いきや、

「あっ、そうだ、お茶でも飲みませんか、私、旅館の人に貰って来ます」

 そう言って、コスメは駆けだそうとした。

 が、

「あっ!」

 もともと直哉の寝ていた布団があったのを忘れて、コスメはそれに思い切り蹴躓いた。

「危ない!」

 直哉は必死の反応を見せてコスメを指させる。

 が、しかし、

「うげぃいい!!」

 血液が針に変わったような痛みが全身に走り、直哉はコスメを下にして倒れこんだ。

 布団の上に。

「もーコスメ〜、急にいなくなっちゃダメじゃ……」

 タイミングよく(悪く)帰って来たエステは、部屋の中を見て固まった。

「……何してるのかしら?」

 にっこりとした笑顔のままで、ぞっとするような声音でエステが尋ねてくる。

「エ、エステさん、いや、何って俺は……」

 言おうとして、直哉は自分の状況を悟った。

 布団の上でコスメに覆いかぶさる自分。

 コスメの眼もとには、倒れた時に頭をぶつけて軽く涙が浮かんでいる。

 これは、嫌がるコスメを無理矢理押し倒したように見えないだろうか…?

 直哉はそう尋ねようとエステに向き直ったが、すぐに言葉を飲み込んだ。

 何を考えているかなど、尋ねるまでも無い。エステの後ろに、黒いオーラと般若の面が浮かんでいたからだ。

「ねぇ〜須賀君、痛覚の限界って知ってる? 私ぃ、死なない程度に且つ死ぬほどの痛みを与えられる方法知ってるんだけど、教えてあげようか?」

「ち、違うんですエステさん。これは誤解でして!」

「うんうん、わかってるわ。コスメが魅力的なのは姉の私が一番良く知ってるから。無理もないわ。幸い未遂みたいだし、だからほら、ちょっとだけだから」

「いや、絶対全然わかってないですって」

「安心しろ。私が介錯してやるから」

「阿修羅さんもいきなり現れて切腹する方向にもってかないでください!」

「貴様ぁ! 俺を差し置いて全世界の至宝たる美少女に手を出そうとは見上げた根性だ! 今すぐに俺に代われ!」

「うるせぇこの変態が! 脈絡なく天井から降ってきて場をややこしくするような発言してんじゃねぇよ」

「あら、私の大切な妹を押し倒しておいてよく彰人を変態扱い出来るわね」

「だから違うって言ってるじゃないですか! って! 阿修羅さん無言で刀を構えるのは止めてええええ! コスメも黙ってないでちゃんと説明してよ!」

「あの、こういう(男の人と女の人をなんとか仲良くさせたい)時はろーしょんを使わないと……」

「違う! 違うよコスメ! 目を逸らしながら言うと誤解されるから止めて!」

「……シャキン(エステが未知の拷問器具を構える音)」

「ああああああ!! 自分で間違った知識を教えたくせに自分はそれを忘れて俺に刃を向けようとしているうううう!!」

「いや、でも初めての時は使ったほうがいいらしいぜ」

「てめぇこの彰人いい加減その事態を混乱させる鬱陶しい口閉じやがれ!」

「……シュッ」

「危なっ! だから阿修羅さん無言で刀を振り回さないでって言って……あああ! いつの間にかエステさんがコスメを安全な場所に避難させてる!? いや、やばいってしかも何か薬飲ませて眠らせてるし! やばいって逃げないと痛ってえええ! 動くたびに激痛がああああああああ!!」

「まぁ、いいじゃないか、最後に美少女を抱けたんだから」

「覚悟を決めろ」

「るるる〜、次に会う時は人間の形じゃないかもねぇ〜♪」


 

「いやああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 

 どうあっても、直哉の波乱に満ちた日常が終わる気配はなかった。


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こんな普通の俺がここにいていいのかなぁと思うようになったふとこの頃のこと(長っ!)の部屋に戻る inserted by FC2 system